第四話 宝石少女と女英傑
姿を見せた亡霊は、ちょうど少女の背丈と変わらないほどの大きさだったけれど、他の亡霊たちとの違いはすぐに感じられた。
灰色の、輪郭の崩れた人間のような容姿。ただ、凛とした、意志は、亡霊の怨嗟となっても生前の気高さを感じさせるような美しさで。
代わりに、生者に与える絶望感は。
少女の体はずっと、死の瞬間を見せられているような硬直が。
「ああ……ああ……」
男は英雄のような、万事に対する平然とした矜持も、無関心にけだるそうな雰囲気も全てを奪われていた。
そこにいたのは、全てを失ったと悲嘆を叫ぶ、哀れな小さな男。
「ああ、ごめん、ごめんよ。赦しておくれフローリア」
フローリア? 確かに今、彼はフローリアとあの亡霊を呼んだのか。
かの、高潔で、孤高の女英傑、フローリアと同じ名を確かに。
――じゃあ、あれは。
彼から、女英傑の行方は聞いていない。ただ、死の土地の奥へと進んでいったとしか。
その言葉の意味をかみ砕こうとは思わなかった。
もし、彼が彼女の行く末を知っていて、それでいて「待っている」と言っていたのなら。
男の情緒の乱れは少女にもまた、強い影響を。
「なにが、……起こっているの?」
パリパリ、と少女の皮膚が奇妙な音を立てて剥がれ落ちていく。白い滑らかな肌の下から、露わになったのは、血肉や、筋肉ではなくて、紅玉の、宝石の肉体だった。
――どうして。どうして。
女英傑の亡霊からの声は、全身を壊れたように舐めまわすような、執拗な怖気に全身が総毛立つ。
「僕は、僕は、……君がいないことに耐えられなくて、それで、それで、」
宝石商の少女、フロー=ルビエールは、その真実の全てを知る。
「僕は、あの子を、作ったんだ」
男の指が示す先は、紅玉の体を露わにした少女を示していた。
「そう……なのね、そう……なのね」
少女には、衝撃よりも、大きな納得があった。
男のミドルネームと同じファーストネーム。帰る方向にしか、残っていない足跡。異様に進行の早い魔素中毒。彼のつくった子供たちが妹のように感じられたことも。それから、彼が私の旅の話をそんなにも楽しそうに聞いてくれたかも。
きっと、大きな悲しみの果てに彼は。私を。
――アアアア。――アアアア! ――アアアアアア!!
「違うんだ、違うんだ、ああ、ああ、フローリア」
何か、彼に伝えようとする女英傑の亡霊の前に男はただ、赦しを乞うだけで。
ざっ、と。二人の間に少女は立ち入る。かつて愛した人の亡霊に。悲しみに暮れる男の前に庇うように出る。宝石の体が一層、露わになる。
――きっと、これをしたら。
――私の体は壊れてしまうだろうけど。
――彼が赦されるのなら。
「大丈夫よ、私に任せて」
聖母の微笑みで宥めるように男の手を握りしめる。男は一瞬呆けたような顔を見せて、次の瞬間彼女の行おうとしていることを悟って、少女の足を縋りつくように掴む。哀愁の瞳が強く瞬くのを見て、彼が、だと分かった。
「ダメだ、ダメだ、ダメだ。君もいなくなってしまっては僕は、僕は、ああ、ああ、頼む、頼むよ」
少女は、男の体を力いっぱいに抱きしめた。
かつて、愛するものを残していく者が、最上の愛を込めてそうしたように。少女もまた愛を込めて。
「さようなら、私の愛しの人。
魔力も切れて、絶望に暮れて、体に残る力の一つもない彼を、愛おし気にゆるりと離れて、少女は亡霊へと向き合う。
「さあ、
悠然と言い放つ少女の言葉に、もう、亡霊が声を上げることはなかったけれど。
「私は
少女は、精一杯に微笑みかけて、トランクの宝石を全てぶちまけた。
今までの想い出も、何もかも。
「さぁ、還りましょう?」
奇蹟の白柱が辺りを支配して、世界を浄化する。
ただ一面には、一人の男の泣き声が響き渡っていた。
£££
――ねぇ、ねぇ、
真っ白な清廉な世界で私を呼ぶ声がする。辺りを見回してみたけれど、誰の姿も見えなくて。
――わぁっ!!
