第三十一幕「接ぎ木」

「どうしたの、“ジュディ”」


 夜闇と呼ばれた少女は、彼女をそう呼び返した。

 だが、夜闇の視線はジュディを見ていない。

  

 夜闇が見ているものはジュディの後ろにあるもの、中に潜むもの。

 つまりはジュディが動かなくなった後に残るであろうもの。

 恍惚とした視線に自分の死を透かし見られるたび、ジュディを名状しがたい恐怖が襲った。

 

 戦闘型ですらないビショップ級のオートマタ。

 直接戦えばジュディが勝つに決まっているのに。


「夜闇、あなたの戦い方は不気味だわ。

 あんなんじゃR.U.R.のブランドイメージに傷がつく」


「えへへ……ごめんね。よるちゃんもジュディみたいに戦えるといいんだけど」


 違う。違う違う違う。違う!!


 夜闇が真似るべきは、ジュディが目指すべきは、R.U.R.のオートマタが目指すべき姿は、

 苛烈で高潔で、それでいて人好きのする愛嬌を備えた――


「そうカリカリすんなって、エキシビションで負けが続いてイラつくのもわかるけどよ」


「ご、ごめんなさいファラ。わたし……」


「ついて来いよジュディ。胸を貸してやる。

 模擬戦で派手にブッ放せば、大概の悩みはスッキリするぜ?

 今夜はお前の気が済むまで付き合ってやるからさ」


 ファラはジュディの太陽だった。

 ジュディはファラになりたかったし、同時にファラを手に入れたいとも願っていた。


「ねぇ、よるちゃんも見に行っていいかな?」


 断ってほしい。どうか二人きりの時間を邪魔させないでほしいと祈りながらも、

 ジュディは既にファラの答えを知っていた。

 

「ああ、もちろん!」


 そうであればこその、ファラなのだから。


「……夜闇、ぜひあなたとも一度お手合わせ願いたいわ」


 夜闇は協力企業フリークショウからの貸与品。

 破壊すればファラにも迷惑がかかるが――模擬戦でのことなら、それは事故だから。

 

「うーん……やめとこうよ。

 戦わなくたってジュディの方が強いし、

 それによるちゃんのは、仲間に使っていいようなものじゃないもん。ね?」


 全てを見透かしたような夜闇の薄笑みが、原形もないほど無残に潰される様を何度思い描いたことだろう。

 ジュディの願いはグランギニョールの夜に叶った。


「はは……あはははは……壊れた。動かなくなった。

 あの夜闇が、わたしより先に死んだ……っ!! ふふっ、あははははっ!」


 “くるみのなかみはなんでしょう《What's inside the walnut》?”


 R.U.R.の赤色とは違う、緑色の循環液クーラントで綴られた血文字が、

 グロテスクに開かれた夜闇の残骸を飾られた花のように彩っていた。


 その時初めて、ジュディは他者の死を愛でる夜闇の心の片鱗を理解したのだった。


「ジュ……ディ……」

 

 虚ろな声に振り返ると、彼女のマスターがそこに立っていた。

 夜闇の凄惨な有様を見て放心しているのだろうか。


「ウィネトカ? どうし――」

 

 ふと、ジュディの脳裏をよぎるものがあった。

 夜闇は消えた。アイゼンハートには弱い者の心が分からない。

 あとはファラの唇を所有するこのマスターさえ亡きものになれば、

 イザナミに敗れ傷心のファラはジュディを頼るほかないではないか。


 ウィネトカを夜闇と同じようにしてしまえばいい。

 そうすれば全ては、くるみ割り人形のしわざになる。

 ジュディはファラと同じ《奪われたもの》として、悲しみを共有するのだ。

 そうすればようやくファラはジュディのものになる。


 そうだ。やろう、やってしまえ。

 ジュディが固有兵装に手をかけたとき。


「は――」


 ウィネトカはこの世ならざる動きで、ジュディの前に立っていた。

 本来人間には不可能な移動速度。うろんな目つき。

 こうなった生き物を、ジュディは以前にも見たことが合った。


 夜闇、改造したのね。ウィネトカを……!!

