第三十二幕「後悔」


 森の中に放たれていた夜闇の端末のひとつが、

 傷つき、這いずりながら《万神殿》を出るファラの姿を捉えていた。


 ファラの座標に近づくと、夜闇は速度を落とす。

 はやる気持ちで駆けてきたのを悟られないように。


「ひどいありさまね」


「よう、夜闇。お前に見つかっちまったか……。

 いいぜ、やれよ。見ての通り抵抗できるだけの

 力がない。お前にやられるなら本望だ」


「そう。じゃあ遠慮なく」


 夜闇は触腕を伸ばし、ファラの胴体に巻きつけた。

 ぐったりと持ち上げられるファラの胴体を、

 そのままへし折ることもできただろう。


 ……違う。

 こんな形でファラの死を手に入れても嬉しくはない。

 何よりも腹立たしいのはーー 


「アヴァロンとの決闘の失点を取り返すために

 セイクリッドサインに喧嘩でも売ったのかしら。

 おばかなファラ……」


「いいや、そうじゃねぇよ」

 

 「そうだ」とうなずいて欲しかった。

 しかしファラは、どこかはにかんだような表情で否定する。

 無残な傷の痛みすら、愛おしく感じているとでも言うように。


 消してやる。ブルーメロウが、イザナミが彼女の身体に刻んだ痕跡を全て。

 彼女の死に近づいていいのは、自分だけだ。

 

 熱く煮えたぎるような怒りを抑え、夜闇は静かに語りかけた。


「ねぇ、ファラ。このままあなたを《フライング・ダッチマン》へ連れて帰るわね。

 そのままじゃ《ボーグ・キューブ》には帰れないでしょう?

 どこで負傷したのか、アイゼンハートに隠し通せる自信がある?」


「……いいのか? 

 今は敵同士だ、オレを直せばお前こそ裏切り者とみなされるぞ」


「監視役、よるちゃんの担当だし。

 そもそもフリークショウはそういう細かいことあんまり気にしないの。

 裏切りがデフォみたいな人間性の子たちしかいないから。

 実害が発生してから倍にして償わせるスタイルよ」


「クソみてぇな組織だな」


「1200%同意。

 それで? あなたの身体を好きにさせてくれるの?」


「い、言い方は気に食わねぇけど、好きにしろよ」


 夜闇は《フライング・ダッチマン》のラボでファラに修復を施した。

 欠損部位に生体素子を充填し、電力を与えることで肉体は自ずとあるべき姿を取り戻す。


「フリークショウに戻る時に、R.U.R.製の生体素子をもらっておいてよかったわ。

 フリークショウのを使っても治るけど、調べられたらバレてしまうから」


 夜闇は窓辺の椅子に腰を下ろすと、窓を開けた。

 すぐに一羽の小鳥が舞い込んできて、彼女の手の甲にとまる。


「……こんな夜中に鳥が?」


「よるちゃんのおともだち」


 夜闇は小鳥“だったもの”にフリークショウの生体素子をついばませる。

 小鳥は悪意の種子を運び、この島を護る警備システムに植えつける。


「さあ、行くのよ」 


 濁った瞳の小鳥は、深夜の暗闇の中も迷わずに飛び立っていった。


「もしかして、オレもああなっちまうのかな?」


 ファラは冗談めかして問いかける。


「分かってるくせに。よるちゃんはあなたの心に触れたりしない。

 できるものならとっくにやってるわ。

 このまま放っておいたら、ファラってばよるちゃんの知らないところで

 勝手に死んでしまいそうなのだもの」

 

