宝石少女と秘宝の男魔術師
無記名
プロローグ 宝石商の少女
灰色の世界に、一人の少女が歩む。
――死の土地。
誰が初めにそう呼んだか。魔法という奇蹟が技術と呼ばれ、技術の大革新時代と称される今世において、それは、喧伝高らかな新興新聞社カルロス社によるものか、魔導機関によって進歩した人の流れか。それは、そう。それこそ、未だ枯れぬ渇望を胸に歩み続けるこの少女のような宝石商たちに伝わる言葉であったか。
誰もが口を揃えて、呪いの言葉を吐く様に、その土地を呼ぶ。
死霊のごとく薄い灰の雲が、黒の空を漂って。太陽は白く、ぽっかりと空いた穴のように間抜けに浮かんでいる。
少女が地を踏めば、干上がったような罅割れた灰色の地面は、くしゃりと悲鳴を上げて、少女の愛らしい足跡を残していく。
死の土地の静寂は、五感をすべて切り取られたような錯覚を覚えるほどの孤独である。
「さぁ、行きましょう。私たち」
少女は自らの周りを浮遊する宝石たちに語りかける。
黒い男装のスーツを上半身に身に纏い、一方で、ブーツと歩むたびに揺れる黒のフリルのスカートはなんともアンバランスで。
体の半分もありそうな革のトランクを提げている。
死の土地をそのまま照らしてしまいそうな金糸の髪を自由に躍らせて、紅玉の瞳が、行く先を見据えている。
灰色の世界を少女の周りを煌く珠玉の宝石たちが舞っている。
さながら、死の荒野に咲きほこる一輪の花のようで。
少女は自分と反対向きに進む、過去の、誰かの、足跡をたどっていく。
死霊の土地において、風は吹かず、また、蔓延るものは死霊にかぎる。故に、土地の奥から少女が来た街へと向かう足跡は、何かをこの土地で見つけている。
そして、この地を歩む宝石商の少女にとって、何か、とは、至極単純である。
少しだけ前の話だ。
女英傑、がいた。フローリアという名の彼女は、誰もが息を漏らす美貌に、凛と聖女のような強い正義感を持って、民を救済した。貧困に飢え苦しむものに、森の精霊の加護を配り歩き、魔獣との戦争に草臥れたとある王国の兵を率いては、強固な壁を築いた。争い合う部族には、自らの話術で魅了し、平和をもたらしたとされる。そんな、女英傑の話は世界中に散らばり、盛りに盛った与太話まで散見される。
ただ、一つ。そんな英雄の話は終わりがある。
女はある日、思い出したように声を上げた。「私は次に、死の土地と、それに苦しむ人々を救わねなりません」と。
国の王が、救ってきた民が、腹心の臣下が、誰もが止めたという。「いくらあなた様でも、人の生死に関わる確執は救えるはずがない」と。
ただ、女は言いました。「それは、救おうということ自体を誰もしていないのではないのでしょうか? だからと言って、私が救えるとは言いません。ただ、力を持つものが向き合いもせず、目を背けるというのは私はやりたくない」と。
いつからか、祈りの際に胸に抱えるようになった宝石を強く握り、謙虚で、祈るような言葉に、その女の憂い気な横顔を見た人々は、誰一人として一言も声を上げることが出来なかった。
そして、死の土地へと踏み入った女と三人の臣下の姿をその後に見たものはなかった、と。
宝石商にとって、女英傑の生死は興味の大きなことではない。
それほどまでの英雄が最後まで手放すことはなかったという宝石にある。
そして、その宝石は、臣下の魔術師が愛を囁くために女英傑にささげた至高の宝石とまことしやかに噂される。
その宝石を見るというのは、宝石とその神秘を探求する者にとって共通する夢の一つだ。
――すでに宝石を見つけた人がいたとしても。私は。
少女は自分の目的を噛みしめながら土地を進む。
一段と、濃くなる瘴気に柳眉を歪ませ、身を守るバリアの密度を上げようと、革のトランクから一つの宝石を取り出した、その瞬間だった。
ごうっ、と暴風が肌を撫でるような重圧と共に、死んだ土地に、庭が一つ現れた。白い家に、芝の庭に色鮮やかな花が咲いて、そこで、少年少女が満面の笑みを振りまきながら楽しそうに遊んでいる。
何もないはずの死の土地に、家が現れた。
「ありえ、ない……わ……」
思わず大きな瞳をさらに見開いて、確かめるようにゆるりと大きく首を振るう。
