第十三幕「グランギニョール」

「11時方向22kmに船影。

 フリークショウ拠点船ベースシップ《フライング・ダッチマン》と推定」


 艦橋ブリッジに響くロゼの声に、睦たちの緊張感は高まった。

 しかし、


「大丈夫よ、安心して。

 いくらあいつらがおばかさんでも、では事を起こせない。

 こわーいおねえさんたちが、見張っているからね」


 ロゼが微笑むと同時に、レーダーに次々と巨大な船影が映る。


「ってことは、これって……!!」


 目を輝かせる睦に、ドロシーがうなずいた。

 

「この場でこれを言えるのは、経験者のわたしだけ、かな。

 ようこそ睦。世界最高の劇場、グランギニョールへ」


「さぁて、あたしたちも姿を現すとしますか!

 みんな〜、ちゃんと捕まってるのよ?

 アヴァロン拠点船ベースシップ《モンストロ》、急浮上ヨーソロー!!」


 床が大きく傾き、加速度が睦を椅子の背もたれにゆるく縛る。

 飛行機の離陸のような感覚がしばらく続いた後、

 轟音と水しぶきとともに、モンストロは海面に黒い舳先を突き出した。

 降り注ぐ日差しに、船外カメラを映すモニターが一瞬ホワイトアウトする。


 船体が水平に戻ると、睦は早速立ち上がってスズリの手を取った。


「ねぇ、スズリ、一緒に来て!!」


「嬉しそうでありますなぁ」


 モニターの逆光の中に立つ睦を見上げ、

 スズリは二重に眩しそうに目を細めた。


「嬉しいに決まってるじゃん。

 グランギニョールは海凪とボクの憧れだったんだから。

 やらなきゃいけないことはたくさんあるけど、

 それでも、これ以上ない特等席だよ」


「お客さん気分では困るんですけど?」


 はしゃぐ睦をブルーメロゥがたしなめる。

 

「はいはい、わかってま〜す」


 艦橋ブリッジを駆け出す睦と、後を追うスズリを、

 ブルーメロゥはため息混じりに見送った。



 ◆◆◆


 

 青い空。照りつける太陽、入道雲そして、水平線。


 ……360度、どこを見回しても水平線。


「なにも!! 無い!! 無くない!?」


「無いでありますなぁ」


「海じゃん」


「まっこと、海でありますなぁ」


「グランギニョールは……?」


「はてさて、どこへいったのでありましょうなぁ。

 皆目見当がつきませんなぁ。

 ともするとロゼに騙されたやもしれませんなぁ」


「……スズリ、ほんとは知ってるでしょ」


「知っているのであります。

 でも、教えなーい」


「くそむかつく……」


 睦にじっとりと睨みつけられ、スズリはへらへらと笑った。


「それより睦殿、ほら、あちらに。

 にっくきフライング・ダッチマンが、やってくるのであります」


 スズリが指差す方に、確かに小さく船影が見える。

 睦はコンタクトレンズに個人情報端末PDAを投影すると、船影に視線を向けズームした。

 デジタルズームの解像度を補うために画像処理をかけると、

 フライング・ダッチマンの全体像が映し出される。



「うわ、いかにも幽霊船って感じだね〜。

 こんなのでも中身は最新鋭の軍艦なんだよね」


「もちろん。しかしフライング・ダッチマンの外観はまだ、

 比較的おとなしい方でありますよ。たとえばほら、あちらに」


 スズリに促された方向を拡大すると、そこに映っていたのはフライング・ダッチマンよりさらに古色蒼然とした船だった。


 笹舟のような細長く曲線美に優れた船体。

 帆を持たず、居並んだ長大なパドルが漕ぎ手もないのに整然と水を掻く。


 こういう船を、睦は歴史の教科書で見たことがある。

 ファラオのための副葬船、『太陽の船』。

 