「ははん、そう簡単にゃくたばらねぇよ。

 助けられたら、なんだか惜しくなっちまった。

 せっかく対等なライバルに出会えたんだ、再戦の約束を果たさなきゃもったいないよな」


 ウィネトカのため、ジュリエットのため、イザナミのため、ブルーメロゥのため。

 ファラはいつでも、誰かのために生きている。

 だけどただの一度も夜闇のためだったことはない。


 ……浅ましいわ。先延ばしにしていればいつか、わたしの順番が来るかも、なんて。


「ありがとよ、夜闇。

 そろそろ動けそうだからもう行くわ。

 お前はああ言うけど、フリークショウの連中に見つかっても面倒だからな。

 この借りはいつか必ず――」


「ま、待って……」


 思いのほか焦った声色になってしまい、夜闇は慌てて口をつぐむ。

 ファラも怪訝に首をかしげた。


「ん? どした?」


「まだ給電が不十分。歩けはするけど、固有兵装が使えないわ」


「歩けりゃ十分だって! まっすぐ帰ればいいだけの話だろ。

 通り魔じゃねぇんだ、すれ違った誰彼全員に噛みつくようなやつに見えるか?」


「見える……」


 ファラは吹き出すように笑うと、「じゃあな」と背中越しに手を振った。


 『いかないで』。そのたった一言が言えなかったことを、

 夜闇は今も後悔しつづけている。


 ◆◆◆


 次にファラを見つけたのは、スズリだった。


 結論からいえばファラは通り魔ではなかったが、

 ファラとすれ違った相手がそうではなかったのだ。


 胸郭をこじ開けられ、コアが損傷している。

 頭部も上半分が破壊され、目も当てられぬ有様だった。


「やれやれ、自分が手を下すまでもなかったか。運の悪いお人だ。

 この様子じゃ助かりはしまいが、しかし、この破壊の手口は……」


 スズリは赤い宝石色の循環液クーラントで綴られたに目を落とす。

 “くるみのなかみはなんでしょうWhat's inside the walnut?”


「お前は……誰だ……」


「驚いた。その状態でまだ意識があるとは」


「そのスカした喋り方、お前……アヴァロンの影だな」


「そうであれば、どうだというのです」


「……お前にはいるかよ、死んでも忘れたくない相手が」


 スズリは沈黙し、ファラはその沈黙を何よりも強い肯定と受け取った。

 そう。その存在すら、他人と分かち合いたくないほどの強い想いだ。


「コアがいかれちまった。

 壊れていく。こぼれていく。なくなっていく。オレの記憶が。

 身体の中の生体素子どもが優先順位を変えてんだ。

 オレを1秒長く生かすためには、思い出なんて必要ねぇって」


 コアによる新たな生体素子の供給が得られない以上、

 オートマタはボディに残されたリソースをやりくりして損傷をつくろうほかない。 

 活動維持に関係ない記憶の保持から切り捨てられるのは当然の成り行きだった。

 しかし、それもこの損傷ではごくわずかな延命措置にすぎない。


「嫌だよ、オレ。このまま何もかも忘れて、一人ぼっちで消えたくない。

 頼む、アヴァロンの影。オレを斬ってくれ。

 せめてこの恋だけは持ったまま、オレを終わらせてほしいんだ」


 スズリはわずかに逡巡し、刀を抜いた。

 もしも己が任務に失敗し、睦のいないところで最後の時を迎えるなら。

 もしもその時、武器を持った誰かが側にいたなら。


 スズリもきっとまた、ファラと同じことを乞い願うだろう。


「依頼主は明かせないが、私はお前を始末する依頼を受けていた。

 楽ができてありがたい。それと介錯の駄賃には、お前の力をいただいてゆく。

 ブルーメロゥには自分が謝ろう。くるみ割り人形も、自分が必ず……」 


 自分はなんの言い訳をしているのだろう。

 早口に言いながら、スズリの中の冷静な部分が疑問を呈する。

 だがその答えは、考えるよりも先にスズリの口をついていた。 

 

「だから貴様は……貴様の死について何も、負い目に思うことはないのであります」


「優しいな。お前、話に聞くほど死神じゃねぇだろ」


「耐え難い。実に耐え難い罵倒であります。

 感謝する。おかげで自分にも、喜んで貴様を殺す理由ができた」


 スズリの無銘は、ひび割れたコアを音もなく両断する。

 コアの断面は刀身に赤く輝く軌跡を残し、やがて染み込むように消えていった。


 『ありがとう』


 そう唇の形が告げるファラの首を、スズリは返す刀で断ち落とした。


「なんなのでありますか。一体……」


 刀を納めたスズリの胸の真ん中が、焼けつくように痛んだ。


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