第3話 変なもの

 少年が仕事場に向かうと、いつもと雰囲気が違うことに気が付いた。何やらとなり同士でひそひそと話していて、少年が来たことに気づいた様子もない

 定位置につくと、五〇番さんが抑えた声で話しかけてきた。手は食料を選り分けているが、その動きはそわそわと落ち着きがなかった。

「4時間くらい前に、〝変なもの″が流れてきたんダ」

「変なもの?」

「うん。あれ、なんだろうネ。ボクには分からナイ」

 少年は目を見張った。博識な五〇番さんでも分からないことが、この世にあるのだろうか。少年は珍しく、寝床にある作りかけの人間以外に興味が沸いてきた。

 五〇番さんに尋ねる。

「それって、今どこにあるの?」

「スクリーンの下。みんな仕事どころじゃないし、今のうちに見に行くと良いヨ?」

 お言葉に甘えて、少年はスクリーン下に向かった。そこは人間でごったがえしていた。彼らの囲む中に机があり、その上に例の〝変なもの″があるが、少年のところからは見えなかった。何とか前に進もうとするが、少年より大きな身体に阻まれて全然前に進めなかった。肩を落として五〇番さんの元に戻った。

「いいの?」

五〇番さんが聞いた。

「辛抱強く待ってみれば」

 少年は首を横に振った。

「無理に見たいものじゃないし。それに、もしかしたら、また変なものは流れてくるかもしれない」

 その少年の言葉が当たった。他の作業員は、スクリーン下にある〝変なもの〟に気を取られていた。コンベアで作業しているのは、少年たちを含めた数人しかいない。だから、それに気づく人がいなかった。食料を選り分けていると、大量に流れてくる食料に隠れて、薄い箱のようなものが目についた。

 手に取ってみて分かったが、それは箱ではなく紙の束だった。何十枚も重ねられていて、それぞれが離れないように一辺が糊付け《のりづ》されている。

 少年がそれを五〇番さんに見せると、

「それ、今みんなが見ている〝変なもの〟と同じ形だネ」

「そうなの?」

「うん。それよりもう少し大きくて、なんだか見たことのない文字がたくさん書いてあった」

 開いてみたら、と五〇番さんが提案する。少年は頷いて、ぺらりと薄い紙をめくってみた。紙は白色――それも、薄汚れて黄ばんでいるもの――と思っていた。それだけに、めくった紙の裏側が青色や緑色、他にも見たことのない色で塗りつぶされているのに目を見張った。ところどころ文字が書かれているが、それよりも色が塗られた部分の方が多くを占めている。

 少年の様子を見て、五〇番さんが聞いた。

「どう?」

 そう聞かれ、少年は中身を見せた。

「これは、草原の絵だネ」

「そうげん?」

 初めて聞く言葉だ。

「うん。ボクも噂でしか聞いたことがないんだけどネ。あの壁の向こうには、うんと広い空き地が広がっているんだって。丁度、この絵みたいな感じで」

「壁の向こう側に?」

「なんでも、この街より広いんだって」

 信じられなかった。少年にとって、この街が世界のすべてだったし、広すぎて行けない場所だらけだった。それなのに、あの壁の向こうに、少年の知らない世界があるというのだ。

 少年は手元の紙束をじっと見つめた。

「五〇番さん。これ、貰ってもいいかな?」

 五〇番さんは少年の真意を測りかねているように首を傾げた。何事かを考えているようで、両目の青と緑が交互に点滅している。

「いいんじゃない。ボクたちの仕事は食べ物の点検だからネ。食べられないものを取り除いただけだ。持って帰っても、誰も文句は言わないヨ」

 少年は嬉しげに、足元の籠の中に紙束を収めた。


 少年は眠気が来そうな時間を感覚的に知っていた。だいたいこれくらい働けば眠くなる。完全に眠りに落ちてしまう数時間前には、五〇番さんに言って、仕事場を抜けるするようにしている。

 籠の中から例の紙束を手に取り、少年は五〇番さんに一言置いて工場を後にした。そのついでに、電気回路を作っている工場で発電装置を借りた。もう、不良品たちから部品を頂戴ちょうだいする必要は無かった。

 寝床に戻ると、少年は持ち帰った紙束を真っ先に開いた。

 一ページ目には、五〇番さんが「草原」と称した絵が出て来る。少年は忙しなく次のページをめくった。同じような草原が紙の中央に描かれている。しかし、その周りの色が変わっていた。青だった部分が茜色に変わっていて、緑だった部分は少し黒ずんでいる。絵全体を見ると暗い雰囲気を受ける。それなのに、少年はその絵を「美しい」と思った。

 次のページも、その次のページも、少年の見たことのないものが絵として描かれていた。広い水たまり。背の高い山。そのどれもが新鮮で、少年はすっかり、〝友達〟作りを忘れてしまっていた。


 布団に横になる前。少年は思いだしたように発電装置と人間もどきを電流コードで繋げた。あとは、発電装置のスイッチを押すだけだ。

 スイッチに当てた指が震える。電気を流しても、この人間は動かない可能性がある。それなのに、少年は「失敗する」などとは微塵も思っていなかった。言いしれぬ快感と全能感に全身を支配されている。自分の手で人間を造った。まるで、街の進入禁止区間の扉に手を掛けた気分だ。鍵はかかっていない。あとは、軽く力を入れるだけ。ドキドキと胸を打つ速度が増す。

 二の腕に力を入れて震えを取り、少年は発電装置のスイッチを押した。バチッと空気がはじけるような音とともに電気が発生する。生まれた電気はコードを伝い、人間の体内へと流れ込む。関節の隙間から覗く黄色いコードが明るく光り、瞳がちかちかと明滅し始めた。神経回路が刺激され、活動し始めたのだ。

 瞳の明滅が一層激しくなる。少年は期待に胸を膨らませた。だが、一瞬強く輝いたと思うと、みるみる瞳から光が失われていくではないか。少年は慌てて近寄った。

「待って! お願い、もう少しだから!」

 萎れかけの花びらに声を掛けるように、その声には焦りが滲んでいた。ぶぅん、と低い風鳴りのような音と共に、吹き込んだはずの命が抜けていく。

 少年の心に寂寥感せきりょうかんと虚しさを残して、最後の一滴まで絞りつくすように、人間の瞳から光が消え失せた。

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