第十五幕「オープニングアクト」


「やあ、待たせたね。

 チーム・セイクリッドサイン、ただ今到着した」


 光の中から現れたのは、マニッシュなブラックスーツに高いヒールを合わせた中性的なひと。

 彼女に相対する者は、男性であれ女性であれ、その美しさを称賛せずにはいられないだろう。


 アブソリュート社セイクリッドサイン所属、リディル・ファーブニル。

 絶対者イザナミとつがうマスターとして、これ以上ないほどの女性。

 そして彼女に付き従うのは三機のオートマタだ。


「三機……?」


 睦は怪訝に眉をひそめた。


「なぁリディル。イザナミはどこだよ。

 その面子でセイクリッドサインを名乗るたぁ、

 いささかガリョーテンセーってやつに欠けるぜ」


 睦の疑問を前のめりに代弁したのは、

 R.U.R.のナイト、ファラだった。


 リディルは物憂げな苦笑とともに前髪をかきあげ、

 その些細な仕草だけで鬼火ウィスプたちをざわめかせた。


 彼女は『女優』としてのステージの、一歩上にいる。

 リディルを前にして、睦はそれを肌に感じていた。


「彼女は散歩している。実にイザナミらしくね」


「呼んできてくれよ。オープニングアクト始まっちまうぜ」


「私には不可能……かな。

 そちらの可愛いきみとかでないと、迎えに行けない場所にいるから」


 にこりと微笑みかけられ、

 「可愛いきみ」と呼ばれたブルーメロゥの背筋が真っ直ぐに伸びる。


「わわ、私ですかっ!?」


「はじめてのグランギニョールで緊張しているのかい?

 血の気の多い戦闘型にあって、きみのような可憐は本当に稀有だ。

 ふふ、実に可愛らしいじゃないか」


 この人は、危険だ。色んな意味で。


 無意識に袖を掴み頬を染めるブルーメロゥを、睦は背中に隠した。


「イザナミは海……ってこと?

