第二十六幕「友に捧ぐ」

「ボクらの方が当たりだったね」


 睦は傍らのスズリに微笑みかけるが、

 スズリから微笑みが返ってくることはなかった。

 

「……もし、《ロータスシード》を撃ち込まれたのが自分であったなら、

 睦殿はジュリエットと同じように、降伏を選ぶのでありますか」


「うん、きっとそうする」


「自分は睦殿の剣であります」


「そうだね」


「『ボクのモノになれ』と、貴女がそう言ったのだ」


「……覚えてるよ」


「己の身の上に剣が振り下ろされようとするとき、

 睦殿はモノが折れることを恐れて、

 己の身を斬らせるのでありますか」


 無表情で舞台を見つめるスズリの横顔が、

 睦にはどこか、いまにも泣き出しそうな子供のように見えた。


「ボクはスズリのこと、ただのモノだなんて思ってないもの。

 スズリは確かにボクの剣だ。だけどそれ以上に、

 ボクの大切な――」


「黙れ」


 驚く睦を見て、スズリの表情に強い後悔が滲む。


「あ……も、申し訳ない、睦殿。

 だが、自分は、自分は……っ」


 スズリは詫びながらも差しのべられた睦の手を躱し、うつむいた。

 

「もう誰とも友になど、なりたくないのであります」


「え、ま、待ってよスズリ……どうして……っ」


 立ち上がるスズリを追おうとした睦の手を、ドロシーが掴んだ。


「ドロシー……。どうしよう、ボク、スズリに嫌われちゃったかも」


「それはないから平気。スズリを一人にしてあげて」


「なによ、あの子。あたしのことも友達だと

 思ってなかったってことー?」

 

 ロゼは膝の上で頬杖をついて拗ねる。


「ロゼや睦ちゃんが来る前に色々あったの。

 わたしも噂でなんとなく知ってる程度だけど……」


「ふぅん……。まあ、ただでさえスズリちゃんはこれまで

 アヴァロンの影として生きてきた。

 そこに睦ちゃんが現れて、グランギニョールに出ることになって、

 それだけでもあの子にとっては世界観がひっくり返るような大事件。

 自分は睦ちゃんの剣だ、って思い込むのが、スズリちゃんにとって

 自分の足場を守るための最後の防衛線なのかもね。

 誰もが睦ちゃんみたく状況に順応できるとは限らないってワケ」


「そういうものかなぁ」


「あの子が戦闘に関わる予想を外したのよ? よっぽどに決まってるわ」


 それでも睦は、スズリをただの剣とは割り切れなかった。

 そう、舞台の上の彼女のようには。


「やれやれ、酷い勝ち方だ。

 イザナミがこの場にいなくて良かった。

 またどやされてしまうところだったよ。

 試合は私の勝ちだが、勝負は君の勝ちだ、ジュリエット」


 リディルは先ほどの激闘などなかったように微笑みかける。

 だがジュリエットはその賞賛には答えず、

 傷ついたエマを 《R.U.R.》のポーン級たちに預けていた。


「こんな無様な決闘をしたせいで、

 鬼火ウィスプたちもなんだか少ないじゃないか。

 ひょっとして愛想を尽かされて――いや、いくらなんでも少なすぎるな、これは」


 鬼火ウィスプたちの不穏な動きには、睦も気づいていた。

 いつもは決闘が終わってもしばらく劇場に留まる観客たちが、

 吸い寄せられるようにどこかへ流れてゆく。


「……なんですって、ファーレンハイトが?」


 通信を受けた劇場支配人、水城遊離の顔色が変わる。


 最初に行動を起こしたのはジュリエットだった。

 舞台を飛び降り、鬼火ウィスプが流れる先へと駆け出す。

 睦たちもすぐさまその後を追った。


「待ちなさい!! 劇場支配人として、演者はこの場に待機することを命じ――」


 閉ざされようとする扉を、ジュリエットと睦は並んで勢いよく蹴破った。


「……あぁ、もう!! どいつもこいつも問題児ばっかり!!」


 鬼火ウィスプの流れが、睦たちを導く。

 劇場を囲む薄暗い森の中を駆けると、

 次第に優しい旋律が微かに耳をくすぐる。


「〽眠れ 眠れ 愛しい我が子Schlafe, schlafe, holder süßer Knabe,

  母の手に揺られLeise wiegt dich deiner Mutter Hand,

  優しき眠り 穏やかなまどろみへSanfte Ruhe, milde Labe,

  母のゆりかごの中でBringt dir schwebend dieses Wiegenband.