 しかし艦橋ブリッジがあるべき場所には

 コリント式の列柱を備えた白亜の神殿がそびえ、

 甲板には無数の石造りの鳥居が真っ直ぐに並んでいる。

 そして船首を飾っているのは、西洋風の有翼の天使像だ。


 ありとあらゆる神話をないまぜにしたような船はしかし、

 全体がモノトーンの色彩でまとめられ、ある種の荘厳さすら感じさせた。


 セイクリッドサイン拠点船ベースシップ万神殿パンテオン》。

 全長500メートルを誇る、四大PMC序列第一位に相応ふさわしい威容の船。

 ネットで画像を見たことはあるが、こうして航行しているところを目にするのは

 睦にとっても初めてのことだった。


「極めつけは、あれでありますな」


 スズリが指差す方に目を向けると、

 PDAで拡大するまでもなく、不可思議なシルエットがこちらへ向かってきていた。


 一辺が200メートルほどの、傾いた巨大な黒い立方体。

 八つの直角のうちただひとつが一点で海面と接し、

 鋭い白波を立てながら滑るように海上を進んでいた。


「R.U.R.拠点船ベースシップ《ボーグ・キューブ》。

 近年実用化したばかりの反重力機構を採用した、

 船と呼べるかはなはだ怪しい移動要塞。

 あんなものを浮かべて喜ぶか、変態どもが! で、あります」

  

「あれってぶっちゃけ浮く意味ある?」


「いや、特に。とんでもなく非効率で速度も遅いのでありますが……」


「でも、カッコいいよね」


「ことグランギニョールにおいては、それが肝要であります。

 そも拠点船ベースシップは演者をグランギニョールまで護衛するのが役目。

 目的さえ果たせれば攻撃能力なぞ二の次で良いのであります」


「その点モンストロはサイズ以外デザインはまともな潜水艦だよね。

 シンプルでカッコいいけど」


「おや、知らないのでありますか?

 いざとなればこのモンストロ、

 人型決戦兵器超合金 《モンストロオン(ゴロ悪)》に

 変形するのでありますよ?」


「マジでか」


「嘘であります」


「くっ、この……」


「はっはっは。しかし、秘密兵器があるのは本当でありますよ。

 ロゼあたりに聞けば、教えてくれるやも?」


「スズリが教えてはくれないんだね」

 

 

 ◆◆◆

 


