第二十幕「正義」
爆熱の双爪と、音撃の二丁拳銃が高速でひらめき、
白い火花を散らして衝突と離脱とを繰り返す。
不用意に近づいた
光の鱗粉となって散り、決闘者たちの周囲には、次第に光のコロッセオが形作られる。
睦とジュリエットは剣を構えたまま、オートマタたちの戦いを視線で追いかけ続けた。
いかに
しかしマスターらが手出ししないのは、「何も出来ないから」ではない。
思考加速を行なう彼女らには、超高速のオートマタたちの戦いすらスローモーションに映る。
脳への負荷を避け色彩を失った世界の中で、
マスターたちは“目”に、徹しているのだ。
架橋中、オートマタはマスターと表層意識を共有する。視界もその例外ではない。
睦は今や、ブルーメロゥのもう一つの目。
ブルーメロゥが相手の拳を注視するとき、その足元が疎かにならないように。
視差による三角測量が、より早く、より正確に相手の姿を捕らえるように。
移動しながら戦うオートマタたちを最短距離で追いかけ、
思考と視界のサポートをし続ける。
架橋したマスターとオートマタ同士の戦いは、どこかチェスに似通っている。
より速くより深く思考を加速した方が、ターンプレイヤーだ。
相手の行動の先を予測し、攻撃を“置く”。
目突きを狙うファラの一手を読んだ睦は、
ブルーメロゥの身を屈めさせ銃身の方向をボディを狙う軌道に修正。
先読みされたことを察したジュリエットは、睦よりもさらに先の速度へと加速し、逆にターンを握り返す。
目突きをフェイントに変更。足払いに移行。
ターンを取り返した睦は、ブルーメロゥにスライドを指示。
ファラの蹴りが空を切り、ブルーメロゥは灰煙を巻き上げながら距離を取る。
二手先をとった方がこのシャドウゲームを制する。
どちらもそのことを理解していたが、成すのはそう簡単ではなかった。
脳というウェットウェアの性能をカタログスペック目一杯まで引き出しているのだ。
根性論でどうにかなる次元の話ではない。
既に限界まで酷使されている頭脳と電子頭脳を
より速く、より長く加速するために必要なのは、
戦うために必要のない感覚を削ぎ落としていくことだった。
色覚の次に真っ先に切り捨てたのが味覚だ。
その次に嗅覚。鼻をつくきな臭さが消える。
ここから先が難しい。
勝負を完全にオートマタに委ね、マスター側の痛覚や触覚を切り捨てる。
身体の感覚が消え失せ、睦は自分がいよいよブルーメロゥの付属品、
単なる外部カメラになったかのような感覚に囚われる。
戦闘のためのエキスパートシステム化、
ロボット工学がオートマタに至るための道筋を逆行する過程。
その中で睦とジュリエットは、
とある必要からある一つの、ともすると切り捨てるべきだった感覚を捨てられずにいた。
聴覚だ。
この戦闘のさなかにあって、ブルーメロゥはいまだ、歌い続けていた。
〽
引き伸ばされた時間の中で音律は本来の形を失い、
脳内で再処理され再び音楽の形を成す。
歌っているブルーメロゥはともかく、
ファラとジュリエットは可聴域の聴覚など、早々に切り捨ててもいいはずだった。
だが、そうはしなかった。
不利を承知で歌に処理能力を割き続けるブルーメロゥに不気味さを感じたとか、
その歌に隠された意図を探るべきだとか、
多くの言い訳が加速された思考の中を駆け抜けていったが、
つまるところ彼女らは、聞き惚れていたのだ。
その事実がファラの怒りを掻き立てた。
『――ふざけるなよ』
食いしばられた歯の隙間から、思考加速者にしか聞き取れないバースト音声が発せられ、
ファラは強引な加速を開始した。
予定された動作を繰り出すための体性感覚を残し全ての五感をなげうち、
ブルーメロゥの二手先を行く。
限界を超えたジュリエットが意識を失い、架橋が途切れるが、
