第三十三幕「ディスコネクト」
「く、ぅ、あ、ぁああああぁっ」
夜闇は両の手で眼前を多い、錯乱した様子で後ずさる。
「なにを……したの……っ!? わたしになにを……っ。
あんなの嘘。だって、ファラはあなたが。くるみ割り人形は、
わたしは、あぁああああっ!!」
「自分は何もしてはいない」
スズリは夜闇の触腕を斬り払いながら努めて冷静につぶやく。
彼女が見たものへの動揺を相手に気取られぬよう。
「ただ、自分の身体は
貴様の固有兵装が相手の記憶領域への干渉に長けたものであるとするなら、
つながる自分の生体素子もまた、かくあろうとする」
焦点の定まらない目で何事かをぶつぶつとつぶやく夜闇を尻目に、スズリは刀を納めた。
「どういう……つもり。戦いはまだ終わっていないわ」
「否。これで
思うに、自分と貴様にはもはや戦う理由がない。
我らの敵は等しく、くるみ割り人形であるはずだ。
『だからここからは手と手を取り合い仲良く立ち向かいましょう』
などと頭の煮え切った妄言を吐くつもりはない。
だが自分にはもはや、今この場で貴様を斬る理由もない」
「ふふ、ふふふふふ、あははははっ!!
嘘ばっかり。あなたってば本当に嘘つきね。
今にもわたしを斬りすてたくてたまらないくせに。
なぜならあなたは剣だから。
剣として愛されるほかに、愛され方を知らない哀れな存在なんだから。
滑稽極まりないわ、今さら“理由”だなんて! まるで選ぶことができるみたいに!!
よるちゃんと同じ、人形のくせに」
スズリは気づいていた。自らの抱える矛盾に。
睦にとって“剣”以上の、道具以上の何者かになりたいという願いに。
睦のものである自分が、睦を
しかし、スズリにとって剣とは価値そのものだ。
彼女が睦のために何かを捧げようとするとき、それは誰かを斬る事に他ならない。
その行いが彼女の“剣”に過ぎない立ち位置をより強固にするとしても、
スズリは誰かを斬らずにこの恋を続行することができない。
想い人の死を手に入れることでしか満たされることのない、夜闇の恋と同じ。
決して結ばれることなく同じ場所で踊り続ける、片恋の操り人形だ。
「……ああ、そうでありますな。貴様は、自分だ」
納めかけた刀が、ぬらりと構え直される。
「ならばこそ、自分は自分を殺さねばならない。
単なる破壊機で終わる己をここで斬らねばならない」
夜闇の口元に笑みが広がり、ざわめく髪があらたな触腕を生み出す。
「ああ……ようやくやる気になってくれたのね。手のかかる子。
もう片想いにはうんざりでしょう?
殺し合おうよ、二人で、理由なんかなくたって。
あなたかよるちゃん、どちらかの恋が終わらせられる。
それってとっても、素敵なことだわ」
『マッチング成立』
夜闇の固有兵装 《シアエガ》の支配下に置かれたカラスが無機質な電子音声で告げる。
『この決闘はグランギニョールが認める正式な試合として宣言されます。
ディール受付終了が試合開始の合図となります。
それでは皆様、ディールを行ってください』
無論、支配人不在の宣言にグランギニョールの決闘としての正当性は存在しない。
ルール上はフリークショウによる
しかし、ひとつの恋が終わる舞台にはそれなりの演出が必要だ。
「腐っても女優でありますな」
「死んでも腐らないのがよるちゃんの能力だもの」
二体のオートマタは光のない淀んだ視線を交わし、
そして瞼を閉ざす。
『ディール終了まで残り5秒。
再び瞼が開かれた時、再び宿った瞳の光は二条の残光となって激突した。
◆◆◆
知らせなくては。警告しなくては。
フリークショウのクイーン級 《清姫》と対峙してはならない。
大理石の床の上で刻一刻と麻痺する身体を這いずらせるのは、
セイクリッドサイン、ビショップ級 《イナンナ》だった。
イナンナはただ、打ち込んだだけだった。
清姫はただ、守っただけだった。
互いに様子見の第一撃。そのはずだった。
イナンナの渾身の蹴りは、清姫の巨大な蛇腹剣を前に阻まれた。
イナンナの
自他の垣根なくオートマタを強化する、殴れるバッファー。それが彼女の
次の一撃はもっと出力を上げて蹴り込めばいいだけの話だ。
