解説という形式なので「かえらばや」について一応の注釈を加えておくと、これは「帰る」の未然形に願望の終助詞「ばや」が接続された形であり、要するに「帰りたい」である。


 またこの二段落は「ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ」に対応する形を取っており(対句)、詩としての形式を整えると共に、反復法によって感情の表現も成されている。……戻ろう。つまり「その二」で言及された「帰りたい」という感情から「その三」へと続いていくわけである。


    その三


 銀の時計をうしなへる

 こころかなしや

 ちよろちよろ川の橋の上

 てすりにもたれていてをり


 ここで語られている「銀の時計」とは何を指すだろうか。


「銀時計」ということであれば立派な人物が身に付けるものとして、成功や出世の暗喩として受け取ることができるだろう。あるいは「時計」に注目すれば、時間――それも「銀の」――として、思い出などと解することも可能である。どちらにしてもここでは作者にとって大切な何物かであろう。彼はそれを「うしなへる」。


 夢破れたことを意味するか、それとも過ぎ去ってしまった日々への憧憬か、ともかく彼は喪失的な何事かを思い、「ちよろちよろ川」の侘びしい光景を「欄」越しに眺めて「唏いて」いる(青空文庫版では「泣いてをり」と表記)。


 そして「その四」である。


    その四


 わが霊のなかより

 緑もえいで

 なにごとしなけれど

 懺悔の涙せきあぐる

 しづかに土を掘りいでて

 ざんげの涙せきあぐる


「わが霊のなかより 緑もえいで」。……この箇所に目を通すと、私は幼少期に目にしたような新緑を思い出す。実際にそのような場面があったかは定かではないが、陽射しを背に受け輪郭を輝かせる、あの瑞々しい葉や梢が思い浮かばれる。


 勿論これは個人的な感傷だ。しかし、「わが霊」――すなわち魂の中から、「緑」が「もえいで」るという文脈からは、私には他の読解を行うことができない。まるでそれ以外の解釈は元から存在しないとでも言うように、私の思考はこの場所へと磔になってしまうのである。


 なので僭越ながら、この方向で進ませていただこう。思い出の中の「緑」が思い浮かばれてきたことにより、彼は「なにごとしなけれど」、「懺悔の涙」が「せきあぐる」のを感じている。自発的ではない回想によって、自分の意志とは関わりなく涙が溢れてきてしまうのを感じている。


 次段の「懺悔」の表記が「ざんげ」と変わっていることも、この解釈を後押しすると考えて良いかも知れない。今現在の彼であれば「懺悔」であろうが、幼少期の自分自身と一体化した彼には「ざんげ」なのである。その涙が「しづかに土を堀りいでて」「せきあぐる」――埋もれていた記憶から静かに立ち上り、やはり自分の意志とは関係なしに、である。

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