決定的な動作は既に成されていた。
空を切り裂く蹴り上げ。
だがそれは、ブルーメロゥを狙ったものではない。
足下に散らばる灰が巻き上げられ、ブルーメロゥの顔面に浴びせられる。
瞬き。
予測の先をいかれたその不意打ちに、ボディは反射的に反応する。
その
ファラの右手がブルーメロゥの右手首を掴み、そして、
「チェックメイトだ」
世界が色と速度を取り戻す。
ファラのつま先がブルーメロゥの鳩尾に食い込み、
爆炎の尾を引きずって吹き飛ばされる。
強引に引きちぎられた右腕からはクリアブルーの
錐揉みながら叩きこまれたのは、劇場を囲んでいた木立の中。
ファラにとっての、火薬庫だ。
「う、ぁ、ああああああああぁっ」
加速が解かれ、痛覚が戻ってくる。
右腕をもがれる痛みが、架橋を通じて睦にも流れ込む。
しかし、気がつかれないのは幸いだった。
今まさに止めを差さんとブルーメロゥへ爆進するファラには、見えていない。
崩れ落ち、痛みに震えながらも笑んでいる睦が。
いまだ架橋を、解かずにいることが。
「……そうだね、チェックメイトだ」
左手のイクテュエスを遠く蹴り飛ばすと
ファラの右手がブルーメロゥの頭蓋を掴み、
無抵抗の身体を木の幹に押し付ける。
火焔の刻印がブルーメロゥの身体に、そして木の幹へと
犠牲者の頭蓋を剛力で「砕く」のが《くるみ割り人形》の特徴。
で、あるならば、オートマタ・ファーレンハイトは――
「《くるみ割り人形》ではありませんね」
自らが死に瀕しながら、ブルーメロゥは驚くほど冷静に審判を告げた。
「で、あるならばあなたは、死に値せず」
「ほざけ、テメェが今から死ぬんだよ」
轟音。しかし、爆ぜたのはブルーメロゥの頭ではなかった。
――突然、木が高くなった。
ファラは最初、そう錯覚した。
そして次の瞬間、理解した。
沈んでいるのは、自分だ。
吹き上がる水柱、砕ける地面。
視界は一瞬にして紺碧に閉ざされ、
逆巻く水に揉まれて上下の感覚が消える。
ブルーメロゥはただ、観客のために歌っていたのではなかった。
歌は彼女のもう一つの牙を隠すためのマスク。
ファラの方を向いていない超音波を隠すためのブラフ。
人口浮島グランギニョールの土台は、
薄い金属膜の花弁から成る。
超音波による共振で破壊するに適した材質。
割れる、と、確信していた。
ブルーメロゥとファラは、ともに水底めがけ沈んでゆく。
掴むものもなく、酸化反応を起こすものに乏しい水中では、
ファラの反応触媒 《ファイアマン》は無力に等しい。
しかし、ブルーメロゥの右腕は欠損し、左の武器も奪われた。
互いに攻め手が無いのはどちらも同じこと。
(道連れ狙いか。悪あがきにしちゃ、悪くなかったな)
次第に
ふと悪寒が全身を貫いた。
(待てよ、だとしたら最後の瞬間、あいつは、どうやって
見上げる水面に、脚を
ファラと目が合うと、彼女はにこりと笑んで口を開いた。
水中で呼吸するように自然に。
その咽頭に隠された、第三の銃口をファラへと向けて。
ファラが刻印を起動するより早く、
人魚の姫は朗々と
その速度は空気中の五倍に達する、水中歌。
――♬
人ならざる絶唱の声を聴いたとき、ファラの全身は泡立ち、そして――
◆◆◆
流氷のように割れた花弁の隙間から、最初に浮かび上がったのは青い髪だった。
睦は目を輝かせて駆け寄るが、すぐに違和感に気づく。
「ブルーメロゥ……?」
岸辺にぐったりと横たわる彼女の背後に、
ファラの金髪が「ぷはっ」と飛び出した。
「……おい、緒丘睦。早くそいつを叩き起こせ。
修復限界でブラックアウトしてるだけだ」
「あ……」
水の中から這いずりだすファラに睦が言葉を失っていると、
「早くしろよ、まだ勝負はついてねぇ!!