 万神殿パンテオンには乗らなかったの?」


「心配せずとも、開会式には必ず着くよ。

 それにしても皆、イザナミが大好きなんだね。

 はじめまして、あるいはお久しぶりだというのに、

 皆が皆、開口一番彼女の話をする。目の前の私をさしおいてね。

 それが少し、寂しいな」


「あっ……ごめん、なさい。

 ボクは緒丘睦といって――」


「知ってるよ。ちょっとからかってみただけさ。

 だけどきみは、思ったよりもだね。

 それじゃあ彼女の視界には入れない」 


 うなじの毛が逆立つのを感じる。

 だが、ひりつくほどの怒気を放っているのは睦ではなかった。


「よしておくれよ、アヴァロンの影。そう野犬のような目で睨まないでくれ。

 こうみえて繊細なんだ。きみの血塗られたリストに名を連ねては、

 恐ろしくて夜も眠れない」


 睦が視線で制すると、スズリの手が剣の柄から離れる。


「そうさ、楽しくいこう。せっかくのグランギニョールだ。

 ほら、耳を澄ませてごらん。ワルツは既に始まっている」


 リディルが頭上に燦然と輝く豪奢なシャンデリアを指差すと、

 意識の外に追いやっていた音楽が鼓膜をくすぐる。


 セイクリッドサインの麗人は、後ろに控える一体のオートマタに手を差し伸べた。


「おいで、アルテミス。

 つれないイザナミの代わりに、私と踊ろう」


 微笑みとともにその手を取ったのは、

 月光色のポニーテールを揺らすオートマタ。

 睦はその美貌によく見覚えがあった。


 『アブソリュート社セイクリッドサイン所属、

  ルーク級 《アルテミス》。

  固有兵装はマルチプルボウガン《シルヴァームーン》』


 グランギニョール出場経験者。

 彼女もまた《くるみ割り人形》の容疑者だ。


 睦の視線に気づいたアルテミスは、彼女に向けて小さく手を振った。

 セイクリッドサイン機らしく神々しい容姿が、

 一息に同年代の親しみやすい少女の印象に変わる。


 アルテミスは人懐っこい流し目を残すと、

 リディルに手を引かれサーキュラー階段を登ってゆく。

 ついてこい、と言われているようだった。


「階段の先がマスターたちの特等席よ。文字通りの“踊り場”ね」


 ロゼが解説する。


 ホールの外周をめぐる階段には、四つの踊り場がある。

 リディルたちは上部回廊に最も近い踊り場で足を止め、

 ワルツを踊り始めた。


 ……と、いうことは。

 睦はを待たなければならない。


「へへ、悪いね。お先するぜっ!」


 ファラはロングドレスのジュリエットを抱え上げ、

 数段飛ばしで階段を駆け上がる。


 そう、踊り場の高さはブランドの序列を示す。

 睦らアヴァロンは、現在序列第三位だ。


「ボクらもいこっか、ブルーメロゥ」


「そうですね。先輩たちに気圧けおされちゃってましたけど、

 私がダンスもいけるとこ、しっかりアピールしないと!」


「いい、睦ちゃん。ダンス初心者は――」


「基本ステップと視線の向きだけ完璧にする。

 他のことはブルーメロゥに任せる」


 ロゼが頷きを返すと、睦とブルーメロゥは階段を駆け上る。 


「さあ、ドロシー。あたしたちも踊りましょ?」


「よかったぁ、ロゼが声かけてくれて。

 わたしこういうペア作るのとか苦手なんだよね……」


「クイーンが何言ってんだか」


「……では自分は階段の陰にでも控えておりますゆえ」

 

「あら。苦手がもう一匹。

 全チーム五人なんだから、スズリがぼっちになったら

 他の誰かが困っちゃうでしょ?」


「他ブランドの者と組めと!?」


「仕方ないじゃない。交流を兼ねたイベントなんだもの」


「ぐぬぬ、睦殿ぉ……」


 スズリが視線を送る先で、睦は既にブルーメロゥと踊り始めていた。


「ご覧の通りご主人サマは忙しいの。

 迷惑かけたくなかったら、ワガママ言わないでお相手探しなさい」


 ロゼにたしなめられたスズリは、所在なさげにあたりを見回す。

 すると彼女の傍に、ひとりの少女がぽつん、と立っていた。


「ジュリエットにファラをとられちゃったから、相手がいないの。

 スズリおねえさん、よるちゃんと組んでくださる?」


「夜闇、と、いわれたか。どうして自分に?」


「おねえさんは良い匂いがするもの。

 よるちゃんの好きな匂いだわ」


「わかる」


 夜闇の言葉になぜかドロシーが頷き、

 むくれたロゼの腕の中に引っ張り戻された。


「自分で良ければ、お相手いたそう。

 しかしダンスはからきしで――」


「平気よ。よるちゃんはダンスが得意なの。

 そういう“お仕事”も、あったから」


「……それは心強い」


 スズリは曖昧に微笑むと、夜闇の手を取った。


 それが最後のペアリング。オープニングアクトの幕開け。

 待たされていた鬼火たちが一斉にホールへとなだれ込み、

 あふれる光にシャンデリアがプリズムを煌めかせる。


 燦たる輝きの中でゆったりとワルツのリズムを踏みながら、

 スズリの意識は既に暗く冷たい集中の中へ沈んでいた。


 夜闇はくるみ割り人形候補者。

 この接触を通して見極められることがあれば、睦の役に立つかもしれない。

 それはあの踊り場で踊っていては、叶わないことだ。

 今、スズリにしかできないことだ。

 頭は冴え、笑みがこぼれた。殺す以外でも、睦の剣たれるのだ。


 しかしふと足裏に違和感を覚え、手のひらを合わせる夜闇がつんのめった。

 

