第6話「上代先輩と擬人化と酒」

「そこの上代先輩とやらは今、人の姿をした日本酒なわけだけどもね。要するに、それって擬人化ってやつよ。擬人化。ロマンだよね。夢があるよね。擬人化」

「夢みたいな話ではあるが」

「うんうん、まあそう感じるのも仕方ないけど、現実だから諦めてね。でもさ、そもそもどうして擬人化なんて文化が存在するのか理解しているかな。分かってないよね。うん、だから、おじさんが彼女を擬人化した意味を教えてあげるんだよね」


 髭面のおっさんは語り始めた。


「結局は、人間の恐怖の話さ」


 人は理解できないものを恐れ、拒絶する。全容の分からないものを忌避する。ゆえに人が理解できる形に落とし込む。人命を奪う自然、解明しきれぬ病、制御不能な現象をかろうじて理解するために、人はそれらに人格を付与した。

 神と呼ばれるものたち。

 相手が人と同等の意思、感情を持つと解釈すれば、あらゆる物事に理由がつけられる。


「だから何だっていうんだよ」

「だから神ってのは擬人化で、擬人化は必要って話さ。何においても」

「私が日本酒にされたこととどう関係があると?」


 自称神様はへらへらと告げる。


「神がいないのよ、困ったことにね。日本酒の神が。するともっと困ったことに、そのうち日本酒が消える」


 ものを理解できるように神が生まれた。神がいなければ、ものを理解できない。

 理解できないものを、人の世は拒絶する。


「だから日本酒に、神様になってもらったというわけよ。ありがとね」


 おっさんの話は一段落のようだ。長い髭を右手ですくい上げ、靡かせている。先端に付着していた汚れが飛び散った。汚い上に迷惑だ。

 いくつか確認したいことがある。上代先輩も同じのようで、二人で頷きあうと、おっさんに疑問点を投げつけていく。


「どうして日本酒の神様がいないんだ?」

「その代わりに私を選んだ理由は?」

「それで神様になったとして、何が起きる? 先輩は今まで通りの生活を送れるのか?」


 近くから椅子を持ってきて、座るおっさん。動作が遅い。歳を感じる。


「君たち、仲いいよね。えっちなことしてるの?」

「まだしてないわ」

「する予定あるんですか?」


 初めて聞いたぞ。そもそも先輩と俺は付き合っていないのだが。


「見知らぬおじさんにそういうこと言っちゃ駄目だぞ。でもせっかくなのでありがたく使わせてもらいます」

「見知らぬおじさんだという自覚はあったのか」


 あと使うってお前。


「よし、それじゃあ順番に答えてあげよう。どうして日本酒の神様がいないのか。それはおじさんが消したからです。こないだ神様同士で飲み会あったんだけど、日本酒の奴、身体から日本酒が染み出してくる……常に酔ってる状態なのつらい……頭痛い……もうやだ……とか言って大変そうだったから、その場で消してあげたんだ。おじさんは優しいからね」


 酔っぱらった勢いで人を殺した、みたいなことを言われた。

 殺されたのは人ではなく神なのだが。


「次。代わりを上代先輩さんにしたのは、日本酒好き評価A以上の日本人リストで女子大生だったのが君だけだったからだよ。やっぱさ、同僚になるなら若い女性の方がいいかなあと思って。おじさんはできる神様だからね」

「……はあ」

「え、女子大生好きでしょ? おじさんは好きだよ」


 頭を抱える。酒が欲しくなってきた。

 やけ酒は翌日に響く上、精神にも肉体にも悪影響を及ぼすが、人生には一瞬だけ記憶を飛ばしたいときだってある。今このときのように。


「最後。上代先輩さんが日本酒に、もとい神様になったらどうなるかというと、」


 おっさんは俺の苦悩を気にした様子もなく、平然と、


「人と関わることができなくなります。人間じゃないからね。まだ人と日本酒の狭間をふわふわしてるから話せるけど、そのうち彼女を認識できなくなるよ。記憶もなくなる。今は猶予期間みたいなものさ」


 平然と、おかしなことを言った。

 俺は聞き返す。


「……何言ってんです?」

「マジよ、大マジさ。神様と人間じゃ、そもそも在り方が違う。本来神と人は交わることがないのだから、こうして会話できてることが奇跡なんだよ」


 もしかして、夢でも見ているのではないだろうか。

 先輩と話していたことすべて、おっさんに聞いたことすべて、酒に酔った俺が見ている悪夢なのではないかと思う。

 けれど、俺の本能はおっさんの言葉を真実だと確信していて。


「そんなの間違いですよ、ねえ先輩」


 もちろんそんなわけないよ、との返事を期待した。

 私がいなくなるわけないじゃないかと言ってほしかった。


「…………」


 なのに、先輩の淋しげな表情が、どうしようもなくおっさんの言葉を肯定していた。

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