畜生、こいつ、最後の最後で加減しやがって。
許さねぇぞ……本気だったのはオレだけか?
“命”を賭けてるつもりだったのはオレだけかよ!!
起きろ……起きて決着つけやがれ!!」
ブルーメロゥの胸ぐらを掴もうとするファラを、睦が
「……やめて。ボクらの負けだよ。
キミにトドメを刺せなかったのも、彼女の弱さだ」
「そんな屁理屈でごまかされるかよ。オレは、オレは……っ!!」
「自分の正義を貫くって大変なんだね。
甘い理想を掲げるなら、必要の倍強くなけりゃ成し遂げられない。
キミがその強さで成したい正義は、
ボロボロの彼女にトドメを刺すことなの?」
「るせぇ……っ。
ようやく巡り会えたんだ、本気で、対等にぶつかれる相手と。
圧勝でも完敗でもない、本物の戦いと。
邪魔すんなよ緒丘睦。オレの前に立ちふさがるなら――」
「その先の言葉は、慎重に選べ」
ファラの視界を、黒い鋼がぬらりと塞いだ。
「満身創痍の貴様を屠るなど、赤子の手をひねるより容易い。
あいにく自分には、護るべき正義などないのでありますからな」
「スズリ……」
マントを掴む睦の手に、スズリは優しく手を重ねる。
「見事な戦いぶりでありました。貴女も、ブルーメロゥも」
「……代わりにテメェが相手してくれるってか?
いいぜ、グランギニョール、第二戦のカードの決定だ。
早くオレたちにスポットライトを――」
「必要ない。無抵抗の睦殿に敵意を向ける狼藉、
今すぐここで斬って――」
「控えなさい。無粋だわ」
身も凍る声と静かな殺意に、睨み合っていたファラとスズリは
一瞬にして視線を奪われる。
絶対女王・イザナミが、純白の衣を灰に汚すことなく、
静かにそこに立っていた。
「ふたつ続けてケーキを食べたら、
ふたつ目の印象は薄く、ひとつ目の味までも忘れてしまう。
そこで伸びてる可愛い彼女を眺めて、まずは紅茶を一口すする。
正しく戦いを愉しまない者は、この劇場に相応しくないと思わない?」
「だ、だけどよイザナミ……。
こいつがオレの戦いの邪魔を――」
「あら、ファーレンハイト。あなたいつから私に意見できるようになったのかしら」
「――ッ!?」
動揺するファラをよそに、スズリは刀を構える。
「あなたもだわ。演出を理解できない子って嫌い」
「!?」
《
ただそれだけのことで、ファラとスズリはその場に膝を屈していた。
まるで体の芯を奪い去られたかのように。
その場に立っている者はただ二人。
睦と、そしてイザナミだった。
「ごきげんよう」
「ようやくボクを見たな、イザナミ」
「『ようやく』……ようやくだって?
可笑しいことを言う。それはこっちのセリフだわ。
ようやく私の視界まで辿り着いてくれた。
だけどまだ、足りない。まだまだ及ばない。
たまらないその敵意を、その目にもっと
頂上で逢いましょう、緒丘睦」
そう言い置くと、イザナミは自らが作り出した闇の中へと消えた。
重圧から解き放たれたファラとスズリが立ち上がる。
再び構えようとするスズリだったが、
その彼女に向かって、ファラの身体がぐらりと
スズリは戸惑いつつも、ぐったりとしたファラを受け止める。
修復限界による強制停止。
ファラもまた、とうに力の全てを使い果たし、意地だけで立ち続けていたのだ。
意識を途切れさせる直前、ファラはブルーメロゥに視線を向ける。
「勝負はお預けだ。二年後必ず、またやんぞ。
だが今回は――」
第六回グランギニョール第一の決闘、
激闘の末両者ブラックアウトに至り決着。
「一秒でも長く立ってた方の勝ちだ」
――勝者、R.U.R.ナイト級 《ファーレンハイト》。
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