第三話 亡霊の行進
少女が男の家を訪れて三日目の夜。
男の予言、波が来る前日の夜。
一つの横長のベッドで六人の子供たちは小さな寝息をたてて眠り、子供たちの真ん中で起きている少女は宝石商としての旅の話をしている。聞き手は男。ロッキングチェアーの揺れに身を預けて少女の話に耳を傾ける。
部屋は小さなランプが仄かな明かりをもたらすだけで、お互いの表情もよく見えてはいない。
その二人の間には少女がこれまで宝石に保存した風景を映し出している。
「旅の話を聞かせてほしい」そんなことを男の方から言い出したのは、少女が訪れた初日の話だ。
少女は、すぐに、「代わりにあなたの話を、最後には、宝石の話をしてほしい」と条件を付けた。
男は居心地が悪そうに、首元をさすってから、「最後には」と約束してくれた。
想い出話というのは、その人にとっては宝石のようなものだ。
少女は、この言葉を忘れない。だから、自分の話を
「それで、北の海のオクトパスはどうなったんだい?」
男が、外の世界に目を輝かせる少年の無邪気さをのぞかせながら、問いかけると。
「そう! あの子ったら、お宝ごと沈没船を食べちゃったから、私も口の中にとび込んでやったの!」
少女は、恋する男の子に女の子が語り掛けるように、熱をもって答えるのだ。
「随分な無茶を……」
「英雄さんに言われるほどじゃないわ」
「そういうことじゃない……というか、何回目だ。このやり取り……」
少女は男を英雄さんとからかうように呼んで。
少女の武勇伝に男が驚くたびに、少女が諭すと、少女は可笑しそうにくすくすと笑いを漏らして、小さく息をつく。
ふと、隣で眠る子供たちへ視線を落とした。
「それにしても、この子たちは不思議ね」
一番やんちゃな男の頭を撫でる少女の横顔は、女神のような慈愛と、小さき生命を愛でる優美があった。
「本に詰まった物語をもとに性格をつくって、あなたの大きすぎる魔力で体を維持する。いまも、少しだけ、恐ろしいけれど。こんなところで、世界を守ってるんだもの、このくらいは許されるわよね」
「……ああ」
浮ついた生返事だったので、てっきり、また、旅の話じゃないからと考え事に耽っているのだろうと、咎めようとして、男と目が合った、……気がした。
「どうしたの? わたしの顔についてるかしら?」
「ああ、いや……」
男は小さく身じろぎをして、珍しく
「彼女に似ているんだよ、君は」
「そう……その、なんだか、ごめんなさい」
「いや、勝手に思い出しただけだ」
男が愛を捧げた女英傑に似ている、と。
二人の間に沈黙が下りる。
四人の英雄、彼の仲間、女英傑の臣下の二人は道中で朽ちて逝った。十字の墓たちのさらに先に二人の墓があって。
彼の愛した女英傑はさらに、その先へ進んでいった。
彼にここで、待っていて、と告げて。
少女は、何か話をしようと、何度か、迷った言葉はその全てが縊られたような重たい喉に引っかかって。
少女の言葉よりも先に、彼が動き出すの方が早かった。
「…………来たか」
「もう、来たの……?」
男は立ち上がり、少女に構わず外へ向かう。少女は驚愕を露わに、それでも、正装へ素早く着替えて、宝石を詰めたトランクをひったくるように掴んで飛び出そうとして。
「おねぇちゃん……?」
寝ぼけた子供の声が少女を引き留めた。
「どこに行くの?」
純粋な疑問に、少女は柔らかく笑みを浮かべて頭を撫でる。
「ちょっと、あなたのお父様と散歩にいくのよ」
「帰ってくる?」
「ええ、もちろん。……だからね、今はおやすみなさい」
「…………うん」
子供たちが再び、可愛い寝顔を見せるのを見届けて、スカートをひるがえし外へ向かう。
この子たちが果たしてどこまで知っているのかは分からないけれど。私は、彼の仕事を見ていたい。
£££
幻想の庭は時間によって表情を変えるが、それより外の世界はただひたすらに時間が止まったような灰色の世界。