しかし清姫は、イナンナにくるりと背を向けた。もう用はないとでも言うように。
「ふざけるな!! 襲っておいて戦いを放棄する気かっ!!」
吠えるイナンナを前に、清姫はさもうるさそうに眉をひそめた。
「とうに終わっておる。続けたいなら勝手にするがいい」
イナンナは観客へのサービスをやめた。
つまり、本来ならば段階的に出力を引き上げ決闘を盛り上げるはずの《ウルクの大杯》を、
いちどきに最大開放した。
いかなクイーン級であれ、この一撃を受ければ五体満足で済みはしない。
咆哮とともに床を蹴ったイナンナだったが、
ゆったりと歩いているはずの清姫の背中が一向に近づかない。
スローモーションの中で無数の疑問符がイナンナの脳裏を通過してゆく。
気づけば倒れ伏した彼女を、清姫が哀れみの目で見下ろしていた。
「妾の固有兵装にその身で触れた時点でとうに終わっておるのじゃ、お主は」
……毒、か。生体素子が“生体”を名乗る以上、
有効な毒物が存在していてもおかしくはない。
だがこれは、度を越して強力すぎる。
「ひとつ聞き忘れた。
イザナミという女は、お前を殺すと言えば助けに駆けつけるかの?」
あまりにありえないその問いかけに、イナンナは自らの窮地も忘れて笑いを漏らした。
イザナミが? 誰かを助ける?
もしこの場にイザナミがいたとして、彼女のとるであろう行動はふたつにひとつだ。
A.敗残者であるイナンナを自ら始末する。
B.最初からそんなものは居なかったかのように振る舞う。
「よく分かった。ではさらばじゃ」
蛇腹剣による一撃を予期してイナンナは目を閉じる。
だが、とどめの一刀が振るわれることはなかった。
「お前の生体素子が機能停止するまであと数分。
何も出来なかった己を恥じ、汚辱の中に死ぬが良い」
そう言うと清姫は冷たい一瞥を残し去っていった。
「何も出来なかった、だと……?」
その通りだ。だがイナンナにはまだできることがある。
清姫はイザナミが甲板にいることを知らない。
伝えねば。イザナミに清姫の能力を。
イザナミがどれだけ強かろうと、その実力を発揮する前に毒に侵されてしまえば全てが終わる。
イザナミの敗北はセイクリッドサインの敗北だ。
最初に毒に侵されたのは足だった。腕はまだ、かろうじて動く。
伝えねば。イザナミに会わねば。
その一心で、次第に動かなくなる身体を必死に前へと進める。
この情報を伝えることさえできれば、自分の死は――
「道案内、大義であった。お前の死は無駄ではなかったぞ」
背後から聴こえてきた声に、イナンナの顔が絶望に染まる。
無情にもその背を踏みつけにして、清姫は甲板へ出た。
「《
グランギニョールには似つかわしくない、無粋な景色」
ああ、出会ってしまった。イザナミと清姫。二人のクイーンが。
「では、同じ女王同士の決闘であれば受けてもらえるのかのぉ?」
「もう一度言ってもらえないかしら。
もしかして、聞き間違えたのかもしれない」
イザナミは涼やかに小首をかしげる。
「羽虫の分際で……誰と誰が、同じだなんて思えたの?」
「《
縦長の瞳孔に怒りをたたえ、清姫は彼女の剣の名を呼んだ。
避けろ、イザナミ。その剣に触れてはならない。
イナンナの叫びはもはや、声にはならなかった。
このままでは、イザナミもまた自分のように——
「《
ぞりっ、と、何かをそぎ取る音がした。
清姫の身体は宙に浮かぶ黒い球体に包み込まれ、そして球体が消えた時、
フリークショウのオートマタ、クイーン級 《清姫》という存在はこの世界から完全に抹消されていた。
「ほら、簡単に潰れて消える。羽虫でなくて何かしら」
イナンナはイザナミの何を知っていたのだろう。
音と光、そして冷気を操る。それが《天魔反戈》の能力ではなかったか。
ではあれはいったいなんだ。相手に自分の死すら悟らせない消去。
理不尽で一方的な殺戮は。
「ああ、この機能はまだ秘密だったのだっけ?
演出を無視したってリディルに怒られちゃうわね。
……まあいいわ。どうせもう誰も、見てやしない」
正解はB。
安堵とも諦めともつかない苦笑が、イナンナの最期の表情となった。
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