第十四幕「スカーレット・クロスロード」

 

「さぁ、睦殿。お手を拝借」


 睦はスズリと手を重ねるようにして、剣の柄を握り込む。

 切っ先は涼やかな金属音とともに鏡面のような足元に突き立ち、

 グランギニョールを形作る白い蓮花の花びらに鋭い傷跡を残した。


「これでこの島はボクらのものだ」


「グランギニョールで最初の共同作業でありますな」


「ねぇ、このまま劇場まで行っちゃおうよ。

 そっちも一番乗りだ」


「イチャついてるとこ悪いけど、その格好で劇場に入るつもり〜?」


 甲板の上から呆れ顔のロゼが呼びかける。

 

 睦の制服のスカートの裾からは、

 ポタポタと海水が滴っていた。


 スズリは光沢のある床をじっと見下ろし、


「……あ、パンツ見えたであります。白。やったぜ」


「うぉあぁああ、タラ〜〜〜ップ!!」


 睦は右手でスズリの目を覆い、左手でモンストロに大きく手を振った。


 ◆◆◆


 シャワーを浴びてよく乾いた制服に袖を通すと、

 プールの授業の後のような気だるさが胸の奥にじわりと広がった。


「どうしてあたりまえのようにうちの制服の替えがあるの。

 サイズもぴったりだし」

 

 素朴な疑問に対するロゼの答えは、


「四大PMCナメんな」


 だった。


「アヴァロンがどこの馬の骨とも知れない

 誰かさんをよりにもよってグランギニョールの

 マスターに起用すると思う?

 一通り調べさせてもらったに決まってるじゃない。

 睦ちゃん自身が見た事無いようなトコまで、じっくりとね♪」


「カスパールと戦った後、ボクが倒れてる間に?」


「ご名答。

 アヴァロンメンバー全員との架橋適正も検査済みよ。

 もっとも、エディテッドなら適正があって当然で、

 適合率の多寡あれど根本的に不適合が出るのは

 スズリみたいな例外だけよ」


「つまりボクは一番高いハードルを最初にクリアしたってわけだ」


「そゆこと」


「ねぇ、もう劇場に向かってもいいかな?

 早く生で舞台を見てみたいんだ」


「ダーメ♪ もう少しで日が暮れるわ。

 そしたらもっとイイものが見られるから」


 タラップに出た睦は、悶々として日没を待ち続けた。 

 モンストロの背後に見える西の空が

 青とオレンジのカクテルのように染まり、

 夕陽が水平線の影に隠れた時――


「なんか来る……」


 劇場を囲む森の方から、

 白銀の床を一条の赤い線がまっすぐこちらへ進んでいた。

 そして赤い線が通り過ぎたところに、

 左右の床面から高いアーチのようなものが立ち上がる。


 発光するアーチに照らし出されたそれは、


「レッドカーペットだ!!」


 音もなく延びるレッドカーペットは、

 モンストロから降ろされたタラップのちょうど正面で止まった。

 見れば森からは四方にカーペットが延び、

 それぞれの拠点船ベースシップへと続いている。


 歩み寄ってきたドロシーが、優雅にスカートを拡げる真似をして睦に一礼する。


「よろしく、睦。

 劇場まで女王クイーンをエスコートするのは、マスターの役目だよ」


 たおやかに差し伸べられたドロシーの手を取ると、

 睦はタラップを降りようとする。


 しかし、びん、と突っ張った腕に引き戻されよろめいてしまった。


「ちょっと、ドロシー?」


 タラップの上で足を止めたままのドロシーは、申し訳なさそうに頬を掻く。


「ごめん。まだつま先までスイッチ切り替わってなかった。

 わたしはできる……。わたしは行ける……。

 式典が終わったらまた、お部屋に籠もって

 お布団とイチャイチャできる……っ!!」

 

