第十八幕「ステイルメイト」


 複合現実MRと重ね合わされた視界が、血のように赤い警告文字アラートに染まる。


「くぅう……っ!!」


 吹き飛ばされたブルーメロゥは、天鵞絨ビロードのカーテンを掴み

 かろうじてつま先に床をとらえた。

 

 人工筋肉の腱を断たれた左腕はだらりと垂れ下がり、銃は感覚のない指先にかろうじてひっかかっている。


 正体不明の爆撃を受けた左肩からは、自己修復を示す蒸気が激しく立ち昇っていた。


 ダメージは深刻。だけど最悪じゃない。

 左腕は失くしてないし、イクテュエスも落とさなかったのは幸運だ。

 最低限動かせるようになるまでは、集中して1分、

 戦いながらで2分といったところか。


 ブルーメロゥは自己診断する。


 不死にも思えるオートマタの自己再生機能だが、

 大きな損傷を負えばそれだけバッテリーや冷却液クーラントの消費は著しく、

 いずれは修復不可能になってしまう。

 

 外部から生体素子を補給できない状況では、

 根本から失われた四肢を再び生やすといったこともできない。


 人のかたちにせるということは、

 かたちが持つ脆弱性をもまた、その身に受け入れるということ。

 よりというだけで、

 弱点や避けねばならない損傷の種類はほとんど共通だ。


「ちっ……浅かったか。

 最初から肩を狙ってりゃ腕くらいやれたかもな」


 ファラは舌打ちながらも、犬歯を剥き出した凶暴な笑みを浮かべる。

 粗野な表情とは裏腹に、ゆったりとした歩みは荒れた舞台の上で

 足音ひとつ立てることもない。

 手負いの獲物を弄びながらも追い詰める、肉食獣の歩みだ。


 ブルーメロゥの首筋を悪寒が伝う。

 古今東西人型のものを機能停止させる、最も効果的な方法として行われてきたこと。

 肩が本命でなかったとしたら、狙われたのはここだ。


「逃げなくていいのか?」


 自分よりも小柄な少女に、ブルーメロゥは恐怖していた。だが、


「逃げたらあなたがその場所に立ってくれませんから」


「あ?」


 ファラの足元の影が、やおら大きくなる。

 轟音とともに落ちてきたのは、巨大なスポットライトとそれを吊り下げる鋼鉄のレール。


「うぉおおお!?」


 俊敏に躱すファラだったが、

 超音波によって破壊された劇場の天井仕掛けは次々に落下し、

 無数の鉄槌となって降り注ぐ。


「っくしょ、ざけんなッ。

 こんな子供だましが、オレに効くかよ……っ!!」

 

 戦場では、対物ライフルの銃弾でさえ退けるのだ。

 倒れかかる鉄骨を赤く灼けた手刀でやすやすと斬り払うファラに、

 ブルーメロゥが肉薄した。


「そうですね」


 イクテュエスの銃口はまっすぐ胸を向いていた。


「ではこちらはいかがでしょう」


 ◆◆◆


 睦とジュリエットは刃を重ねたまま、

 一階席最上部を縦横無尽に駆けていた。


 刃を押し返し距離を取ろうとするジュリエットと、

 常に追いすがる睦、という構図だ。


「んもぅ……し〜つ〜こ〜い〜っ。

 それじゃ睦ちゃんだって剣が振れないじゃん」


「それでいいんだよ。

 ボクってばこうみえて結構、をわきまえてるんだ」


 ジュリエット・ヴェルヌ。

 序列第二位のオートマタブランド、《R.U.R.》の専属マスター。

 

 同じく新人とはいえ、つい先月まで一般人だった睦とは違い、

 この舞台で戦うための訓練を長年にわたって続けてきたに違いない。

 海凪が睦に与えてくれたようなあたりまえの幸福を犠牲にして、

 今日この日のために剣を冴えさせていたはずなのだ。


 いかにスズリに教えを請うたとはいえ、睦の剣はあくまで付け焼き刃。

 そんな剣と真正面から打ち合って勝てると思うほど、傲慢ではなかった。


「ボクの役目はキミをここに釘付けにすること。

 ファラあの子の直線的な攻めを、直線的なままにしておくこと。

 マスターとしてボクが後手なら、引き分けステイルメイトに持ち込むのは

 チェスの基本戦術だよ」


 ジュリエットは歯噛みをして睦を押し返そうとするが、

 睦の方はそれには付き合わず、力を抜いて受け流してしまう。

 相手がバックステップするなら、即座に踏み込んで間合いを詰める。


 同じエディテッド、同じ体格。基礎が同じなら練度が高い方が勝るは必定。

 技術も膂力もジュリエットの方が格上だが、

 フェンシングに鍔迫り合いの概念は存在しない。

 この一点においては、日本刀の剣術を学んだ睦が経験において上回る。


 足さばきを隠す長いスカートも、狭く平坦なピストの上で戦うフェンシングの経験も、

 ルール無用の場外乱闘ではかえってフットワークを制限していた。

 睦が曲芸を披露してまで戦場選びの主導権を奪い返したことが、効いてきた。


「……だとしても、空恐ろしくなっちゃうなぁ。

 人間観察にはけっこう、自信あったんだけど」


 ジュリエットの額に宝石のような汗のしずくが浮かぶ。


「分かってても普通、徹せられないよ。どこかで迷うものだよ?

