第二十二幕「背信」

 

 唇に残るわずかな温もりと湿り。

 架橋を通じて伝わる、睦の表層意識。


「『愛されたい』で、ありますか」


 強引に、一方的に奪ったキス。

 自らは心を閉ざしながら、一方的に心を覗き見る罪悪感。

 スズリにはその一方通行が何故か少しばかり心地よかった。

 

「叶うことなら知りたくなかったでありますなぁ、こんな悦びは」


 大切な人に八つ当たりをして、

 それでもいまだ架橋を切られず、見放されずにいる現実。

 歪んだ片恋をくすぐられる快楽に、スズリは身震いをした。


 歪めば歪むほど、この恋はスズリだけのものになる。

 霧島海凪にも、ブルーメロゥにも持てない、睦への想いになる。


「ふ……ふふ、くふふふ……」


 低く笑うスズリが目を細め、見上げる先にそびえるのは、巨大な立方体。

 《R.U.R.》拠点船 《ボーグ・キューブ》。

 その頂点のひとつから、細身の人影がするりと飛び降りた。

 地に触れる直前で、ピタリと止まるつま先。

 スズリの周囲を取り囲むように浮かぶ複数の鋼球。

 ベレーの下の鋼色の瞳が、スズリを泰然と見下ろしていた。


「ボーグ・キューブに何の用だ。アヴァロンの影」


「これはこれは、女王クイーンアイゼンハート自らのお出迎えとは、恐悦至極」


「家の前でニヤニヤと笑っている者があれば、誰だって様子を見に来る。

 ……不審者め」


 スズリの口は反対向きのへの字に曲がる。


「妹分の意趣返しに来たのか? あいにくファーレンハイトは不在だ。

 私で良ければ代わりにお相手するが」


 スズリの手が剣の柄に触れる。

 周囲の鋼球が警戒するようにスズリに近づく。


 しかしスズリは、握った剣をそのまま目の前のアイゼンハートに差し出した。


「今夜は客として来たのであります。それなりのもてなしを」


 アイゼンハートはスズリの真意を推し量るようにじっと睨んだが、

 やがて肩の力を抜いてつま先を地に降ろした。


「客は客でもアポなしだ。もてなしはで構わんな?」


 ◆◆◆


 ボーグ・キューブ船内、ブリーフィングルーム。

 黒く光沢のある長机の下座に通されたスズリを待っていたのは、

 歓待とは程遠い光景だった。


「今すぐこの不届者をスクラップにすべきですわ」


 重い沈黙を破ったのは、癖のあるブロンドのオートマタ。

 どこか戦闘型らしからぬ気品を帯びる彼女の名は

 R.U.R.ビショップ級 《プロメシューム》。


 そしてその正面でスズリの剣、《無銘No.25》をいじるのは、

 深緑のおかっぱ頭が目を惹くオートマタ。

 R.U.R.ルーク級 《エマニュエル》。


「わはー、見てよジュリエット。

 すげぃねこの剣。ぎゅって掴もうとするとくねって逃げるぜぃ。うなぎみたい」


「食べちゃだめだよ、エマ。お腹壊しちゃう」


 エマニュエルを優しく諭すのはR.U.R.マスター、ジュリエット・ヴェルヌ。

 昼間の激戦もあってか、憔悴した様子だったが、

 その視線はスズリの一挙手一投足を抜け目なく見張っていた。


 少女らしからぬ、軍人の眼差し。

 才気煥発たる睦殿でさえ、未だ得るには至らない眼光。

 昼間の戦い、ゆえなくして敗れたにはあらず、か。


「ファーレンハイト殿は修復中でありますかな?」


「……いや、留守だ」


 アイゼンハートは長机の長辺の向こう側、上座で低く呟く。

 寡黙な女王に代わって説明の続きを引き継いだのは、

 メンテナンス担当のプロメシュームだった。


「帰ってきた時には機能停止寸前、まだ固有兵装のリブートも完全には済んでないというのに、

 あの子ったらわたくしの休憩中にボーグ・キューブを抜け出したのですわ。

 何度帰還命令を伝えても反応が無いし、あの子いったい、どこへ――」


「貴様の目的を吐け、アヴァロンの影」


 プロメシュームの言葉を遮るように、アイゼンハートが鋭い問いを投げかける。


「よもや社会科見学ではないだろう。

 この訪問は貴様のマスターも了解の上か?」


 つまり、チーム・アヴァロンとしての公式な会合か、と女王は問うているのだ。

 スズリは首を横に振った。


「独断でありますよ。これは自分ひとりの仕事の話でありますからな」


「チームに無断で敵地に乗り込み、密会する。

 我が社であれば処刑ものの背信行為だな。

 程度の差こそあれ、アヴァロンでもそれは背信に変わりあるまい。

 だがそれをおしてなお果たすべき貴様の仕事というのはつまり、