「あなた、とても楽しそうによるちゃんのつま先を踏むのね」


「……失敬」


 笑みは消えた。


 ◆◆◆


「ワン・ツー・スリー……。ワン・ツー・スリー……」


 ブルーメロゥの手を取りステップを踏みながら、

 睦は呪文のように小声でつぶやき続けていた。

 周囲が鬼火ウィスプに埋め尽くされたことにも気づかずに。


「さすがエディテッド。

 リズム感もステップもターンも、もう完璧ですね。

 だけど睦さん、今、楽しいですか?」


「楽しい……?」


「はい。私は睦さんと踊れて楽しいですけど、

 睦さんはそうじゃなさそうだなー、って。

 音“楽”ですから、楽しまないと。

 自分が楽しまなけりゃ、お客さんも楽しんでくれません」


「そっか……そうだよね!」


 身体を縛っていた重い枷が落ちたようだった。

 睦はテンポをつぶやくのをやめ、音楽に身を任せる。


 もはや社交ダンスでもなんでもない、

 パートナーのブルーメロゥを振り回すようなステップ。

 しかしブルーメロゥは持ち前の技量で睦の奔放の手綱を握り、しっかりとフォローする。


「ブルーメロゥ、歌って?」


 睦に促され、ブルーメロゥはワルツに自らの旋律を重ねる。

 AIによって制御された音響設備は直ちにブルーメロゥの歌声を拾い上げ、

 ホールを満たす音楽の一部として取り入れた。


 規範の枠を超えた二人の舞いは、妖精郷アヴァロンの踊り手に相応しい純粋で無邪気なものへと変容していた。


「なんだ、『あたりまえ』じゃないじゃないか。

 イザナミ、群れることを嫌うきみは、

 もしかするともったいないものを見逃したかもしれないよ」


 最上段から見下ろしていたリディルは思わず笑みをこぼした。


「睦さん、今コンタクトで拡張現実MRって見れます?」


 ブルーメロゥが不意に歌を止めて問いかける。

 睦がコンタクトレンズにMR情報を投影すると、

 踊るオートマタたちに無数のメタデータが添付され、

 そこに記された数字が目まぐるしく変わってゆくのが見えた。


鬼火ウィスプたちが私たちにつける値段や、

 関連商品の契約情報です」


「もう一生働かなくていいくらいの金額がいくつも見えるんだけど」


「グランギニョールですから。

 とはいえ、開戦前にこの金額は新人としては異例ですね」


「あっ、そうだ。それより契約情報!! 歌の仕事は!?」

 

 ブルーメロゥは腕でアーチを作り、睦をくるりと一回転させた。


「ありがとうございます、睦さん!」


 狂奔の夜は更け、オートマタたちは夜明け前まで踊り続けた。


 その後は各報道機関のインタビューが続き、

 空が明るみ始めた頃、睦はようやく鬼火ウィスプのいない控室に通された。

 バロック式の豪奢な内装を眺める暇もなく、

 シャワーを浴びてすぐ、ばたりとベッドに倒れ伏す。


 次に目を開けたとき、睦の目の前にあったのは長いまつげと紫色の瞳だった。


「おはようございます。睦殿」


「うわぁ」


「寝起きからドン引きでありますか」


「スズリのせいだよ」


「ルーク級はマスターと同室なのであります。役得」 


「ガン見しながら添い寝していい説明にはなってない」


 マホガニーの扉がノックされ、睦が返事をするとゆっくりと開く。

 顔をのぞかせたのはフレンチメイドのポーン級だった。


「開会式、時間です。

 サンドイッチと紅茶、用意したですから、ここに置きます。

 食べてから、どうぞ」


「ん……ありがと。

 キミたちって劇場でもお世話してくれるんだね」


「『たち』というか、睦殿を担当しているのは常に同一個体でありますよ」


「えっ、そうなの。皆同じ見た目だから気づかなかった。ごめんね」


「私が睦さんのお世話する担当アヴァロンポーン、機体番号003です」


「3号ちゃん……」


「003はセイクリッドサイン、R.U.R.、フリークショウにも在籍してるです」


「じゃあアリスって呼んでもいい?

 ボクが昔好きだったオートマタの名前。

 キミ、ちょっと似てるんだよね」


「アリス……」


「ズルいであります。自分も睦殿に名前つけてほしい」


「スズリはスズリでしょ。

 そのままで呼びやすいからあだ名もいらないよね」


 スズリは布団をかぶって拗ねた。


「あっ、まだ温かいであります。

 睦殿の温もり……っ。はすはす」


「スズリって結構寂しがり屋でしょ!?

 次のグランギニョールでは絶対一緒に踊ってあげるから……」


「絶対でありますな!? 約束でありますよ!?」


「そういうのは鬼火ウィスプの前でやってほしいです。

 好むお客さんがいます。では」


 アリスは一礼すると、朝食を乗せてきたカートを押して去っていった。


「……さて、睦殿。部屋を出てイチャイチャしましょうか?」


「ご飯食べて開会式行くよ〜」


 睦がサンドイッチを頬張る間、

 スズリはじっとその横顔を見つめていた。


 ◆◆◆


「イザナミは?」


 開会式の控室に足を踏み入れるや否や問いかけると、

 部屋のあちこちからため息が聴こえる。


「その質問、テメェで四人目だ」


「えばるでない三人目」

 

