第2話 五〇番さん

 少年の仕事場は街の西側の壁際にあった。

 壁にべったりと寄り添うその工場には、不思議なパイプが通っている。そのパイプは壁の方から伸びていて、工場の端から端まで続いている。最後は下向きに緩やかなカーブを描いて、地面の中へと潜っていた。

 パイプの上部は途中で半円柱様に切り抜かれていて、そこで中が丸見えになる。パイプの中では長いベルトコンベアが地面と水平に流れており、その上でたくさんの食糧しょくりょうが流れていた。

 従業員は食料が傷んでいないか、不審物が紛れていないかを確認する。それがこの工場での仕事だった。

 一目で傷んでいると分かる食料がほとんどだが、そうでないものもいくつかある。例えば、袋詰めの食糧。袋を開けてみるわけにもいかない。そんなときは、工場にある大きなスクリーンに映された八桁の数字を見る。この日は「2983,11,29」とある。袋の裏にも同じく八桁の数字があり、それがスクリーンの数字より大きければ、品質に問題はないと判断する。

 うぃん、うぃん、という複雑な音を聞きながら、少年は食べ物を選別せんべつしていった。

「五〇番さん」少年は隣に立つ同僚に話しかけた。「この緑のものは大丈夫なのかな。腐ってない?」

 五〇番さんはぎぎぎと首を少年の方に向け、手に持たれた食べ物を見た。

「あぁ、コレは〝キャベツ〟というんだ」

「キャベツ?」

「うん。元々緑色なんダ。確か、人参と同じ野菜のハズ」

「へぇ……」少年は感心して唸り声を上げた。五〇番さんは博識だ。

「ときどき、〝レタス〟って野菜と見分けがつかなくナル。野菜って奥が深いネ」

 などと話していると、パイプの向かい側に立つ二八番さんが怒鳴った。

「コラ! 私語は慎め! 仕事中ダ!」

 ふたりは「はーい」と魔の抜けた返事をし、黙々と作業を再開した。


 刻一刻と時間が過ぎる。ベルトコンベアが時間も一緒に運んでいるようだ。時間の上に、別の時間が乗っている。終わってしまっている時間。まだまだ余裕のある時間。

 少年は終わってしまった時間を手に取り、足元のかごに入れる。籠はその場を動かない。時間が止まっているから。しかし、ひとたび少年が持ち上げれば、また時間が動き出す。

 ぐぅっと、少年はのどの奥から深く軽い音が鳴るのを感じた。来てしまった。

 少年はちょんちょんと五〇番さんの肩を叩いた。

「ごめん、ちょっと……」

 五〇番さんは慣れたように言った。

「うん、いつものだネ。大丈夫。ちょっとくらい抜けても、作業が滞るわけじゃないカラ」

「ありがとう」少年は足元の籠を持ちあげる。

「その身体も大変だネ。それなのに頑張ってるキミは偉いヨ」

 そう言われると、何だか照れくさくなってしまう。少年はぺこりとお辞儀をして、そそくさとその場を抜け出した。


 工場には休憩室が用意されている。いくら働き続けられる人間だからと言って、不調がないわけではない。腕が急に動かなくなったり、片目が光らなくなったり。そんなときは休憩する。しばらく休むと元通りになって、また働けるようになるのだ。

 少年が休憩室に入ると、まばらに従業員が休んでいるのが目に入った。白橙色の明かりに照らされて、胴体が鈍く光っている。ひとりが腕にオイルを差していた。働きすぎたのかな。

休憩室を掃除していた七七番さんが愛想よく少年に声を掛けた。

「アラ、いらっしゃい。ゆっくりして行ってね」

 ありがとう、と少年は言い、鉄の椅子に腰かけた。隣に籠を置くと、籠の中の袋が擦れてがさがさと音を立てた。

 袋に詰められた食べ物は痛んでいないことが多い。特に、袋を振って「がしゃがしゃ」と音のするものは乾燥しているものがほとんどで、食べても全く問題がない。逆に、液状の食べ物や缶詰などは危険だ。食べるとお腹が痛くなって、何十時間も寝床ねどこに拘束されてしまう。少年は経験的に知っていた。

 ぼろぼろの服で手を拭き、袋を取り出して振ってみる。乾いた軽い音がする。少年は安心して袋を開けた。ぽりぽりと口に含む。のどが渇いたときは、コンベアからくすねた水を飲む。水は腐らない。三つほど袋を開け終えると、少年のお腹が鳴ることは無くなった。

 食べた後はすぐに動けないため、しばらく休憩室でじっとしている。電球のひとつがちらちらと点滅するのを眺めていると、七七番さんがやってきた。

「ねぇ、面白いハナシがあるンだけど、聞いて行かない?」

 七七番さんはおしゃべりだ。断る理由はないため、少年はこくりと頷いた。

「この前、六九八番ちゃんから聞いたンだけどね。この街の地面の奥に、別の街が存在するンだって」

「地面?」

「地底都市だってさ。この工場のパイプは地面にまで伸びてるでしょう? その先に大きな街があるの。

ためしに地下の階段を下りて、六九八番ちゃんがパイプに耳を澄ませたら、誰かの話し声が聞こえたみたいよ」

「それって、上で働いている人の声じゃない?」

 パイプの中は、コンベアがある以外は空洞だから、話し声が響いて聞こえただけのように思える。しかし、七七番さんは忙しなく手を動かして否定した。

「違うわよぉ。聞いたことない言葉で話してたって言ってたわ。怖いわねぇ。地下では大量の動物を飼育していて、食べ物はそれを育てるために運ばれてるなんて、もっぱらの噂じゃない。不気味ねぇ」

 七七番さんの話はまだまだ続きそうだった。いつまでも休憩室にいては、五〇番さんに仕事を任せたままになってしまう。少年は「仕事に戻らないと」と一言添えて、休憩室を後にした。


 少年は仕事を切り上げて家路を急いだ。五〇番さんたちはまだ働いている。眠る必要もないし、疲れもないからだ。少年の代わりは五〇番さんがやってくれる。彼のおかげで、少年は安心して眠ることが出来た。

 いつものように不良品たちの部品を集めて小屋に向かう。小屋のすみの山をまた少し大きくして、少年は〝友達〟作りを再開した。

 地下の秘密都市も、コンベアの行く先も、少年の心をくことはなかった。少年にとって重要なのは、食べ物と睡眠、そして目の前の作りかけの人間だけだ。まだ人間もどきな鉄の塊でしかない。しかし、少年の見立てでは、電気を流して神経を活性化させれば完成する。赤と青のコード内をオイルが駆け巡り、自律して動くことができる。

 少年は胸が躍って仕方がなかった。自分の力で〝友達〟を作れるかもしれない。そう思うだけで眠気さえ吹き飛んだ。

 それでも、眠らないと。少しでも休まないと、仕事に支障が出る。出来かけの〝友達〟に手を振って、少年はごわごわの布団に沈んだ。

 夢を見た。あたりは白いベールに包まれたようにうっすらと白んでいる。普段は頭を震わせてうるさいコンベアの駆動音が、どこか心地よい。工場の天井に穴が開いていて、黒い空が見えている。少年は、あの空が怖いと思っていた。なのに、少しも怖くなかった。

 少年は笑顔だ。誰かの手を握っている。ひんやりと冷たいのに、その冷たさの奥にある、ほんわかとした温かさを感じていた。

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