第一話 幻惑の家
これはいったい、何の冗談だというのか。
男の家に上がり、目にしたのは数々の骨董品。宝石以外興味のない少女にとって、詳しい価値ははかり知れないが、そのどれもが一級品の品々だと理解できた。
金の懐中時計に、背丈ほどの象牙。小瓶に入った小さな死霊。
ぶら下げられたハンモック、ペルシャ絨毯のような色あざやかな毛布が寝起きのままに放置された大きなベッド、机の上に並べられた六つのカップ。
同時に、そのどれもが子供たちのための空間だった。
男は言った。
俺は望んでこの幻覚に浸っていると。
思いもよらない、異質と恐怖が目の前に。けれど、私のやることは変わらない、と。少女は宝石商としての矜持を思い出す。
旅先の土地で宝石を探すとき、その土地に縁の深い人を見つけ、その土地の話を聞きなさい、と。
それから、
想い出話というのは、その人にとっては宝石のようなものだ、と。宝石が地中で月日を重ねた結晶だとすれば、人にとっての思い出話は、その人が歩みそれまでの生涯をかけて積み上げてきた世界でもっとも希少な結晶に他ならないと。
ゆえに大いなる対価が必要であることが道理。
「……そのことは分かっているわ」
小さく独り言ちた少女に、男は訝し気な表情を見せたがソファーに沈み込むように座り込んだまま少女の出方を窺っている。
深く、深く、深淵を見据えるような男の暗い瞳に、少女は脇腹に抱える痛みを臆する自分を奮い立たせて、
「あらためまして、ご挨拶を。辺境の小さなお城の旦那様。わたくしは宝石商の 。私はこの土地にとある宝石を求めてやってまいりました。もしよろしければ、この土地のお話を聞かせてはもらえないでしょうか?」
それから、すぅ、っと一段と深く息を吸って。
「もし、対価が必要とおっしゃられるのであれば、わたしが尽くせる限りで応じましょう」
顔を上げて、その男の口元からこぼれた言葉に身を固くした。
「女英傑の宝石、か……」
宝石の事を知っている?
面倒くさそうに大きなあくびをして、男は立ち上がる。
「話か、話、ねぇ……」
「この土地を、宝石を探りたいなら拠点としてもらっても構わない。……ただ、僕から話せることはなにもない」
子供たち一人ひとりの頭を撫でて、男は少女の横を通り過ぎる。
「どこへ、……どこへ、いくのですか?」
「ん?」
そうだなぁ、と言葉を選ぶような素振りを見せる。
「少々、お嬢さんの宝石魔術が優秀過ぎたみたいだ。子供たちの損耗が激しいみたいだ。直すために宝石を取りに行く。……あんたは、来る、というんだろうな、魔術師や、宝石商ってのはそういう人間だ」
宝石? この地に天然の宝石があるとは聞いたこともなかった。
「待ってください。私も、私も連れて行ってはくれませんか?」
どこか嬉しそうにやっぱりか、とつぶやいて。
「連れていく気はない。勝手にすると良い」
「ええ、ありがとうございます」
離れていく草臥れた背中を、トランクを抱えて急いで後を追っていく。
£££
庭を出ると、何度も行き返りを繰り返した、足跡の道をたどっていく。
男は瘴気に対する対策を何も取っていないように見えた。
まるで、自分の庭を歩くような足取りと、瘴気を存分に浴びても変わることのない呼吸。
「ねぇ、旦那様は体を守らなくても平気なのでしょうか?」
少女は薄い魔法壁を、さらに宝石を増やしていく。とてもじゃないが、何もないどころか、今までの魔法壁では浄化しきれない程濃い瘴気が蔓延っている。
男は振り返ることもなく、ああ、と消え入りそうな声で呟く。
ふと、小さな十字架が、ぽつり、ぽつり、と姿を見せ始める。
「こんなところにも、お墓があるのね」
傲慢に、ただ最低限の死者への敬意を示すように、少女は胸の前で手を組んで祈りを捧げた。決して敬虔な信徒なんかではないけれど、この地を訪れ命朽ちた者の為に。
そんな少女の姿をみて、男は嗤う。
「随分と熱心だな、宝石好きの魔術師の癖に」
