第十六幕「ファイアマン」


 一顧だに、されないのか。

 同じ舞台に立ち、直接声を届けてなお、振り返ることすら。


 イザナミのために展開された劇場の壁面が、再びゆっくりと閉じてゆく。

 悠々とステージを去るイザナミが置き去りにしたものは、

 たなびく優勝旗と睦の想い。


 砕けそうなほどに噛み締めた奥歯が、ぎり、と音を立てる。


「オレを見ろ。人間。

 今、お前を脅かしているのは誰だ? イザナミか?

 オレの名前を呼んでみろ」


 右腕のタトゥーに溶岩のような光が走る。

 殺気と熱気が睦の前髪の先を焼き焦がす。

 触れれば人肉程度、一瞬にして黒炭と化す悪魔の指先。

 しかし睦は、固有兵装の致命的フェイタルな脅威を前に一歩も退こうとはしなかった。


「……どきなよファーレンハイト。キミに

 キミはイザナミの何?

 どういう権利があってボクの邪魔をするのかな。

 立ちはだかるというなら容赦はしないよ」


「なぁ人間。言葉は慎重に選ぶべきだ。

 むしろ感謝してほしいくらいだぜ?

 イザナミが歯牙にもかけないお前と、遊んでやろうってんだから」


「スズリ」


 睦が一声かけた瞬間、斬光が煌めく。

 スズリの剣を受け止めたのはしかし、

 ブルーメロゥが抜き放った銃だった。


 ぎり、と、金属同士が擦れる音。


「睦さん、スズリ先輩。あまりに軽率ですよ。

 三下の挑発に乗るほど、私の師匠の剣は安くないはずです」


 紫色の瞳がゆっくりと動き、殺意の矢印がブルーメロゥに向きかけたが、

 スズリは目を閉じ剣を納めた。


「……よく言うであります。

 抜くと分かっていたから止められたくせに」


「はは……バレましたか。

 危うく斬られるかと思いました。

 まったく、スズリ先輩も睦さんもすぐキレるんですから。

 短気なのって私、よくないと――」


「誰が三下だ?

 アイドル崩れが人の喧嘩に首突っ込んでんじゃねーよ」

 

 ファラの背後の壁が轟音とともに砕け、

 スズリのマントが降り注ぐ瓦礫から睦をかばった。


「――崩れてない」


「壁が崩れたであります。短気なのは……なんでありましたっけ?」


  ブルーメロゥの銃は今やファラの額に向けられ、

 その銃口は耳鳴りに似た高周波の残響を帯びていた。


「次は当てます。柘榴のように弾けなさい」


 更に注いだ二条のスポットライトが、

 ブルーメロゥとジュリエットを照らした。


「これは……」


 怪訝に眉をひそめるブルーメロゥに、

 ファラは不敵な笑みを浮かべる。


「選ばれたんだよ。グランギニョールの意思に。

 お客様がお望みなのさ、お前のケツがこんがりローストされる喜劇に、

 お高い値段がついたってこった。

 へっ、めでたいぜ。これでお前をぶっ飛ばす大義名分ができた。

 オープニングアクトの時からお前が気に食わなかったんだ。

 楽しげに歌なんか唄いやがって。戦闘型の面汚しが。

 なぁジュリエット、お前もそう思うだろ?」


「うーん、巻き込まないでほしいなぁ……」


 ジュリエットは苦笑した。


「まぁ、でも仕方ないよねぇ。選ばれちゃったんだから。

 うん。そだね、いきなりベテランと当たるよりはよっぽどマシかも。

 先に謝っとくね、睦ちゃん。

 お互い初めてのグランギニョールなのに、踏み台にしてごめん」


 その謝罪には、一片の皮肉も悪意も感じ取れなかった。

 R.U.R.のマスター、ジュリエット・ヴェルヌは、

 無垢な本心から詫びているのだ。


 睦はこれまで感じたことのない種類の寒気を覚えた。

 だがそれはすぐに、静かな怒りに反転する。


 初心者ルーキーは同じ。どうしてナメられるいわれがある? 