 この有利な状況なら私を倒せるんじゃないかとか、

 ファラの矢面に立たされるあの子が心配になったりとか。

 だのにあなたってば、コンマ一秒の隙もくれないんだもの。

 嫌になっちゃうなぁ」


「悪どい師匠を持ったからね。

 我が家の家訓はボクの代から『敵が嫌がることをやり続けろ』だ。

 人んちの家訓勝手に変えるなんて、酷いと思わない?」


「……ブルーメロゥ、ファラに腕をもがれかけたよ」


「へぇ、そうなんだ」


「『そうなんだ』って、くそぅ……動じないなぁ……。

 私の分析では、あなたってもっと感情的で非合理的な人間のはずだったのに」


「感情的で非合理的だよ。

 ボクはブルーメロゥにもう二度と嫌われたくないんだ。

 ボクが彼女を心配して、その結果足を引っ張ったとしたら、

 そんなのって彼女に対する一番の侮辱だから」


「あなたって危険だわ。アイゼンハートが苦手なタイプ。

 私は良いマスターだから、女王サマのためにあなたをここで排除する」


「ごめんだね。キミにはこのまま、ボクのシナリオにつきあってもらうよ」


「残念だけど、それはできないの。ほら、足元を見て?」


「そんな単純な手に引っかかるもんか」


 不敵に笑う睦の足元で、火焔の刻印が煌めいた。


 爆炎、爆音。細身の直剣は盾にするにはあまりに心もとない。

 その場所は狙撃から逃げ回るファラが “マーク”しておいた地点。

 ファラの生体素子から造られた指輪リングに反応する、即席の地雷だ。


「うぁああっ!?」


 ジュリエット自身が巻き込まれる前提で仕込まれた、諸刃の剣。

 当然火力は抑えられているものの、二人は大きく吹き飛ばされる。


 と、その時、荒廃した舞台の上でも一際大きな爆発が巻き起こった。


 黒煙を突き抜けてきたブルーメロゥが、木の葉のように宙を舞う睦の体を抱きとめる。

 ブルーメロゥの腹部には、黒く焼け焦げた穴が空いていた。


「ブルーメロゥ、それ、大丈夫なの?」


「……見た目ほど深くはありません。すぐにふさがります。

 人間と違っておなかに大事なものは入ってませんから、

 背骨が傷つかなければ問題ないです」


「ファラは」


「一撃いいのをお見舞いしました。これでやっと、おあいこです」


 睦とブルーメロゥは互いに歯を見せ、いたずらっぽく笑い合った。


 ◆◆◆


「……っ、ぐ、くそ……っ」


 ブルーメロゥの腹部を強引に蹴り飛ばしたファラは、

 自らも爆風に吹き飛ばされて観客席に着地した。

 すぐ傍らでは、ドレスをボロボロにしたジュリエットがぐったりとしている。


「おい、ジュリエット。まさかお前、やられたんじゃねぇだろうな?」


「んにゃー……ちょっと休んでるだけ。しんど……。

 ファラこそ大丈夫なの? 穴っちゅー穴から煙でてるけど」


「けほっ。んぐ……バッテリーをひとつ潰された。

 修復しても漏れた電力は戻らねぇ。正直痛手だな。

 さっきお見舞いした分を合わせても、勝負を振り出しに戻された」


「よくわかんない固有兵装相手に真正面から突っ込むからだよぅ」


「ブレインのお前がルーキーと遊んでっからだろ?」


「遊んでないよ。ああ見えて結構手ごわかったの」


「その言い訳、デブリーフィングでアイゼンハートに言ってみろ。

 月までぶっ飛ばされっぞ」


「ファラこそ苦戦してるじゃん」


「ああ見えて結構手ごわかったんだ」


 ジュリエットとファラは互いに歯を見せ、いたずらっぽく笑い合った。


「となりゃ、やるこた一つだな?」


「いいよ、ファラ。……しよ?」


 微笑むジュリエットのうなじを引き寄せ、

 ファラは覆いかぶさるようにその唇をむさぼった。


 ◆◆◆


「おうおう、激しいね。

 でも、向こうが先に切り札切ったってことは……」


「そ、そんな期待した目で見ないでくださいよっ!!」


 ブルーメロゥは頬を赤らめる。


「こっちも解禁ってことでいいのかな」


「優しくしてください。その、は、初めてなので……」


 腰を引き寄せると、ブルーメロゥは身をこわばらせ固く目を閉じた。

 睦の背中をゾクゾクと得も言われぬ感覚が伝う。


「やばい、なんか目覚めそう」


「もう! 睦さんてばムードとかそういうの……むぐ」


 抗議のために開かれた口を、睦は自らの唇で覆う。

 美しい歌を紡ぐブルーメロゥの舌を、侵入する舌が愛撫した。


 水音。深く水底へ沈み込むような海鳴りと清涼感。


 睦の目の前に現れたのは、ひとつの青く透き通った扉だった。


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