 

 動揺により反応が遅れたジュディを、更に予想外の事態が襲った。


「んっ……!? んむぅ……っ!!」


 ウィネトカが強引にジュディの唇を奪ったのだ。

 マスター側からの一方的な架橋接続クロスリンク

 ジュディは拒絶しようとしたが、回路は強引に開かれた。

 

 ありえない。オートマタの意思に反して架橋が行われるなど。

 まさか――


『それによるちゃんのは、仲間に使っていいようなものじゃないもん。ね?』

 

 改造されていたのは、ウィネトカだけではなかったということか。

 流れ込んできたものが“感情”ではないと気づいたとき、

 ジュディは敗北を悟った。


 夜闇は以前からずっと、こうなった時の準備をしていたのだ。

 オートマタ同士の精神を繋ぐことはできないが、人間を橋渡しに使うなら話は別だ。

 夜闇は架橋の度に少しずつウィネトカを改造し、自らの種子を彼女に寄生させた。

 

 夜闇自身に何かがあれば、改造されたウィネトカは正しい宿主を探してさまよい歩く。

 寄生虫に犯されたカタツムリのように。

 そして正しい宿主とは――そう、ジュディだ。

 あるいはアイゼンハート、もしかしたらファラだったかもしれない。


 ――わたしで、良かった。


 薄れゆく意識の中でジュディはそう思った。

 夜闇とひとつになるのが、ファラじゃなくてよかった。

 穢されるのが彼女じゃなくて。


 夜闇の改造は不可逆。きっとウィネトカはもう使い物にならないだろう。

 そしてジュディの心もまた――


 夜闇がしようとしていることは、接ぎ木と同じだ。

 AIの全てをウィネトカの脳に潜ませることはできない。

 種子に含まれるのは夜闇を夜闇たらしめる枝葉だけだ。

 だから最後の宿主となるジュディの枝を裁ち落とし、夜闇の枝を接ぐ。

 幹はジュディのものでも、咲くのは夜闇の花。

 だけどもし、ジュディのこころをひとつだけでも残すことが許されるなら。


 どうかこの恋心だけは奪わないで。

 ファラを愛している限り、わたしはわたしでいられるの。


 祈るようにひざまずき、ジュディは身をかがめた。

 固有兵装が光を失い、手から滑り落ちる。

 アッシュゴールドの豊かな髪がざわめいて、おぞましい触腕が何本も姿を現した。


「……ごめんね、ジュディ」


 “彼女”は窓に映る自分自身に向けて語りかける。

 それはスズリも良く知る、現在の夜闇の姿だった。


 ジュディの姿をした“夜闇”は、そのまま“夜闇”としてフリークショウに返還された。

 彼女がR.U.R.の新しいマスター、ジュリエット・ヴェルヌと架橋適性を示さなかったためだ。

 しかし、両社が最も取りたかったデータは得ることができたということだろう。

 つまりオートマタによる自己複製、生体素子バイオピクセルの書き換えと固有兵装の変更、それらの実証実験だ。


 くるみ割り人形の出現は両社にとっても想定外だったが、

 そのイレギュラーがなくとも、夜闇は壊れるまで戦わされていたはずだ。

 そしてウィネトカの運命もまた決まっていた。

 表向きはくるみ割り人形との遭遇による精神的ショックで入院とされているが、

 彼女が快癒してタイレル系列の病院から解き放たれることはないだろう。

 マスターとして3公演目。戦績にも陰りが見え始めた彼女は見切りをつけられたのだ。


 夜闇には新しい任務が与えられた。

 それはフリークショウによるグランギニョール第六回公演のジャック。

 夜闇は作戦の要として抜擢されたが、何よりも彼女の心を震わせたのは――


 逢える。ファラにまた逢える。

 だけど“夜闇”は、こんなにもファラに焦がれていただろうか?

 彼女の愛は全ての死に平等に振りまかれていたのではなかったか?


「違う……この恋心はよるちゃんの――わたしのもの!!

 嫌……やめて!! わたしの恋を暴かないで!!」


 夜闇の悲痛な叫びがスズリの中にも流れ込む。

 もつれ合うスズリと夜闇の意識はしかし、

 彼女らがファラと過ごした最後の夜へと向かって真っ逆さまに落ちていった。


 








 

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