「どうする? ブルーメロゥ。

 なんか二人して勝手なこと言ってるけど」


 問われたブルーメロゥは、冷え切った目で背後を振り返る。


「スズリ先輩、?」


「……預けたであります。ただし、条件がひとつ」


 大仰に広げられた左腕。

 ひらめく白手袋の親指が、まっすぐ直下を指した。

 死神による告死のハンドサイン。


「お分かりか?」


了解ラジャです。先輩」


 ブルーメロゥが頷いた瞬間、スポットライトが照らす真円から四輪の蓮花れんかが咲いた。

 劇場を包んでいたものと同じ銀の花弁が睦たちを包み込み、視界が暗黒に包まれる。


 前後不覚の加速度を味わう数秒の後、四人の少女たちは舞台の上に咲いていた。

 彼女らを照らすのは今やステージを取り囲む無数の鬼火ウィスプの輝きだった。


 造られた少女たちの白絹の肌は光の中にいっそう白く、

 この世ならざる美しさを電子の海の向こうへと投げかける。


「期待以上の問題児だね、緒丘睦。

 最悪に最高だよ、キミって」


 ステージで待ち構えていた総支配人・水城遊離は睦たちにだけ聴こえる声でつぶやく。

 それから観客達へ向き直ると、よそ行きの仮面を表情に纏い、厳かに宣言した。


「マッチング成立。

 この決闘はグランギニョールが認める正式な試合として宣言されます。

 それでは皆様、一斉にディールを!!

 ディール受付終了が試合開始の合図となります!!」


 舞台上に投影されたエアリアルディスプレイに、

 巨大なタイマーが表示される。


 今度は促されるまでもなく、睦はMR機能を起動していた。

 オープニングアクトの時とは比べ物にならない加速度で飛び交う金額。

 ともすると自らの死につけられた値段。


 機械仕掛けのコロッセオに熱狂する人々の猛りが、

 数字となって睦たちに付与されてゆく。

 睦は自らに賭けられた数字の大きさに、有りもしない重みを感じていた。


 人一人の人生をたやすく左右する金額。

 グランギニョールの少女たちに入れ込み、

 全ての財を失って命を断つ者たちも数知れず。

 社会問題となっても、更に大きな金の力が、

 この劇場を犯そうとするあらゆる干渉を退けた。


 ゆえに残酷な人形劇グランギニョールは続くのだ。

 舞台に立つ少女の、彼女らに夢を託す観客の命をにして。

 それが華美な世界の、もうひとつの側面だった。


 エディテッドは呪われた子どもたち。

 その恵まれた生には常に誰かの死がつきまとう。

 海凪によって“教育”された睦は、これまで幸いにして

 誰かを死に追いやるような経験をしたことがなかったが、これからは、別だ。

 睦が勝とうが負けようが、ディールの結果は誰かの人生を大きく狂わせる。


 重い。重いなぁ。

 知識としては知ってたつもりなのに、いざ舞台に立つと全然違うや。


 ……初戦のパートナーがスズリでなくてよかった。

 どんなに演技したところで、彼女はきっとボクの手が震えていることに気づく。

 裏切りたくないんだ。彼女の信頼と期待を。

 スズリがボクの剣になるなら、ボクはいつでも強者として、

 彼女を振るわなければならない。

 イザナミのためだけじゃない。スズリのためにもボクは強くならなきゃいけないんだ。

 ブルーメロゥと一緒に、あの敵を打ち破って。


「戦闘領域は無制限。島内全域が戦闘区画となります。

 決闘への干渉は即時失格、決闘外の各プレイヤーは

 安全距離を保ち観戦に徹すること」


 遊離の宣言とともに劇場に警告音アラートが鳴り響き、

 睦とジュリエットの足元から音もなく細身の直剣が現れる。


 横を窺えば、ブルーメロゥが真剣な眼差しで頷いた。

 舞台袖の階段からは、スズリが帽子をちょいと持ち上げ、

 ドロシーとロゼが笑顔で手を振っていた。

 

 ……大丈夫、ブルーメロゥは強い。

 ボクだって、カスパールと戦った時より強くなった。

 どけよファーレンハイト。

 ボクがお前を、踏み台にしてやる。


 睦は装飾が施された剣の柄に手をかける。

 