亡霊は、空をも覆いつくし、いままで目にした亡霊の波と比較するのもばからしい。
世界を覆いつくす亡霊の行軍を前に、その男の背中はあまりに小さい。
「……いいな、絶対にアンタは魔術を使うな」
「ええ、大丈夫よ」
あの日から、男は必ず少女にこう忠告するのだ。
少女の体を案じてか、ただ、邪魔になるだけか。それとも、何か他の懸念があるのか。その真意は分からないけれど。
庭と同じサイズになる魔法陣の中央には、こんもりと盛られた色彩鮮やかな、宝石たちがひしめいて。
男が魔力を注ぎ込むと、宙に浮いて、液体の球体となる。
緻密な魔術を紡いで、祈りの言葉のように詠唱を続けていく。指先が小さく震えて、少しずつ、男の瞳の焦点が揺れ始める。少女の目からも分かるほどの大きな負担をその身に負って、それでも男の意思がこの地で食い止めよ、と愛したものとの約束が力に変わる。
「還れ。還れ。還れ。還れ。還れ」
宝石が球体から溶け出して、死の大地を横一直線に迸る。
虹を壁で体現したような、可視化された濃密な魔力。
「見えてる、見えてるわ」
少女はその光景を噛みしめるように、酩酊したような激しい酔いと、全身が危殆を叫ぶ脇腹の激痛を飲み込んだ。
世界の終焉が押し寄せ、その全てを男の奇蹟の防壁が還していく。
その光景を近くで見ようと、少女が一歩踏み出すと、
「来るなっ!!」
男は、必死の形相で腹の底から吼えた。
その一瞬の隙が、亡者の進行を許してしまう。僅かに、罅割れた奇蹟の隙間から、数体の亡霊の侵入を許してしまった。
「漏れたかっ、……」
男が嘆くと同時に、少女はトランクから両手いっぱいの宝石を抱えて、魔力を込める。
「大丈夫よ、やり方は知ってるから!」
「ま、待てっ!! 違う! 違う! 違うんだ! お前の魔力が亡者に触れたら、ああ! くそっ!! 駄目なんだ……」
男が少女を制そうとするが、その想いは届かず、男は防壁の維持に専念せざるを得ない。
数体の亡霊が、少女に向かう。
恐怖が大きいはずなのに、不思議と気分は昂って怖くはなかった。
あの男と、子供たちの為なら不思議となんだって相手に出来る気がした。
「さぁ、行きましょう私たち」
宝石をとろかすような、魔術は知らないし、世界を救うような絶大な魔力量もない。だから、いまは、私の知っている極上の宝石魔術を。
亡霊どもに、向かって左手に握りしめた放り投げる。亡霊をすり抜けて宙へ抜けていく。
そのまま外れたかと思われた宝石たちは、白い光を放って、檻のように亡霊どもを囲い、捉える。
「ごめんなさいね、ただの宝石が好きな女の子だけど。……せめて、あなたたちに幸があらんことを」
右手から放った宝石が浄化の光を眩く放つのと、世界から怨嗟の声が消え去っていくのは同時だった。
何もない、死の土地が、その静寂をもってして戻ってくる。
「やったわ! ねぇ、やったわ……?」
達成感に胸躍らせる少女とは裏腹に男は絶望に暮れたような表情で、その場で頭を抱え込んでいる。
そんな異様さに、少女は駆けよって、優しく声を掛ける。
「どうしたの? ちゃんと、還したじゃない、ねぇ?」
心配から男の背中に、手を触れると、びくり、と大きく跳ねあがった。
「ああ、ああ、ああ!! 確かに還した、還したよ! でも、でも、だめだ。彼女が、彼女が、帰ってくる。僕には、僕には…………」
どうすることもできない、とその男から最も遠いと思っていた絶望という感情を全身で体現して喚くのだ。
「どうしたの? 貴方が怖がることなんて何もないでしょう?」
少女は、大丈夫だと、その弱弱しくなった背中を包み込んであげようとして――
死の土地の最奥から、一つの亡霊が姿を見せた。
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