前回の読解をまとめよう。端的に言い表せば、記憶の非自発的な想起と過去の自身との同一化である。「ざんげの~」で心象風景と記憶とが重ね合わされ始めており、まるで『雪国』冒頭のような二重写しの様相を呈しつつある。


 なればこそ、「その五」で歌われるのは幼少期の記憶である。それも時間の隔たりを乗り越えて幼い彼の視点で、しかし今現在の彼が有する技巧をもって、過去の記憶が全く安らかな調子で歌われる。


    その五


 なににこがれて書くうたぞ

 一時にひらくうめすもも

 すももの蒼さ身にあびて

 田舎暮しのやすらかさ

 けふも母ぢやに叱られて

 すもものしたに身をよせぬ


 ここにあるのは一種の形式である。詩歌の伝統に則ったリズムによる、まるでお手本のような七五調である。


 完成された形式による「やすらかさ」が行間から滲み出していると言えるだろう。そして、完成されているが故に前進も後退もない足踏みのような停滞がある。言い換えればこの停滞の中にこそ、「やすらかさ」がある。


 だが、同様の停滞こそが今現在の彼を苛んでいるのではなかったか。異人としての疎外感を味わい、「ふるさと」を思い涙し、「かへらばや」と彼に言わしめたのも、この停滞が理由に他ならないのではないか? ……それだから「けふも母ぢやに叱られて」「すもものしたに身をよせぬ」かつての自分と感情を同じくして、彼は「あんずよ」と呼び掛ける。


 安らかな形式を破壊するまでに強い希求の念が、断片的な語句の奔流となってここに溢れ出す。語句を変え表現を変えて、焦燥にも似た強い調子で彼は何物かに向かって呼び掛け続ける。恋い焦がれるような純粋な願望をもって、あるいは停滞を打ち破らんとする意志の叫びでもって、「さびしや」から始まったこの作品は締めくくられる。


    その六


 あんずよ

 花着け

 地ぞ早やに輝やけ

 あんずよ花着け

 あんずよ燃えよ

 ああ あんずよ花着け


(了)

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