「心配だなぁ……」


 しかしタラップから足を踏み出し、《銀の靴シルヴァー・シューズ》が

 カーペットを踏んだ時にはもう、ドロシーは完全に凛たる女王の顔になっていた。


「さ、行こ、睦。グランギニョールが君を待ってる。

 今に分かる。これは、比喩じゃないよ」


 睦のつま先がカーペットに触れた瞬間、


「わぁ……っ!!」


 眩い光に、視界はホワイトアウトする。

 目が慣れてみれば、光は出現した

 無数の鬼火ウィスプの集合であることがわかった。


「おめでとう睦。今この瞬間から、

 君はリアルタイムで世界と繋がった。

 アヴァロンのマスター、緒丘睦デビューの瞬間だね」


 ここから先は、睦も体験したことがある。

 もちろん観客の側でだ。


 タラップから降りてくるマスターとオートマタたちを、

 VRカメラ機能を持つ鬼火ウィスプたちが取り囲む。

 鬼火ウィスプの向こう側にはグランギニョールの

 チケットを買い求めた観客達がいて、 

 この光のひとつひとつが、自分たちに向けられた熱烈な視線だと思うと、

 睦の鼓動は自然に高鳴った。


 ドロシー・睦を先頭に、スズリ、ブルーメロゥ、ロゼが続く。

 そして入場列の最後尾には、チームアヴァロンの荷物を携えた

 フレンチメイドのポーンたちが列をなした。


「それにしても、めちゃめちゃ眩しくて他のブランドが見えないんですケド」


 睦はセイクリッドサインが歩いているであろう北の方角へ目を凝らすが、

 分厚い光の壁に阻まれて見通すことができない。

 アヴァロンのレッドカーペットに集う鬼火ウィスプの数は、

 贔屓目に見てもかなり多かった。


「それだけ注目されてるってこと。こんなこと、今まで無かった」


 ドロシーが誇らしげに言い、鬼火ウィスプたちに向かって笑顔で手を振る。

 鬼火ウィスプがレッドカーペットに侵入することはできないが、

 明らかにドロシーの周囲の光の密度が高まった。


「睦殿の案でアップロードされたカスパール戦もさることながら、

 親切にもフリークショウが我々の宣伝をしてくれたでありますからな。

 ドロシーとブルーメロゥが派手にブチかましてくれたおかげであります」


「ふぇっ!? わ、私ですかっ!?」


 ブルーメロゥがびくりと身を竦ませる。


「あはは、なぁに、緊張してるの?

 カメラに映るのなんてブルーメロゥは慣れっこだと思ってた」


「私の収録はいつも仮想空間かスタジオでカメラも数台ですから。

 こんなのどっち向いていいか分かんないじゃないですか。

 平然としてる睦さんの方がおかしいんですよ。

 口先だけじゃなく、本当に天性の女優なんですね」


「それを言うならほら、ロゼの方がイキイキしてるよ?」


「みんな〜っ、愛してるわっ、あたしの次にっ!!」


 ロゼは鬼火ウィスプたちへ次々に愛想と投げキッスを振りまき、

 自らレッドカーペットの外へ手のひらを差し出しさえしている。


 唇に触れた指先に我先にとまろうと、

 押し合いへし合いする鬼火ウィスプをロゼは恍惚の眼差しで見つめていた。


「さすがあの遊離さんの愛娘って感じですね……。

 あっ、睦さん、足元気をつけてください」


「へ?」


「――不届き」


 冷たい声に振り返った時には、

 スカートの中を覗き込もうとしていた鬼火は斬り払われ、

 スズリはすでに涼しい顔で納刀を済ませていた。


「……自分は覗いたくせに」


「役得でありますれば」


 散らされた鬼火ウィスプが再び結合してカメラ機能を

 取り戻すには数分間かかるので、一分一秒を見逃したくない観客は

 不用意な方法でオートマタたちに近づいたりはしない。


 まあ一部には、こうして攻撃されることをとして

 楽しむ層もいるのだが。


「うぁっ!? う、うざったいであります!! 

 自分なぞ覗いて何が楽しいのでありますかこの変態共は!!

 死ね!! ねっ!!」


 案の定スズリの足元には特殊な趣味の紳士たちがワラワラと集い、

 スズリはそれらの鬼火ウィスプをブーツでげしげしと踏み散らした。

 

「ふふっ、ねぇスズリ、それって完全に逆効果よ? あははっ」


 スカートのスリットから効果的に太腿を見せびらかしつつ、

 ロゼはけらけらと笑う。


 レッドカーペットを歩いていくと、幾つものアーチをくぐることになる。

 アーチをくぐるたび、睦は鬼火ウィスプとは違う何か視線のようなものを感じた。


「ねぇドロシー。あのアーチにもカメラが入ってたりするの?

 ロゼみたいに投げキッスとかしたほうがいい?」


「ああ、あれは検査ゲートを兼ねてるの。

 オートマタにはクラスごとにレギュレーションがあるのは知ってるよね?

 グランギニョールに入るオートマタがそれに反していないか、

 身体の隅々までスキャンしてるってワケ」


「違反してたらどうなるの?」


「ぐぁあああああああああっ!?」


 尋常ならざる悲鳴を聞いてとっさに振り返ると、

 スズリがニヤリと笑っていた。


「かまってちゃんめ……。

 こんなに視線を集めといて、そのうえボクの視線が欲しいんだ」


「あたりまえでありましょう?

 自分が求めるものは、いつだってそのひとつだけでありますよ」


 しれっとした顔で答えられて、睦の方がかえって動揺してしまう。


「ふたりとも、サービス過剰よ?

