第1話
「・・・え?」
「涙、拭いたら?」
公園の入り口付近。街灯の明りが俺を照らしている。
膝から崩れ落ちていた俺の前に、ムートンブーツを履いた白いPコートの女性が屈みこむ。
「え・・・あっ・・・」
咄嗟の事で言葉が出ず、ただ、女性の前で涙を流してしまったという羞恥から、俺は俯く。
「顔上げて」
そう言い彼女は俺の頬を流れた涙を拭いてくれる。
思わず顔を上げると、驚くほど無表情な少女が俺を介抱してくれていた。
年は同じかそれくらいだろうか。
千鳥格子のマフラーの中にさらさらとした茶髪が入り、緩く曲線を描く。
俺の視線に気が付いた彼女は、気付くか気が付かないか程で、小さく微笑んだ。
「・・・ここは寒いよ?こんな所で泣いてたら風邪引くかも」
気を遣っているのか、語尾を軽く上げ、今度は悪戯っぽく微笑む。
俺は彼女の整った顔立ちにやや見とれてしまった。
「べ、別に大丈夫ですっ。すみません」
しかしすぐにまた俺は顔を背け、その場を立ち去ろうと荷物を手に取り立ち上がる。
とても少ない荷物を手に。
「待って」
立ち上がった俺の腕を彼女は掴み、俺を引き留める。
「そんな顔で、何が大丈夫なの?」
顔・・・。
俺はそう言われて初めて気が付いた。
自分でも分かってしまう程に顔を歪め、川のように頬を伝う涙が止めどなく零れては服を濡らしていた事に。
あれ、俺。
こんなに泣いていたんだな。
彼女は俺の心を見透かすように優しく笑みを浮かべると、また、何も言わず涙を拭い、俺の頭を柔らかく撫でてくれた。
そんな母性に俺は胸が熱くなり、また同じように俺は涙を流した。
今度は恥ずかし気も無く、彼女に泣いている様を晒していた。
「落ち着いた?」
「・・・はい。すみません」
幾分かの時間が流れ、俺のこの遣る瀬無い気持ちは終息に向かい段々と落ち着きが戻っていた。
俺達は一度公園内に入り、ベンチに腰を下ろす。
その間も、彼女はただ隣にいるだけで、何も会話は無かった。
しかし、ただそれが、それだけの事が、俺はとても嬉しかった。
「・・・あの。今更・・・なんですけど、どうしてここまでしてくれるん・・・ですか」
最初から疑問に思っていた。
彼女は何故こんなにも優しいのだろうかと。
「うーん・・・辛そうだったから」
「え?」
「辛いとき、一人だともっと辛くなっちゃう。だから、誰かが君の隣に居てあげないとって・・・、勝手にそう思っちゃっただけ」
そう言って彼女は自虐的な笑みをこぼす。
「そう・・・ですか」
俺は返す言葉が見当たらず、こんな当たり障りのない返事をしてしまう。
「うん、そう。迷惑・・・だった?」
自分から聞いた癖、こんな返事は無いだろう。
彼女の厚意が迷惑な筈がない。
「そんな訳ないですっ。・・・嬉しかったです・・・」
「そっか。なら良かった」
きっと、彼女は俺がこう答える事を知っていた。
故に安堵の色は無く、ただ同様に微笑みを浮かべる。
「名前。聞いてなかった。何て言うの?」
そこから一呼吸。
彼女にそういえば、と、そう続けて問われる。
「そういえば・・・そうでしたね。蓑野、
「へえ・・・。女の子みたいな名前してるんだ」
「はい。よくそうやって友達にいじられてました。・・・まあ、もう友達なんて何処にもいないんですけどね」
いいながら自虐的に笑みを浮かべる。
けれど、彼女のようにはいかない。
どうしても片口引き攣って、瞳に影が差してしまう。
「ふうん・・・。そっか。あ、私は
「・・・はい」
話していて分かる。
彼女は本当に優しい人なんだと。
そこに傷があると知れば広げず、されど薬は塗らず。治るまでを共にただ過ごしてくれるような、そんな人だと。
今までの人生で、こんな人とは出会ったことが無かった。
「蓑野君は帰る家、ある?」
「・・・いえ。今朝勘当されたばかりですから」
「親戚は?」
「・・・もっとだめです。父方のばあちゃんは癌で入院してます。母方のじいちゃんばあちゃんにも煙たがられているので」
・・・まあ、当然のことだ。
入学祝いで買ってもらった制服、鞄。ほとんど使う事無く辞めたんだ。
嫌われるのだって、当たり前なんだ。
「お金はあるの?」
「・・・いえ。ほとんど。勘当された理由も家賃諸々が払えなくなって追い出されたので。・・・まあ、それまでも手元に残るお金はゼロに近かったんですけど」
「・・・そっか」
話を聞く彼女の声音も段々と落ち込んでいっている。
辛さを伝染させてしまった。
しかし、こうして口に出して話していると余計に自覚してしまう。
家が無く、あてが無く、お金が無い。
どう考えても、未成年の俺が生きて行くのは・・・。
「外は寒いもんね」
「・・・?そう・・・ですね」
「そんな薄着で飛び出してきちゃったんだもんね」
「あはは・・・勢いで・・・」
何を愛想笑いしているんだ気持ちが悪い。
「ここ北海道だよ。そんなかっこじゃ道民でも風邪ひいちゃうね」
「大丈夫ですよ・・・俺、あまり風邪引かないので・・・」
何の自慢だあほらしい。
「お鼻真っ赤にして何言ってるの。強がってるのばれてるよ」
「強がりなんかじゃないですよ・・・」
強がりだろ。
「ううん。強がってる」
「強がって・・・なんか・・・」
強がってる。ここまで来てまだ格好付けようとしてる。
・・・馬鹿だよ。
「・・・ほら。強がってた」
・・・情けない。
同じ女性の前で二度も泣いて二度も慰められて。
馬鹿だ。
分かっている。
でも、どうすればいいのかなんて分からなかった。
どうすれば、良かったんだろう。
「
「私もちょっといろいろあって一人暮らししてるから。少し寂しかったし」
・・・俺は最低だ。
彼女の提案は俺にとって今何よりも有難い。
なのに、彼女に話しかけられてから俺はこうなってくれる事を望んでいた。
もしかしたら彼女は助けてくれるのではないかと、ずっと思っていた。
彼女の厚意を俺は心の中で『使える道具』とでも思っているかのように。
「俺は・・・酷い人間なんです。百々瀬さんがそう言ってくれるのをどこか心の中で願っていました。きっと、今俺が話していたのも、百々瀬さんの同情を買おうとしていただけなのかもしれない・・・。俺は・・・っ」
「いいんじゃない?だって蓑野君、ほっとくと本当に死んじゃいそう。そこに現れた私を使っても、君は間違いじゃない。だって、まだ生きたい・・・でしょ」
言葉は出なかった。
ただ、苦しくて、息が詰まりそうで。
それでも彼女は、最後まで優しかった。
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