 影としてこの場の誰かを斬りに来た、ということだな?」


 空気が張り詰め、指一本でも動かせば爆ぜてしまいそうな緊張感。


 ひふみのよ。五分、というところでありますかな。


 剣は手元を離れ、クイーンを含む三体のオートマタとマスターがいる。

 その状況でスズリは、自らの勝率をそう見積もった。


 イザナミに膝を突かされたのは不意を打たれただけ。

 スズリの本分は暗殺であり、暗殺とは本来、一方的な攻めである。

 こちらから攻められる状況であれば、数倍程度の不利はねじ伏せられる。

 睦の前で傷つけられた自らの有用性を、この場で証明してみせられる。


 それは魅力的な誘惑だったが、しかしスズリは踏みとどまった。


「斬る、という着地点に相違無し。

 然れども我が標的は、この中にはいないのであります」


「やはりファーレンハイトか」


「否。あれはくるみ割り人形ではない。

 睦殿がそう断ぜられ、ならば自分はそれを信ずるのみ。

 そしてアイゼンハート、貴女もまた、嫌疑をかけられながら

 くるみ割り人形ではありえない」


「……ほう、どうしてそう思う」


「自分と似た臭いには、敏感なのでありますよ。

 アイゼンハート、貴女は平等だ。

 殺しに好きも嫌いもなく、相手に人間も機械もない。

 殺す必然があり、殺した結果がある。ただそれだけでありましょう?

 そこに愉しみも呵責もなく、ただただ、主がために為すべきことを為す。

 貴女のそれは、葛藤をとうに彼岸に置き去りにした者の目だ。

 自分も毎日、鏡の中に見るのであります。

 だがくるみ割り人形は違う。奴の手口は違う。

 あれは間違いなく、殺しを望む者の手によるもの。

 殺しそのものに意義を感じ、好んでするやり口であります」


「どうやら心当たりがありそうな口ぶりだな」


「フリークショウ所属、ビショップ級 《夜闇》。

 あのオートマタからは、腐れた血溜まりの臭いがする。

 望んで浴びた末期の血の臭いであります。

 あの機体はかつて、この船に乗っていたのでありましょう?」


「なるほど、貴様の望みは『情報』か。

 この場で我らを斬り伏せることもできるような顔をしておきながら、

 奴についてはずいぶんと周到に動くじゃないか」


では、ならないのでありますよ。

 くるみ割り人形は最終目標。対峙したなら、必ず殺す。そいう確信をもって殺す。

 一分の逆転の余地すら許さず完膚なきまでに殺す。

 言ったでありましょう? それは必然の殺しなのでありますよ」


「……マスターの許可なく他の陣営を訪ねることは、

 社に対する重大な反逆行為だ」


「承知の上。だが、だとしても自分は――」


「黒鼠。いつまで同じところを巡っている? 

 私は既に、次の段階の話をしているのだが」


 スズリの眉が、この席について初めてぴくり、と動いた。


「条件、の話ということでありますな?」


「え、な、なんですの? わたくしにも分かるように説明なさってくださいまし」


 動揺するプロメシュームを前に、エマニュエルは大きな欠伸をした。


「ふぁ……ぁ。敵と密会してるのは、

 そこに座ってるアヴァロンの影だけじゃない、って話でしょ。

 例えば今ここにいない誰かさん、とかね〜」


「ね、ねぇ……アイゼンハート。お願い。考え直してもらうわけにはいかないかな」


「その話はもう済んだだろう。

 ジュリエット、理解しろ。これはタイレル本社からの通達であり、決定事項だ」


 タイレル社。直属ブランドR.U.R.を抱える、四大PMC序列第二位の巨大企業。


「私がボーグ・キューブを離れるわけにはいかない。

 エマニュエルに命じようかとも考えたが……」


「いくら手負いでも、うちのナンバー2だよ?

 逃さず殺れる自信エマちゃんには無いな〜」


「……と、いうことだ。

 貴様が意趣返しに現れたなら、これは好都合だと思った。

 今は同士討ちで戦力を消耗している場合ではないからな。

 貴様が消してくれるなら、あるいは消耗させ、敗れて消えてくれるなら、

 いずれにせよ我らにとって利となるだろう。

 見返りは夜闇の機体データで構わんな?」


 屈曲した剣がエマニュエルの手から跳ね上がり、

 吸い寄せられるようにスズリの左手に収まった。


「よろしい。背信者ファーレンハイトの処刑、

 アヴァロンの影がしかと、引き受けた」






 

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