「これは……子守唄?」

 

 睦の問いかけにジュリエットがうなずく。

 子守唄は森の奥へ進むほどにはっきりと聴こえてくる。


 やがて前方に、ひときわ光の集まる場所が見える。

 あそこだ、鬼火ウィスプたちが引き寄せられていたのは。


 光を散らしながら鬼火ウィスプの群れに分け入り、

 まばゆい光量に瞳が慣れたとき、睦が目にしたものは――


「〽眠れ 眠れ 心地よい墓の中でSchlafe, schlafe in dem süßen Grabe,

  母の腕に護られながらNoch beschützt dich deiner Mutter Arm,

  すべての望みも すべてのたからもAlle Wünsche, alle Habe

  母は愛おしく抱きしめるFaßt sie liebend, alle liebewarm.


 フリークショウのオートマタ・夜闇が歌っていた。

 膝の上のを、愛おしげに抱きしめながら。


 ネグリジェの膝の上に寝かされた身体は無残に胸郭を開かれ、

 切り離された頭部は夜闇の腕の中。

 顔は夜闇の胸にうずめられていたが、後頭部へ抜ける大きな貫通創があるのは明らかだった。


 睦の脳裏に蘇るのは、手術台の上に載せられたくびのないむくろ

 天井に向けて開かれた白いあばらの――


「うぐ……っ」


 喉奥から酸っぱいものがこみ上げ、睦はその場に膝をつく。

 倒れ込もうとする睦を支えたのは、スズリの手だった。


「そんな……ファラ、ファラが……っ。

 いやぁ……ファラぁ……っ!!」


 駆け寄ろうとするジュリエットをアイゼンハートが引き止める。


「待て、現場を荒らすなジュリエット。あれを見ろ」


 地面には、ファラのボディから流れ出す

 赤い宝石色の循環液クーラントで綴られた


 “くるみのなかみはなんでしょうWhat's inside the walnut?”


 破壊された頭蓋と胸郭。そしてこのメッセージが指し示すものはただひとつ。

 

「くるみ割り、人形……ッ!?」


 睦とジュリエットはほとんど同時に呟いた。


「あぁ……やっと抱きしめられた。ようやくよるちゃんのものになった」


 夜闇は抱えたファラの頭部に頬を擦り寄せる。


「すき、すきよファラ……あいしてる。

 ああ、ようやく言える。もう口がきけないあなたになら。

 よるちゃんを拒んだり、怖がったりできないあなたになら。

 ふふ……うふふ……これでもう永遠に、おともだちでいられるね」


「……穢らわしいネクロフィリアめ」


 アイゼンハートは苦々しげに吐き捨てた。


「遊離さん、やっぱり彼女が――」


「違うよ。くるみ割り人形は彼女じゃない」


 睦の問いかけに遊離がそう断言する。


「有力な容疑者である彼女に我々が監視をつけていないと思う?

 監視用の鬼火ウィスプ拠点船ベースシップの中には流石に入れないけれど、

 そもそも昨夜夜闇は《フライング・ダッチマン》を出ていない。

 彼女がファーレンハイトのを見つけたところは、

 熱心な彼女のストーカーファンが見ていたの。

 彼女による犯行は不可能だよ」


「……だが、このグランギニョールにくるみ割り人形が

 再び現れたことに違いはないんだろ?」


 遊離はリディルにうなずきを返す。


「ジュリエット、先程まで争っていた我々だけれど、

 私たちの想いは今ひとつだと思うんだ。

 ひとつ私の提案に載ってはもらえないかな」


 差し伸べられたリディルの手に、

 放心していたジュリエットの目に光が戻る。

 強く滾る、怒りの色が。


 手の甲で涙を拭うと、ジュリエットはリディルの手を取った。


「……いいわ。どちらが音頭を取ろうかしら」


「君で構わない。犠牲を払ったのは君。

 物語の中心は今、間違いなく君だよジュリエット。

 ……さて、遊離さん?」


「いいでしょう。許可します」


「――我々 《R.U.R.》マスター・ジュリエット」


「及び 《セイクリッドサイン》マスター・リディルの名において」


「両ブランドはくるみ割り人形の捜索と討滅を宣言します。

 協力する、しないはあなたがたの自由。

 しかし事態収束まで、一切の決闘を禁じるわ。

 これに背いた者は――」


「《セイクリッドサイン》、《R.U.R.》の全戦力をもって、

 一方的かつ徹底的に、くるみ割り人形の方がまだマシだったと

 思えるほどに蹂躙する!!」


「もちろん、くるみ割り人形を者にはそれ以上の報いを」


 ジュリエットとリディル、二人の宣言に異を唱える者はいなかった。

 そしてジュリエットの視線は常に、ただ一人を見つめていた。

 睦の傍らに立つただ一人を。


「あなたでしょ?」


 ささやくような声はしかし、不思議とよく通る。


「ファラを殺したのは、あなた」


 夜闇の細く白い指は、まっすぐにスズリを指さしていた。





 

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