第二十四幕「わたしをみつけて」

「ジュリエット、あなたはね、幸せになるために生まれてきたのよ」


 幼いジュリエットに、母親は繰り返しそう言い聞かせた。


「ねぇ、おかあさま。どうやってしあわせになるの?」


「それはね、私があなたのおとうさまと出会ったように、

 運命の王子様と出逢えばいいの」


「ねぇ、おかあさま。どうやってであえばいいの」


「見つけてもらうの。世界で一番輝いていれば、

 世界で一番素晴らしい人が、きっとあなたを見つけるわ」


 だからジュリエットは見つけてもらうことにしたのだ。

 世界一の舞台、グランギニョールで輝いて。


「へぇ……なかなか強いじゃん。

 おーい、エマ!! こっち来てみろよ!

 お前好みのイキがいいのがいたぜ!!」


 R.U.R.に在籍する何人もの候補生の中から、最初にジュリエットを見つけたのはファラだった。

 対人間訓練用のリミッターをつけた状態で数度斬り結び、それだけでファラはジュリエットの才能を見極めた。

 王子様でこそなかったけれど、運命は確かにジュリエットを見つけ出したのだ。



 ◆◆◆



 修復された劇場のエントランスではその日、

 ほとんど全ての出演者が同席するブランチ・パーティが催されていた。

 エントランスを縦断する長机には絢爛豪華なオードブルが次々と運び込まれるが、

 ほとんど誰も手をつけようとしない。

 ……ただ一人を除いては。


「うわ、何このサンドイッチ。うま……っ。やばうま……っ。

 ねぇ、スズリ。なんで誰も食べてないんだろ。皆お腹痛いのかな」


 オートマタたちに供される料理は紅茶以外生体素子製のイミテーションだが、

 マスターたちの目の前のものは最高級の“本物”だ。

 しかし睦以外のマスターたちはまるで興味を示そうとしなかった。


「…………そうでありますなぁ」


 睦の問いかけに、傍らのスズリはどこか上の空で答える。

 

 昨夜、架橋を繋いだままモンストロを抜け出したスズリ。

 心を閉ざしていたとはいえ、その感情の断片は睦にも伝わっていた。

 強い緊張、わずかな悲しみ、そしてかすかな快感を最後に、架橋は途切れた。


「もしかしてスズリも、お腹痛い?」


 どれだけ睦の神経が太かろうと、

 「昨夜、何があったの」と直接問いただすのは、

 先日の敗者がひとり食事にがっつくよりも難しいことだった。


 このグランギニョールにあって、

 一番近しいのに、一番遠い。

 睦にとってスズリは、そういう存在だったから。


 所在なく視線をさまよわせると、空席がふたつ。

 リディル・ファーブニルの左隣にひとつ。

 ジュリエット・ヴェルヌの右隣にひとつ。


 ジュリエットが何かを問いかけるようにスズリを見つめていたが、

 スズリはただじっと、冷めゆく紅茶の水面を見つめていた。


 しん、と静まり返った室内に、

 ジュリエットがカップを置く音がいやに大きく響く。


「……ねぇリディル」


 ジュリエットは斜め前に座るセイクリッドサインのマスターの名を呼んだ。


「私の果たし状ラブレター、あなたに届いたかなぁ?」


「ラブレター? ……いや、承ってはいないが?」


 静寂に変わり場を満たしたのは、困惑。

 リディルはもちろん、R.U.R.の面々ですらジュリエットの言葉に戸惑いを隠せなかった。


「えー? ファラに持たせたはずなんだけどなぁ……。

 遅刻のうえにお使いもできないなんて、世話が焼ける子……」


 ジュリエットはセイクリドサインの面々に視線を走らせる。

 彼女の強かさを知る睦は理解した。

 

 ジュリエットはを作ろうとしているのだ。

 グランギニョールに選ばれる必然を。

 

 手紙が実在したかどうかは重要ではない。

 重要なのはそれを請けるかだ。


「……ああ、その手紙でございましたら、わたくしがお預かりしています。

 宛先がありませんでしたから、わたくしが受け取っても問題ございませんでしょう?」


 セイクリッドサインの席から、薄絹のヴェールで眼前を覆う褐色のオートマタが声を上げる。

 

 案の定、ノッてきた。

 このオートマタは……


『セイクリッドサイン、ナイト級 《ネフェルトゥム》。

 固有兵装は寄生種子 《ロータスシード》』


 睦の耳の中でQPが告げる。

 次にジュリエットと戦いたがっているのは、こいつだ。


 だけど、ジュリエットが戦おうとする理由は?