だが、やはりそこには一つの庭がある。知らず、喉が鳴り。それでも、少女を突き動かす好奇心は、未知への恐怖を悠々と乗り越えさせる。
――魔素中毒による強い幻覚現象。もしくは、本当に住んでいる人がいるか。
どちらかよ。と自分に言い聞かせるように
魔素中毒はしばしば、魔導機関の排出する環境汚染物質による、病気として呼ばれるが、元は術者の器を遥かに超えた強力な魔力を受けた際に、幻覚や体調不良を引き起こす症状の事を指している。
魔物による幻覚を利用した狩り、という可能性もありうるが、こと、死の土地においてはあり得ない。
そのことを少女は冷静に分析しながら、トランクに荒く手を突っ込んで持てるだけの宝石をつかみ取る。あの景色の正体を理解したとき、適切な動きをとれるように。後は長年の自分の宝石商として、宝石魔術師としての勘に祈るしかない。
「こんにちは」
トランクを地面に置いてから、庭と死の土地の境界で少女は屈んで子供たちに微笑みかける。
子供たちは、急に幽霊が現れたかのように、ぎょっと驚いた表情を浮かべては家の中へと駆け込んでいってしまう。
「…………あれ? 失敗かしら?」
取り残された少女は小首を傾げて、スカートを払って立ち上がる。
子供に逃げられてしまっては仕方ない、とぎゅっと胸の前で祈りを捧げて、玄関へ向かう。
しばらく待っても家主は顔を見せないようで、少女は、小さく息を吸い込んで、扉をノックする。
ガチャリ、と扉が開いたとき、この現象の正体に気づいてしまった。
男から流れ出るのは身の竦むような強力な魔力。
きっ、と噛みそうな奥歯と、高まる緊張感を限りなく薄めて、ゆるい雰囲気を意図して浮かべる。
「はじめまして、旦那様。わたしは、宝石商のフロー=ルビエールと申します」
さっ、と左足を引いて、スカートの裾を軽く摘み上げ、深々と頭を下げ、優雅にその所作をこなす。
「……ああ、そうか。ああ、そうか、また旅人か、はぁ」
男は少女を見ようとせず、遠い空を眺めるように話す。その背中から六人の子供たちが覗いている。
――おそらく、この子たちは。
魔素中毒による男のつくり出した幻覚。
この男が悲哀に暮れて、助けを求めて、この幻想に浸り、逃げているのだとしても、これは、間違いだ。
だから、私は。
「ああ、旅人さん。入っていくといい」
「ありがとうございます。それでは、お言葉に甘えさせて頂きますね」
男が背を見せる。
少女はいっぱいに握り占めた宝石に魔力を籠めて浄化の呪文を紡ぐ。
「くぅぅぅぅぅっ……!!」
脇腹に走る鈍痛を堪え、二つの強力な魔力揉み合うように溶けていく。
子供たちの輪郭が光に溶けて、本が現れる。この男の幻想の子供の核。
――あと一歩。
ゆるく瞑目する。どうか、救えますように、と。聖女のようになれないけれど、私に出来ることは尽くしてみよう。唇を引き結んで力を籠める。
男がゆらり、と振り返る。その気配に
「なるほど……」
「え……?」
男が口を開くと、弾けるように籠めた浄化の魔法が消えていく。
「な、なんで!?」
「殺そうとはせず、救おうとしてくれたのか……」
「何を、言って……?」
男は何故か楽しそうに口元を歪めて、語る。その真相を。
「僕が、中毒だと踏んで、浄化をしてくれたんだな。なるほど、幻覚に溺れている僕を救おうとしたわけだ」
「だが、自分の身を案じたときにそれをする奴はいないさ」
ああ、それから、と男は平然と紡ぐ。
「ああ、それから。僕は中毒でも何でもないさ、この子たちは僕が望んで作ってるのさ」
確かに、魔素中毒で、特に、愛したものを失った人が身を超えた魔力によって、幻覚へ逃避するケースだと思って、浄化を試みたけれど。
自覚があって溺れている。
そんな狂気はあり得てはならない。その言葉は喉に詰まって出てくれない。
「宝石商のお嬢さん、あなたは何を求めてこの地に来たんだい? さあ、改めて。ようこそわが家へ」
それは、悪魔の誘いであり、私が求めた答えへの最善の近道だった。
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