第二話 英雄の臣下と子供たち

 天使の羽にでも包まれたような柔らかな背中の感触と、胃袋を掴む甘いかおりに、微睡む少女の意識が戻されていく。


 ぱちり、と目を開くと子供たちののぞき込む顔がわぁっと声を上げて離れてしまう。寝ぼけた心で少しだけ落ち込んで、少女は小さな異変に気付く。

 服は、自分が正装としているものから、純白のネグリジェに替えられており、脇腹には布の上からでも分かる包帯の感触。


 ここには、子供と子供をつくった男しかいない。


――つまり。


 自分が何をされたかを理解して、恥ずかしさや、頬を薔薇のように真っ赤に染めて、毛布で体を覆い隠して部屋を見渡す。

 隣の部屋から子供たちが「おきたー」「おきたー」と無邪気にはしゃぐ声が聞こえてきて、子供たちに袖を引かれた男が亡霊を前にした気迫を別人のようにけだるそうに足を引きずってきた。


 少女は直ぐに、軽く身丈を整えて、感謝を口にする。

 まだ、体を見られた恥ずかしさやら、魔力にあてられて倒れた情けなさやら、いろんな気持ちが胸の中でとろけ合って、顔は熱いままだけど。


「この度はお救い頂きありがとうございます。女英傑の親愛なる臣下、いえ、かの御高名な秘宝の魔術師、英雄であられるダイス=アルスター様にこのような地でお会いできたこと、嬉しく思います」


 それから、とわざとらしく付け足して悪戯っぽい声音で少女は告げる。


「体のまでして頂きまして、」


 小さな反撃を込めて、照れさせてやろうと思ったけど。


「ああ、だったか、遠慮なくやらせてもらったぞ」


「…………」


 男は平然と、おどけて見せることもなく言うのであった。

 純粋な治療であって、欲すら薄そうなこの男が色情のままに服を向くようなことは考えられないけれど、でも。

 今までも、もし、言葉の意をそのまま飲み込むような愚か者がいれば、返り討ちにしてやった。

 だから、興味なさげに何かを淹れる男の背中に、乙女としての怒りが芽生えていることに少女は自分で驚きながら、男に見えない程度に睨みつける。


 砂糖を口の中に詰めたような甘い香りの漂うカップを差し出して男は独り言のように言う。


「三日後……」


「三日後には周期では大きな波が来る、お嬢さんは帰った方がいい。あの程度の魔力に当てられているようでは、少なくとも中毒か、死ぬぞ」


 低く沈んだ声音は、この地で生き延びる者としての純粋な命の警鐘。


 きっと彼は、この生死の分かれ目の地の守護者として、多くのモノを見てきて、その上で、少女に対して告げるのだ。君は、まだ命を尊ぶべきだと。

 少女もまた、無関心の英雄が自分に何を伝えたがっているのか、よく理解できた。きっと、不器用な人で、これが、彼なりの精一杯の優しさで、愛情のようなもので。


 ――それでも。私は。


「いいえ。いいえ、私はここにいます。確かに、宝石の姿が見えて、舞い上がってるのだけど。それ以上に、私がここで、あなたという人間を知りたくなった。世界からいなくなったはずの英雄が、この死の土地で生者の守護者として在り続ける姿は、見て、伝えねばと思うのです」


 真摯に男を見据える双眸は、彼女の言葉の端々まで嘘がないことを証明していた。

 男は呆れた様に大きく天井を仰いでから、長い嘆息をついた。


「やっぱり、君だよ」と少女に聞こえない声で呟いて、


 それから、大きく肩を落として、子供たちの中から三人の女の子を寄せて耳打ちをする。


 短髪の女の子はぱぁっと嬉しそうな笑顔を、三つ編みの子は戸惑いを表情に浮かべて、長髪の子は無表情のまま男の言葉に、コクコク、と頷いていた。


「お嬢さん、子供は嫌いじゃないな?」

「え、えぇ、まぁ……」


 少女は男の唐突な質問に曖昧に首肯を返す。男が子供たちの背を優しく押し出すと、元気な短髪の女の子が、少女の手を引く。


「いっしょに、お風呂に入りましょう? わたしたち三人と。お父様が入ってらっしゃいって…………だめ、かしら?」


 幼げな顔に不安そうな表情を浮かべると、肉食獣を前にしたか弱い小動物を思わせて、少女はぐっと、息を呑む。


「ええ、行きましょう」


 ああ、それから、と男が呼び止める。


「旦那様は、気持ちが悪い、名前でも何でもいいそこだけ考えといてくれ、と」


 顔を歪めて、本心から言ったようだった。



£££



 どうみても、普通の子供じゃない。


 長髪の女の子の背中を洗いながら、少女はそんな感想を抱く。手に触れる、小さい子特有の体温と、瑞々しく、羨ましさすら覚える柔らかな肌。

 髪に着いた泡を、艶やかな長髪を梳くようにシャワーで流してやるとくすぐったそうに笑う。


 この子たちは、本を核に、男がつくり上げた人形のはずだけど。まるで、妹の世話をしているようなくすぐったさを覚えてしまう。


「さぁ、三人とも、湯船につかるのよ」


「はぁーい」


 三人がきっちりと湯船につかっているのを見届けてから、湯気で曇った鏡にお湯をかけて、立ち上がった自らの裸身を映し出す。


 絵画に描いたような芸術的な女性的な体の曲線美、陶磁器の白い肌を、水に濡れた金糸の髪がさらさらと流れ落ちる


 そして、肝心の脇腹には。


――宝石魔術による魔素中毒


 痛みを覚えた脇腹は、肌が切り傷のように裂け、その傷口が結晶化している。ルビーが自分の体の一部になったようで、絹の肌と相まって、嫌な気はしなかった。


 ただ、中毒の進行度が異様に早い。


――いいえ、あと少し、体の少しくらいくれてやるわ。


 痛みも、苦しさもない。体はまだまだ、動かせる。ここまで来たからには、至高の宝石を見つけ出す。

 そして、男の異様な魔術。私は、見届けなければいけない。そんな使命感のような強い感情が芽生え始めていた。

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