 あたしのお客さん取らないで」


 むくれるロゼに、睦は苦笑いを返した。


 カーペットを辿り劇場を囲む森へ入ると、

 バロック様式の劇場は一層威圧感を増して目の前にそびえた。


 大理石の階段を登ると、縮尺を間違えたかのような巨大な扉は

 ひとりでに開いてアヴァロンの面々と付き従う鬼火ウィスプたちを迎え入れた。


「やったね、ボクらが一番乗りだ」


 島の四方から延びるカーペットはホールの中央、

 豪奢ごうしゃなシャンデリアの下で十字に交わっていた。

 後ろを振り返ると開いた扉の向こうに鬼火ウィスプたちが溜まっている。

 まだ劇場内に入ることを許されていないらしい。


 次に開いたのは、島の東岸に面した扉。

 睦の視界に最初に飛び込んできたものは、

 あろうことかそそり立つ中指だった。


「バァっ!! 世話ンなったなぁ、アヴァロ〜〜〜ン。

 おかげであたしらのブランドカラー、存分にアッピィルできたずぇぃ」


「えっと……ミシェルさん、だっけ。

 同じ新人マスター同士、よろしくね?」


 微笑む睦に、現れたゾンビメイクの少女は口をへの字に曲げる。


「ンだよ、ビビりもしねぇ、噛みつきもしねぇ。

 なんか人間味のねぇヤツだな、お前」


「ゾンビ顔の人に言われたくない……」


「ぐ……」


 閉口するミシェルの後ろで、小柄な少女がくすくすと笑った。


「ふふっ、また一本取られちゃったねぇ、ミシェル」


「あっ、キミは……」


 リストの、と言いそうになって、睦は慌てて口をつぐんだ。

 

 豊かなアッシュゴールドの髪に、吸い込まれそうな赤い瞳。

 ロリータなネグリジェに身を包んだ彼女は、

 幼い体つきに不釣合いな色気を帯びていた。


「よるちゃんのこと知っててくれたの? ありがとぉ?」


 『ハングマンズファーム社フリークショウ所属、

  ビショップ級 《夜闇よるやみ》。

  固有兵装はマイクロマニピュレータ《シアエガ》』


 耳の中でQPの声が告げる。


 これが夜闇。くるみ割り人形であるかもしれないオートマタ。

 夜を名にし負う少女から悪意を感じ取ることはできなかったが、

 それとは別に、彼女は濃密な不吉さをその身に纏っていた。


「よろしくね、睦ちゃん。

 今は無理だけど、よるちゃんたち、きっといつか仲良しになれるわ」


 瞳の奥に宿る、底知れぬくらやみ。

 攻撃的なミシェルからは感じ取れなかった恐怖を、

 睦は夜闇に対しておぼえた。


 睦が夜闇の視線から逃れようと目を反らすと、

 轟音とともに南の扉が勢いよく開かれ、

 扉を蹴破った少女はその勢いのままカーペットの交点に着地した。 


「へっへー!! どーだ、オレってば一番乗りィ!!」


 『タイレル社R.U.R.所属、

  ナイト級 《ファーレンハイト》。

  固有兵装は反応触媒 《ファイアマン》』


 R.U.R.の特色であるミリタリーテイストを全面に押し出した衣装に、

 太陽の日差しのような黄金色のショートカット。両腕を覆う炎を象った入れ墨。

 ボーイッシュでエネルギッシュな出で立ちとは裏腹に、

 はしゃぐ表情は少女らしい無邪気さを存分に備えていた。

 

「あっ、ファラだぁ。お久しぶり」


 夜闇はぱぁっ、と華やいだ笑顔を見せてファラに手を振る。


「……って、ンだよ……夜闇もアヴァロンの奴らも着いてんのかよ。

 ったく、お前がのんびりしてっからだぞ、ジュリエット」


「えへへ、ごめんね〜。ファラ。

 目に映るものがみーんな珍しくてさー」


 呑気に返事をする亜麻色の髪の少女は、R.U.R.チームのマスターらしい。

 ゆったりとしたドレスにはときおり波打つように幾何学的な光が走り、

 掴みどころのない彼女の表情をいっそう神秘的に見せていた。


「上に立つ者が安易に謝罪するな。ジュリエット。

 調和を乱しているのはファーレンハイトだ。

 反省しろ、ファーレンハイト」


「反省しましたッ」


「よろしい」


 重々しくうなずく渋いアルトの持ち主は、


 『タイレル社R.U.R.所属、

  クイーン級 《アイゼンハート》。

  固有兵装は磁界制御装置 《オンスロート》』


 臙脂のベレーから流れる、鋼色の髪。

 スズリのものより未来的な、宇宙戦艦の司令官のような軍服。

 真っ直ぐに切りそろえられた前髪の下から覗く瞳は、

 女性的で色香ある顔立ちに厳然たる鉄の意志を添えていた。


 ファラとアイゼンハート。あの二人も、候補者か……。

 観光気分に浸っていた睦は、改めて気を引き締める。


 そして、まだ開かれていない最後の扉。

 あの場所から、イザナミは現れる。


 固唾を呑んで見守る睦の前で、北の扉の隙間から光が溢れた。



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