 再び《万神殿パンテオン》の方に目を凝らす睦を、

 スズリは複雑な思いで見つめていた。


「あの船に、イザナミが乗ってるんだ」


「海凪殿の手がかりを知っているかもしれない、

 唯一の存在、でありましたかな。

 しかし、イザナミもまた知らなかったなら、

 その時はどうするおつもりで」


ころして」


 睦は表情を変えずに、平然と言い放った。


「は……?」


「その時はキミが、イザナミを斬って。

 あいつが二度と、グランギニョールの舞台に立てないように」


 目的をうしなった後、

 睦が抜け殻のようになってしまうのを案じたスズリだったが、

 返ってきた答えの思わぬ苛烈さに、言葉を失う。


 スズリは睦の透き通った瞳の奥に、あの黒い扉を――

 女優の顔の下にあるものを見た気がした。


「……スズリでも、最強イザナミには勝てない?」


「そればかりは、やってみないことには分からないでありますなぁ。

 誰と戦うときも、同じことでありますが」


「約束してよ。ボクも一緒に戦うからさ」


 ああ、久しぶりだ。 

 最初に自分が睦のものにされた時も、彼女はこんな目をしていた。


 こういう睦だからこそ、スズリは惚れたのだ。


「誓いましょう。貴女あなたがそれを望むなら。

 我が身は貴女あなたの剣なればこそ」


 スズリは睦の前にひざまずくと、

 差し伸べられた手のひらにキスをした。



 ◆◆◆



「あー、エッチなことしてる」


 背後からの声に振り返ると、

 ドロシーがニヤつきながらハッチの傍に立っていた。


「ちちち、ちがわい。これはエッチな意味じゃないってば。

 そだよね、スズリ」


「はて? 俄然エッチな意味でありますが」


「なっ……う、裏切り者っ!!」


「卑怯外道が信条であります」


「あはは、良かった。いつもの可愛い睦に戻ったね。

 なんか怖い顔してたから、気になっちゃってさ。

 そろそろショーが始まるから、見に来たんだよ。

 演者だけが見られる、グランギニョール最初のショーが」


 ドロシーは船内を振り返ると声を張り上げる。


「ロゼとブルーメロゥも早く早く〜。始まっちゃうよ〜」


「まったく……普段あたしが呼びに行かないと

 部屋から出ようともしないくせに、

 こんな時ば〜っか調子いいんだから」


「日付が回ったらもう開演だからね。

 そろそろスイッチ切り替えとかないと。

 ちゃんとアヴァロンの女王様を、演じられるように」


 遠くに見えていた拠点船ベースシップたちは、

 いつの間にかその大きさやエンジン音が

 はっきりと感じ取れるところまで迫っていた。


 北に《万神殿パンテオン》、

 南に《ボーグ・キューブ》、

 東に《フライング・ダッチマン》、

 そして西に《モンストロ》。


 太平洋上のある一点に集結した四隻の拠点船は、

 一定の距離を保って同時にぴたりと静止する。


「……来るよ。掴まって!!」


 ドロシーが声を上げた途端、

 押し寄せた大波に船体がかしぐ。

 睦はとっさにスズリのマントを掴んだ。


「な、何が起きてるの!?」


「浮上してくるのであります。

 海底の岩礁に偽装していた“ もの” が」


 海面が盛り上がり、滝のように水を流れ落としながら

 白銀の構造物が姿を現す。

 美しい流線を描くプレートを幾重いくえにも折り重ねた姿は、

 城のようでもあり、はすつぼみのようでもあった。


 水しぶきは睦たちの上にも降り注ぎ、

 見上げるほどに巨大な蕾が影を落とす。


 やがて、ぎ、ぎ、ぎぎぎ、と金属が軋るような音が聞こえ始めた。


「ドロシー先輩……っ。こ、この音なんですか……っ!!

 頭が割れそうです……っ」


 人一倍音に敏感なブルーメロゥが、

 耳を塞ぎながら声を張り上げる。


「花が、開くんだよ」

 

 影が深く、濃くなり、モンストロよりも大きい合金製の花びらが、

 睦たちの頭上へと落ちてきた。


「うわぁああああ、私っ、

 こんなところで死にたくないですぅ……っ!!」


 ブルーメロゥがしゃがみ込んだ瞬間、

 花びらが、まわった。


 轟音と激しい水しぶきを上げて、

 銀色の花びらは間近の水面を打つ。


「うっはーーー、すげぃ!!」


 睦はずぶ濡れになりながらも歓喜の声をあげた。


 花開いた白銀の蓮花れんか

 全ての花びらの中央に、雄しべのように茂る鬱蒼とした森。

 そしてそのさらに中心にたたずむ劇場こそが――


「グランギニョール!!」


 睦の叫びは、さらに大きな轟音でかき消される。

 劇場の姿を覆い隠すように、背後の海中から

 これまた巨大な壁が立ち上がったのだ。


 一見フジツボや海藻に覆われた

 岩礁そのものに見える壁だが、所々に金属質が覗き、

 劇場を侵す者に向けられる砲門が顔を出していた。


 四隻の拠点船ベースシップは左右と前方を花びらに、

 後方を岩壁に囲まれ、完全に身動きがとれない。

 四隻はこの人工浮島に、とりこまれてしまったのだ。


「これより先、四大PMCの序列が再び決定するまで、

 いかなる者もこの島に入ることあたわず。出るもまた叶わず。

 ここが帰還不能点ポイントオブノーリターンでありますよ、睦殿」


「そんなもの、キミと出会った時からとうに過ぎてた」


 睦は濡れた前髪をかきあげると、不敵に笑った。


「スズリ、ボクらが一番乗りしてやろうぜ。

 そしたらこの美しい島は、ボクらのものだ」


「最高でありますな。心得たであります」


 スズリはマントの裾をつまんで即席のハンモックを作ると、

 睦の身体をすくい上げ、甲板から跳んだ。



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