男の物言いに言いたいことは大体分かる。
宝石商は欲にまみれた職業だし、魔術師というのもまた、時に死者の冒涜も平気で行う人種だということだ。
「そうおっしゃられる旦那様は、こんな辺境の地で子どもなんかをつくって何を為されているのですか?」
知らずに、自らの宝石商という生き方を貶されて、少女は強く言い放つ。すぐに自分の言葉にはっ、と慌てて口をふさぐ。
「ははっ、ははっ、何を為されている? か」
てっきり不機嫌を買うと思っていた少女のぽかんとした顔を見ながら、男はひとしおに愉快そうにくつくつと肩を躍らせる。
「久々だな、そんなことを聞かれたのも」
粗暴に服の胸元から手を引き出すと、その手には、宝石の色彩の奇蹟があった。一粒、一粒が少女の持つものよりも大ぶりな宝石。
「ちょうど、彼らも帰りたいらしい。そうだな、見せてやるよ」
自嘲気味に薄く笑うと、宝石を握りしめた右手を前に差し出す。左手を添えるように、緻密な詠唱が男が紡ぐと、近づく大きな気配に少女は進むはずだった方角へ視線を戻す。
――オオオオォ。――オオオオォ。
初めは、大地が唸った気がした。次に見えたのは、灰色の波。山を一つ飲み込めそうなほど巨大な、波。
そして、それが何なのか理解した。
波の表情の一つ、一つが、人の顔をしていた。潮騒のざわめきは、死者の思い残した怨念の声。それが、数多、軍勢のように、世界の終焉のように押し寄せる。
腰の力が抜けて、少女はその場に崩れ落ちる。
――もし、こんなものが街に押し寄せたら、
街が滅ぶどころの騒ぎではない。死者の厄災に憑りつかれた人々は、己の自我を失い、生きる亡者となり果てる。世界から、生死の境が消えてしまう。
絶望の淵に追い込まれた少女に、小さな光が降り捧いだ。小さな、小さな光であったが、その光はあまりにも暖かくて。引き戻されるように、力の源を見つめる。
男の魔力の込められた右手から、何かが溶け出した。
男は憐れみと、悲しみを織り交ぜに、目を細めて、鋭い息を吐く。
「還れ。還れ。還れ。貴殿ら、亡霊が生者に触れていい謂れはない」
宝石の液体が、男の前で魔法陣を描き、やがて、横一直線へと地を這って広がる。人類の、生きとし生きるのの最後の防壁のように。
「その罪、その咎、その後悔。我は赦しはできない」
亡者の声が一つ、はっきりと少女の耳に届く。
助けを乞うもの、赦しを乞うもの、怨嗟の声をあげるもの。そして、愛する者の名を呼ぶもの。
「ただ! 貴殿らの想いは誰にでもあるもの。それは! 我ら、生けるものも同じであると知れ! 同じく、亡くしたものを嘆き、また噛みしめながら生きている! 貴様ら、亡者がこちらの地を踏むこともまた、生者への冒涜に他ならないと知れ!!」
より一層高らかに、まるで男の風貌に似つかわしくない程の、強い意志を示してこう告げるのだ。
「我、女英傑が臣下の一人。秘宝の魔術師、ダイス=フロー=アルスター。貴様ら亡霊の数多の想い、赦すことはできない! ただ! 彼女の守ろうとした彼の地を踏むことは、赦しはできないと知れ!!」
その名は、女英傑の腹心の臣下、死の土地へ踏み入ったその一人。
少女は、脇腹に抱えた痛みが男の魔力に共鳴して激しくなるのを感じながら、薄れ行く意識で確かに見届ける。
宝石の線が、淡い浄化の光を放って、押し寄せる亡霊の波を溶かしていく。
亡者の全ては、浄化と共に、小さな宝石となって残る。多くのモノは灰色の濁った小石に。そして、一部が結実して、煌きを放つ小さな結晶となる。
「あなた、……もしかして……」
もし、彼の名乗った名前が本物ならば、私が求めたものだ。
それを、確かめないと。
「本当に。ダイス=アルスター、なの?」
「ああ、今はもうその名を被っただけの亡骸のようなものだがな」
その一言だけ聞き届けて、少女は意識を手放すのであった。
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