第12話 サヨナラ
「どこに行くノ? 仕事もしないで、一体何をしているノ?」
その声は、本当に五〇番さんが発したのかと疑いたくなるようなものだった。ノイズが混じりの声を震わせている……震わせているつもりなんだ。怒っているから、あんな声を出しているんだ。
「ボクの位置からは見えたんダ。キミとトモダチくんが、工場の側でこそこそしているのがネ。調子が悪いふりをして、仕事から抜けてきたんダ」
少年に一歩近づく度に、がしゃがしゃと無機質な音が響く。それは、少年には出せない音だった。
「工場の裏に、こんなところがあったんだネ。どこに繋がっているノ?」
少年は答えあぐねた。しかし、ここまで来たら、もう話すしかない。
「外の世界だよ」少年の声も震えていた。「外の世界に繋がってるんだ。ボクはこの街を出ていく」
五〇番さんの歩みが止まる。きっと、「外の世界」に反応したのだ。五〇番さんは「外の世界」の存在を信じていない。少年は次に何を言われるかを予想した。五〇番さんはこう言う。「夢を見ていないで、帰ろう」と。
しかし五〇番さんは、少年の予想したものより、ずっと簡素な言葉を言った。
「仕事ハ?」
少年はあっけにとられた。
「ボクたちがいなくなったところで、仕事に支障は出ないよ。食べ物を選り分けるだけだ。ボクは必要ない」屹然と答える。
「ご飯はどうするノ?」
「外の世界には、ここよりたくさん食べ物がある。探さないといけないけど、何とかなる」〝友達〟に教わったことをそのまま話した。
「寝るときはどうするノ?」
少年は〝友達〟の背中を指差した。鞄の上に、縛られた毛布が載せられている。
「……不用心ダ」五〇番さんはうつむき気味に首を横に振った。
「大丈夫。〝友達〟がいる」
少年がそう言うと、五〇番さんは〝友達〟を見た。青色の瞳が、つぎはぎの胴体を映す。
「帰ってきなさい」
「嫌だ」
「どうして? 仕事が嫌いになったの? ここに居ればご飯に困らない。居心地は悪くても、安心して眠れる場所がある。進んで危険を冒さなくてもいいのに」
そこで初めて〝友達〟が声を発した。
『キミ、ト、彼ハ、違ウ』
「黙ッテ!」
五〇番さんは興奮している。今すぐにでも少年を連れ戻そうと思っているのだろう。五〇番さんの右脚がわなわなと振るえる。あの震えが止まり、一歩でも前に進めば、後は少年に近づくだけだ。
そして、五〇番さんが右足を踏み出そうとしたとき。少年は意を決してこう言った。
「ボクは、大きくなりたい」
ぴたりと五〇番さんが止まった。まるで透明な壁にぶつかるような止まり方だ。止まった衝撃でがくんと上半身が揺れた。
少年はかまわずに続けた。
「この街のこと、嫌いじゃないよ。みんなには意地悪されるし、機械の音はうるさいし、外の世界より空気は汚い。でも、この街のことを嫌いだなんて、思ったことはないよ」
「それなら……っ」
「でもね、五〇番さん」少年は真っ直ぐに緑色の瞳を見つめた。「ここに居るだけじゃ、ボクは大きくなれない。何も知らないまま、この街で働き続けることになる。それに、ボクはもっと、色んなものが見たい。何も知らないまま、朽ちたくない。ボクの知らなかったことがこの先にある。それは、この街では手に入らないんだ」
少年は五〇番さんに背を向けた。
「……行くよ」
この街の人たちに、少年を理解することはできない。少年と彼らは全く違う存在だ。彼らの生き方を、もう、少年は理解できなかった。
少年がちらりと〝友達〟を見る。〝友達〟はこくりと頷いた。
ふたりは、暗い洞窟の奥へと進んだ。振り返ることはない。しんと冷えた空気が外の世界から手を伸ばし、少年の頬に触れた。心地いい。ワクワクする。それは同時に恐怖も呼び覚ました。
安寧と安楽の景色は、遠く、小さな点となって消えていく。
洞窟の中に、鉄扉の閉じる音が寂しく響いた。
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