 疲れを残した連戦は明らかに不利。

 ジュリエットの方から仕掛けるメリットは無いはずだ。


「ふふ、あなたが受け取ってくれたんだねぇ。

 どうかな、今日の決闘は私と――」

 

「小細工を弄するなジュリエット」


 ジュリエットの言葉を厳しい口調で遮ったのは、

 R.U.R.のクイーン、アイゼンハートだった。


「ファーレンハイトが万神殿パンテオンを訪ねる大義を作ったつもりか?

 手遅れだ。奴は今この場に姿を見せていない。

 そんなことをしたところで、奴に対する決定は――」


「アイゼンハート」


 柔和な表情を崩さぬまま、ジュリエットはクイーンの名を呼んだ。

 その有無を言わさぬ声色に、アイゼンハートの鉄仮面がわずかに揺るぐ。


「あなたのマスターは誰かしら。

 このチームの最終決定権を持つのは誰?

 あなただったかな?

 R.U.R.の、それともタイレルのお偉いさん?」


「く……っ。それは貴女だ、ジュリエット・ヴェルヌ。疑いようもなく」


「ふふ、アイゼンハート、あなたのその規則にはどこまでも従順なとこ、

 素直でカワイイって思うなぁ」


 緊張はR.U.R.とセイクリッドサインの間のみにとどまらず、

 ジュリエットとアイゼンハートとの間にも張り詰める。


 しかしその緊張の意図を断ち切ったのは、

 ジュリエットの左に腰掛けるオートマタの甘い声だった。


「ったく、しょうがないなぁジュリエットは〜。

 特別にこのエマちゃんが付き合ってやんよー。

 ねっ、いいでしょアイゼンハート」


 R.U.R.のルーク級エマニュエルは、

 ジュリエットの肩にもたれかかるとアイゼンハートに下手くそなウィンクを飛ばす。


「はぁ……。貴様もグルか、エマニュエル。

 ……まったく、勝手にしろ。

 上には代わりに叱られておいてやる」


 ジュリエットとエマは顔を見合わせ、それから互いの手のひらを小さく打ち合わせた。


「えっ、えっ、何? どういうことですの!? 

 わたくしを置いていかないでくださいまし!?」


 依然として混乱するプロメシュームをよそに、シャンデリアを貫きスポットライトが降りた。


 照らされたのはジュリエットとエマニュエル。

 そしてリディルとネフェルトゥム。


「さぁ、行こ? 劇場へ。

 冷めたお茶ティーなんかより、もっと熱いものが欲しいわ」


 差し伸べられた手をエマが取る。


「昨日もたらふく食ったばかりだってのに、

 欲張りだねぃ、うちの姫様は。

 どっかのナイト級が遅刻するから、エマちゃんが苦労するんだぞ、っと」


 互いに手を取り合い、劇場への階段を登る二人を、スポットライトが追いかける。


 グランギニョールの決闘者に選ばれる上で、最も重要なファクターは劇的であること。

 全ての観客がその行き着く先を見たいと求める因縁を作ること。

 その観点において、ジュリエットの振る舞いは完璧だった。


「功を焦ってまんまと舞台に上げられたね、ネフェルトゥム。

 君は相手の台本の深さを見誤った」


「認めましょう、マイマスター。

 しかしいつまでも脇役に甘んじるわたくしでないこと、

 あなた様はご存知でしょう?

 相手の本に乗るのは、主役を奪う自信のあればこそ」


 厳しい表情を浮かべていたリディルが、急に少年のような人懐っこい笑みを見せる。

 それだけで睦は、まるで映画の一場面を見せられているように錯覚させられた。

 鬼火ウィスプを通して見ている観客たちならば、なおさらだろう。


「なら、行こうか。ネフェルトゥム。

 セイクリッドサインがイザナミ頼みではないというところ、

 ひとつ皆に見せつけてやろう」


 リディルが立ち上がると、マスターたちの中でもひときわ高い長身が

 スポットライトによく映える。


 リディルとネフェルトゥムが階段を登り終えると、

 上座で沈黙を貫いていた支配人・遊離が口を開く。


「マッチング成立。

 この決闘はグランギニョールが認める正式な試合として宣言されます。

 それでは皆様、一斉にディールを。

 ディール受付終了が試合開始の合図となります」


 スポットライトが目まぐるしく変動するオッズを

 エントランスの床面に投射する。


 R.U.R.が3.70倍、引き分けが3.30倍、セイクリッドサインが4.10倍。

 エマニュエルvsネフェルトゥム、決闘開始――


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