応援コメント

横光利一「機械」」への応援コメント

  • 主体性を失わんとしている、っていうところなんですけど、私はむしろ自ら主体性(これもし専門的な意味で使ってたらすみません)を放棄しようとしている感じで読んでいたので、大変新鮮でした。軽部と屋敷両人に疑われた「私」の思考を見るに、あのあたりからすでに、自分に対する信頼がゆらぎはじめてるのかも……?

    作中を通して「計る」って言葉が何度か出てきますが、「私」自身が「法則」になったり、「私」たちの関係性からなる小さな社会が「法則」になったりしているような気がしました(だからなんだっていうかんじですが……)。

    ……とりあえずサルトル読みます。読めるのかしら。(笑)

    作者からの返信

    サルトル読むなら彼の『実存主義とは何か』がとても分かりやすいのでおすすめですー。……セルフ入門書みたいな感じでそれほど深くはありませんけれど。

    主体性の放棄って見方は自分も新鮮でした。視点のせいかも知れませんがたしかに終始、主人公は客観的に自分の心理を叙述しているので感情とか「自分」とかがあまり見えてこないですし。言い換えれば客観を重視しすぎているきらいがががブーメラン。

    ……あとこれはあまりにもなので「分からないままでいたい」とかぼかしたんですが、「機械」も「歯車」も彼らが見てしまった幻想だって説はどうでしょう? いや勿論現実のものじゃないんですけれど。
    知的(感受性豊か?)であるが故に、そもそも存在しないような「法則」を現実に見出してしまったことが、彼らの破滅だった、みたいな。

    ただ仰るように、「私」含む共同体の関係性が一回りして「私」を再規定してしまったということなら、サルトルのようわからん「“廻転装置(トゥルニケ)”」がすんなり飲み込めるんですよね……ぐるぐるしてきました。

    編集済