「わわっ!!」
突然、女の子が目の前にあらわれたから、驚いてしまった。
私と同じ
だから、その子が誰かはすぐに分かった。
「
くすくすと、笑う
すると、ぷくりと頬を膨らませて不満を口にした。
――
少しの間、私は
「そんなことない、そんなことない」と。
ばちっ、と二人で目が合って、お互いに可笑しくなってお互いに吹き出してしまった。
――
可愛らしく憤慨を示す。
それからの私達は、私は宝石商の私の旅の話をして、
それから、それから、彼の話をした。私は子供たちの話と、彼が私の正体を教えてくれなかった愚痴を。
その時間は残念ながら、やっぱり永遠なんかではなくて。
私たちは、終わりの時間を感じて、哀しく笑い合った。
――ねぇ、
「なぁに、
――最後に、一つだけ私のお願いを聞いてもらえないかしら?
「ええ、もちろん。私は
私の言葉に、
――もう一度ね、彼を、赦してあげて欲しいの。彼が私にくれた宝石を使って
「え……でも、それって……」
仮に少しだけでも、私が彼の下に戻れても、
差し出された、紅玉の色の宝石のネックレス。宝石は、脈打つような奔流を輝かせて、どんな神秘よりも、どんな奇蹟よりも、魅力的だった。
けれど、
――お願いね、お願いね。
と
「ええ、ええ、最後に、彼を赦してあげましょう」
「なにを、なにを言ってあげたらいいかしら」
と、私は
――そうね、はじめは私が
――まだまだたくさんあるけど、それは、私が生きていたらよかったお話。だからね、これだけでも伝えてくれるかしら?
「ええ、もちろん。もちろん」
私が大きく頷くと、
――ありがとう、
「ええ、ありがとう。
囁き声が私の耳をくすぐって、
――世界は光に包まれた。
£££
光の白柱から、少女の体が放り出される。
どさり、と家の前の庭に落ちる音に、男は歩み寄ろうとするが、魔力を使い果たした体は思うように力が入らない。
地を這いながら、移動する男。庭の方からも、這いずる音が聞こえてくる。
やがて二人は、死の大地と、幻想の庭の境界で邂逅を果たす。
男は、首を持ち上げてなんとか、少女の姿を視界にとらえる。
柔らかく微笑んだ愛した顔。魅惑的な肢体は、傷のあった脇腹が大きく抉れて、そこから、宝石の煌きが弱弱しく、その少女の生命力のようにうねっている。
「ただいま、戻りました」
「ああ、ああ、…………おかえり、おかえり」
少女に体を引っ張られる感覚に、次に、頭を覆う柔らかい感触。少女が男の頭を自分の太腿にのせて、草臥れた髪の毛を撫でていく。
「君は、僕を、宝石を君という人間にした、僕を憎むのか?」
「いいえ、いいえ。私は、赦されるべきだと、孤独なあなたはこのくらいの事は赦されるべきだと、いいました」
そうか、そうか、と安心した子供のように、安堵する彼を眺めて、今度は少女が口を開く。
「子どもたちは、あなたの子どもたちはどうなるの?」
「あの子たちは……あの子たちは、傷ついてないから、大丈夫だ」
そう、と今度は、少女が安堵の笑みを浮かべる。しばらく、二人の間にあたたかな沈黙が流れる。
少女は小さく、しかし、何よりも力強く吐息をついて、想いを口にする。
一つ、一つ。フローリアが少女に託した想いを。
男は、フローリアの意思が残っていたことに、驚愕したが、やがて、少女の口から紡がれる赦しの言葉に、大きな涙と、泣き声をあげて、何度も、何度も、その名を呼んだ。
――フローリア、フローリア
――フロー、フロー、フロー
愛する者のの名を。
そして、少女の口から、最後の彼女たちの願いが告げられる。
「ねぇ、今度はあなたが私たちに世界を見せて。私があなたのために世界を見せたように、今度は、あなたが世界を見て、ついでで構わないわ、私たちにもその世界をみせてくれかしら?」
「辛くなったら、もし、待つことみたいにしんどくなったら、田舎に小さな家でも建てて、ゆっくり暮らせばいいわ」
「だからね? 私たちのお願い、聞いてくれるかしら?」
灰色の大地と、幻想の鮮やかな庭、死と生の境界で男女の視線が熱く重なった。
男は、少女の頬に手を伸ばし、ゆっくりと触れる。かつて、愛したものにしたように、愛を囁くように、答えるのだった。
「ああ、約束しよう」
と。
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