 清姫に肘で小突かれ、ミシェルは舌を出す。


 イザナミがいなければ、グランギニョールが真の意味で始まることはない。

 誰しもがそう、確信しているようだった。


「おはよう……の、時間じゃないし、

 全員揃っても、いないね。

 全く嫌になるよ、こうも問題児揃いとは」


 聞き覚えのある声に振り返ると、懐かしい顔がそこにあった。


「遊離さん!」


「お久しぶり、睦ちゃん。ちょっとはたくましくなったみたいね」


 投げかけられる笑みがこそばゆい。

 ほんの一ヶ月ぶりなのに、まるで数年来の再会のようにさえ思えた。


「開会式はどうするのだ、支配人。間もなく時間だぞ。

 奴には女王クイーンの自覚がないのか」


 苛立ちながら問うアイゼンハートひとりめを、遊離はまぁまぁとなだめる。


「開会式はこのまま始める。皆は舞台裏に入って。

 心配しなくても、イザナミはこの場の誰よりもエンターテイナーだよ。

 登場のしどきはちゃんと、心得てる」


 遊離は一同をぐるりと見回し、両手を広げた。


「準備はいい? ショーの始まりだよ」



~~~~~~~~~~~~~~~~~



 開演のブザーが鳴り響き、天鵞絨びろうどの幕は上がる。


「ようこそお越しくださいました、劇場テアトル《グランギニョール》へ」

 

 スポットライトが照らし出すのは、チャイナドレスに身を包んだ黒髪の美女。


「本公演より総支配人を務めさせていただく、水城遊離みずしろ ゆうりと申します。

 皆様どうぞ、お見知りおきを」


 仰々しくお辞儀をする客席に人影はなく、

 ただ暗闇に無数の鬼火ウィスプの瞬くばかり。


「二年に一度のこの催し、本日のオープニングにお越しいただいた皆様方に心よりの謝辞を。

 これよりここに、第六回公演の開演を宣言いたします!!」


 万雷の拍手は、電子の海を超えいずこより響くか。

 重低音とともにバロック様式の天井は空と開き、

 薄闇の劇場は一瞬にして太陽の光に満たされる。

 展開した壁面の間から流れ落ちる海水が、赤絨毯の階段を滝へと変えた。


「まずは本公演を演じる、人ならざる戦女神たちをご紹介しましょう。

 まずは劇団セイクリッドサインより前公演 《グランドマスター》、リディル・ファーブニル。及びその女王クイーン・イザナミを!!」


 鳴り響くヒールの靴音。煌めく金色のショートボブ。

 凛々しいブラックスーツに身を包んだその女性は、

 舞台袖より現れ客席へと優雅に手を振った。


「セイクリッドサイン、マスター・リディルが心より感謝を。そして謝罪を、皆様に。

 イザナミの到着が遅れてる。あれほど言ったのに、困った子だ」


 ステージを見つめる鬼火たちのゆらめきに、ざわめきが走る。


「すまない。彼女はもっと自覚するべきなんだ。

 誉れある序列第一位は、皆様の愛により成り立っているのだから」


「――愛? 愛って?」


 心臓を流れる血液すら凍てつかせるような声が響き、

 次の瞬間、つんざくような金属音とともにステージ中央に何かが突き立つ。


 ――グランギニョール前公演 “優勝旗” 。


 その鋼鉄のシャフトが震える残響が不意に、絶ち消えた。

 鬼火たちのざわめきも、風のうなりも、海鳴りさえもが消え果てた。

 流れ落ちる滝は瞬時に凍てつき、劇場は闇にとざされた。

 

「そんなものが欲しいだなんて私、一度でも言ったかしら」 


 宇宙を思わせる極寒の暗黒と静寂の中に、彼女の声だけがよく響く。


「いらない。いらない。いらない。

 私が必要と言わないものは、何一ついらない。

 この旗だって、もう、いらない」


 白銀の矛が振るわれ、世界は音と光と温度とを取り戻す。

 羽衣透き通る天女のような少女が、優勝旗の石突きの上に立っていた。

 細い高下駄はゆらぎもせず、冷徹な目が鬼火たちを、

 そして彼女の共演者たちを高みから見下ろしていた。


「価値をつけなさい。もう一度勝ち取るに値する価値をこの旗に。

 凪のような勝利なんて、退屈なだけだわ。

 思い出させて。私が今、どこにいるのか」


 セイクリッドサイン、クイーン級オートマタ《イザナミ》。

 敵対3ブランド全てのクイーン級と戦い、打ち破った劇場グランギニョール最強にして絶対の存在。


 誰もが畏怖と憧憬をもって見つめるそのオートマタに、

 ただ一人、舞台袖から焼けつくような視線を送る者がいた。


「イザナミ。ようやくお前に、たどり着いた……!!」


 舞台に飛び出そうとする睦の目の前を、火焔のタトゥーが遮った。


「おいおい、誰の頭越しに因縁つけようとしてくれてんだ?

 オレに断りなく、イザナミの視界に入れると思うな。

 あの人の一番近くに居ていいは、このオレだけだ」


 舞台袖に二条の光が差し込む。

 アヴァロンのマスター・緒丘睦。

 そしてR.U.R.ナイト級・ファーレンハイトを、スポットライトが照らし出した。







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