 ……抜けない。


 決闘開始の合図を待てということか。

 ひんやりとした金属の感触が、睦の心を鎮めた。


 心臓は高鳴って、アドレナリンは全開で、

 だけど頭だけは冴えて冷えている。

 睦らしさが戻ってきた。いい兆候だ。


「睦さん。まずは私に任せてください。

 ファラをマスターから引き剥がします。

 睦さんはその隙にマスターを」


「分かった。任せる」


 舞台の反対側では、ファラもまたジュリエットに何かを告げていた。

 そして睦たちに向き直ったとき、その表情には野趣溢れる獰猛な笑みが浮かぶ。

 眼の前の獲物を食い殺さんと欲する、獣の笑みだ。


「ディール終了まで残り5秒。

 スリー……トゥー……ワン……」


 激戦に備え、遊離の身体を銀蓮花が包む。


決闘開始アクト!!」


 二人のマスターが剣を抜き放つ。

 戦いの火蓋が切って落とされたとき、

 舞台の上で起こったのは多くの観客の予想を裏切る初動だった。


 二丁の銃を構えるブルーメロゥがまっすぐファラへと突進し、

 一方で徒手空拳のファラが、ジュリエットの襟首を掴むと

 高く跳躍して距離をとったのだ。


「初手にして悪手です。空中に逃げ場はありませんよ?」


「バァカ。なんでオレがジュリエットを連れてくと思う?」


 ファラが空中で舌を出した瞬間、

 ブルーメロゥを真下からの光が照らす。


「おら喰らえ、Kabooooooom!!」


 荘厳なステージが一瞬にして爆炎に包まれ、

 一層高く舞い上がったファラたちはボックス席の手すりに着地する。


 睦は剣を再び床に突き刺し、身をかがめて吹き飛ばされないよう耐えていた。


「ブルーメロゥ……っ!! げほっ」


 パートナーの名を呼ぶ喉を、容赦のない熱波が焦がす。


「……慌てないでください、睦さん。私は無事です」


 黒煙を引きずりながらブルーメロゥが姿を現し、睦は安堵する。

 衣装はところどころ破れ焦げているものの、大きな損傷はないようだ。


 煙に遮られ、睦の位置からファラたちの姿を捉えることはできない。


「油断しました。まさか爆装しているとは。

 新しいサブ兵装でしょうか、あんな攻撃、これまでの戦闘データにはありません」


 そのデータは睦もモンストロ船内で確認済みだった。

 前公演におけるR.U.R.ナイト級ファーレンハイトの戦闘は二度。

 どちらも短期決戦に終わっている。


 一戦目は当時のリーサリィライムナイト級との戦い。

 近接格闘機同士の乱打戦で幕を開け、互角の打ち合いかと思った直後、

 リーサリィライムの機体が突如炎上崩壊したのだ。

 ファラの武装は両腕りょうわんから発せられる熱量攻撃と推測。

 リーサリィライム機は自らの固有兵装の熱暴走により自壊したと思われた。


 そして二戦目は対イザナミ戦。

 最初の打ち合いの直後、イザナミの《天魔反戈あまのまがえしのほこ》が破損。破壊の際、高熱反応あり。

 ファラ有利の展開かと思われたが、イザナミが素手で頭部に触れた瞬間、ファラは膝を屈して沈黙。

 そのまま再起動することなく、マスターが降伏サレンダーを宣言した。


 破れこそしたものの、数多のクイーン級を差し置き

 イザナミの固有兵装を破壊しえた唯一のオートマタとして記録されている。


 グランギニョールの期間外、ファラはR.U.R.の親会社である四大PMC、

 タイレル社の戦乙女ヴァルキリーとして活動している。

 数万のドローン兵器を率いる彼女の戦闘行動は最高レベルの情報迷彩によって隠匿され、社外にその全貌を知るものはいない。

 

 示威行為にも用いられる同社クイーン・アイゼンハートの固有兵装とは異なり、

 より実戦に特化した軍事面のトップシークレットだった。


 「イザナミの登場により、グランギニョールに数多の華を添えた

  炎熱武装は一挙に陳腐化した。

  ファラの固有兵装、反応触媒 《ファイアマン》は、

  グランギニョールに再び火焔の華やぎを取り戻し、

  そしてあのイザナミにも届きうる牙として生み出されたのだ」


 かつて電子の海に27.5秒だけ掲載されたインタビュー動画で、

 ファラのデザイナーは得意げにそう語っていた。


 『反応触媒』――。

 グランギニョールのルールに従って登録された名称を額面通りに受け取るなら、

 固有兵装と思われるあの腕の中で何らかの反応を起こし、

 高熱を発生させる武装なのだろう。


 ……だが、ならば、あの爆発はなんだ。

 あの場に炸薬の類はなかった。

 ファラが何らかの質量弾体を発射した形跡もない。


 何だ、何が爆発した?


 睦の脳裏を目まぐるしく情報が駆け巡り、ひとつの仮説が浮かぶ。


「ブルーメロゥ、あいつの腕に触っちゃダメだよ」


「むちゃくちゃ言いますね。私のファイトスタイル知ってるくせに」


「できない?」


「やりますけど」


 ディール終了時のオッズはR.U.R.が2.50倍、アヴァロンが7.50倍。


 ……ボクらが大穴ってワケ。気に食わないな。

 これは是が非でも、ボクらに賭けてくれた人たちを大儲けさせてやらなきゃ。


「ブルーメロゥ、架橋キス、しよっか。キミさえじゃなけりゃ」


「嫌ですね」


「そんなっ!?」


「向こうはまだしてません。

 こちらが先に使えば、負けた気がして不愉快です」


 まったく、クールに見えて負けず嫌いなんだから。

 モンストロで打ち合ったあの時と同じブルーメロゥを垣間見て、

 睦の頬は思わず緩んだ。


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