第7話「上代先輩と最後の夜と酒」
猶予期間は今晩さ。明日の朝を迎えれば、日本酒好きの女子大生は完全に日本酒になる。信仰する側から、される側になれるんだ。感謝してほしいくらいだよね。
そう言って、おっさんは天井を貫いて消えていった。俺が髭を踏んでいたので、途中で切れた髭がごっそり床に残ってしまった。
「今晩が最後……」
上代先輩と過ごすことのできる、最後の夜。
「うん、なんとなく分かってたんだ。だんだん、手の感覚とか、舌の感覚が薄れていっててね。人じゃなくなるって、こういう感じなのかなとか思ってた」
「どうして言ってくれなかったんですか」
「トウくんと、いつも通りの時間を過ごしたかった」
先輩は、諦めたように笑っていた。
「逃避だよね、結局。私、自分が日本酒になったんだって分かった瞬間から、いつか人でいられなくなるんだろうなって直感した。でも、それはすごく嫌だった。人でなくなったらトウくんと一緒にいられなくなるから。現実を見ないで、日常を過ごそうとした。トウくんと過ごすために」
目元に涙が溜まる。今にも溢れ出しそうなほど。
「私、トウくんのことが好き」
悲しい笑みだった。
涙とともに溢れ出した言葉だった。
「ごめんね。ここでこういうことを言うのは、本当にずるいと思う。最後まで言わないのが正解なのかもしれない。でも、ごめん、無理だよ。だって好きなんだもん」
先輩の頬を、涙が伝っていく。
「私、酒飲んでばっかりで。酒臭いからって避けられてることも多くて。お酒付き合ってくれる人もいなかった。だからトウくんに会えて本当に嬉しかった。一緒にお酒を飲める時間が楽しみだった。ずっと好きだった」
「先輩……」
「私……」
俺は指先で、先輩の涙を拭う。舐めた。
美味しいけれど、ほろ苦い味。
そして先輩を抱きしめた。
「トウくん……」
「俺も先輩のことが好きです。付き合って下さい」
先輩は酔っぱらいだが、素敵な人だ。
俺は、先輩との関係を壊したくなかった。上代先輩と楽しく酒を飲める関係を続けたかった。変に好意を抱いてしまったら、この楽しい日々が失われてしまうのではないかと思っていた。
けれど、それはもう無意味な心配だ。
「でも、私、明日で……」
「構いません。先輩が好きな気持ちに変わりはない」
「トウくん……」
先輩は目を閉じた。俺は唇を触れさせる。舌を突っ込んだ。溢れんばかりの愛を感じるような柔らかい舌触りはそのまま、米と先輩の香りが混ざり合い、そこにあったのは至高の日本酒、もとい唾液だった。
「トウくん、あの……」
「ええ、分かってます」
外はすっかり暗くなっていた。手を繋いで、上代先輩の家まで向かう。先輩の車に乗り込むと、近所のラブホテルの住所をナビに打ち込んだ。
最後の夜が始まる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます