第十二幕「ふたつの扉」

 

 睦と繋がるとき、スズリの前にはいつも、ふたつの扉が現れる。

 一方は装飾どころかノブすらない、のっぺらぼうの白い扉。

 もう一方はおぞましく引き裂かれた木材を鎖で繋ぎ止めたような黒い扉。


 人は誰しも、大なり小なり自分を偽り、望まれた人間を演じている。

 女優を自称する睦は、あのしたたかながらも明るく真っ直ぐな表情の下に、いったい何を覆い隠しているのだろう。


 何度も何度も、迷い、触れようとして、スズリは結局その度に白い扉に鍵を挿し込んだ。


 恐れていたのだ。

 ようやく見つけたを、こんなくだらない好奇心で失うことを。

 だからスズリは、睦にふたつの扉について問いかけようともしなかった。


 だが、モンストロの甲板で肩を寄せ合う睦とブルーメロゥを見たとき、

 スズリの胸のうちにそれまでとは違う恐れが湧き上がった。


 マスターを担うならば、いずれ睦はブルーメロゥとも架橋する。

 その時ブルーメロゥは、自分と同じように白い扉を選ぶだろうか。


 もしもブルーメロゥだけが黒い扉をくぐったなら、

 そのときスズリはまだ、睦にとっての特別でいられるだろうか。


「ちっ……まったく、幼い感傷でありますな。

 臆病で……忌々しい」


 その舌打ちが自分に向けられたものだと勘違いして、

 木刀を握るブルーメロゥは震え上がった。


 ◆◆◆


 海の中は星のない夜に似ている。

 船外の映像を眺めながら、睦はブルーメロゥが置いていったスポーツドリンクをすすっていた。

 彼女の火照りを吸ったドリンクは、ぬるく甘い。


 講堂のような艦橋ブリッジは三方を大画面に囲まれ、内側からはまるでガラス張りのように見える。

 画面にはそれぞれに船外カメラとソナー、レーダーの映像が映し出されていた。

 

「海の中って、昔あたしがいたところによく似てるわ」


 隣に腰を下ろしたロゼが呟いた。


「あたしたちオートマタのAIが、初めて “自分” ってものを認識したときに

 見る景色。

 まだ刺激に慣れていない生まれたての心が混乱してしまわないように、

 暗く、冷たく、見える範囲もとっても狭い、情報量が限られた夜の揺籃ゆりかご


「……懐かしい?」

 

「さぁ? どうかしら。少なくともあたしは、外の世界の方が好きだわ。

 暗いところって、それだけで気が滅入るもの。

 ……ねぇ、立ち聞きついでに訊いちゃうんだけど、

 睦ちゃんの幼馴染って、なんて名前? 最後に会ったのは?

 あたし、調べ物とか結構得意なんだよね。

 睦ちゃんがそのへんスゴ腕なのは知ってるけど、

 あたしならもっと、深いトコまで探れるかもよ?

 なにせあたしの頭脳はミドルアース社のスパコン、

 《レメゲトン》と繋がっているのです。ふふん」


「そうなの? じゃあ……ダメ元で頼んでみよっかな」


「ダメ元って何よぅ。失礼しちゃうなぁ」


「あはは、ごめんごめん。

 ……ボクの幼馴染の名前は『霧島海凪』。

 失踪したのは六年前、篠月にあるソノラの研究施設へ行くと言ったきり姿を消してしまった」


「そう……じゃあ、ブラーが死んだのは睦ちゃんにとっても痛手だったんじゃない?」


「んー……それは、そうでもないかも。

 例の施設、当時の関係者は組織の上から下まで全員死ぬか失踪してて、

 ブラーは五年前に別業種からヘッドハントされた “後釜” だから。

 二年前のくるみ割り人形はともかく、海凪の件には噛んでない」


「なるほどねぇ。よし、と、準備OK。

 それじゃあちゃちゃっと検索かけちゃうわよー」


 ロゼが両手を拡げると、艦橋ブリッジを無数の空中エアリアルディスプレイが埋め尽くす。

 ロゼはその全てを、同時に “”て いた。

 四大PMCミドルアースが誇る量子コンピュータ《レメゲトン》。

 その圧倒的処理能力が、電子の海にたゆたうあらゆるデータから霧島海凪の情報を探り出す。


 しかし、いくらもたたないうちにロゼの表情が曇った。


「これは……」


 空中エアリアルディスプレイが次々に閉じ、ふたつだけがロゼの手元に残る。

 それは量子コンピュータを頼るまでもなく、誰にでもアクセスできる領域にある情報。

 霧島海凪を探そうとする者なら、事実。

 それはとあるニュース記事と、篠月の戸籍謄本。

 ソノラの関連施設で、変死体となって見つかった少女の名は――


「……睦ちゃん、あなたの幼馴染、もう死んでるじゃない」


「う……ぁ……」


 割れるような頭の痛みが、睦を襲った。


「睦ちゃん……? 睦ちゃん!?」


 名前を呼ぶロゼの声が、厚いガラスの向こうのように遠のいた。



~~~~~~~~~~~~~~~~~



 薄暗い部屋、またたく蛍光灯。

 灰色のデスクの上にはガラスのびんが置かれていて、

 液体で満たされた瓶には、ふたつの球体が浮かんでいた。


 色素が薄く、煙水晶スモーキークォーツのような美しい虹彩。

 見間違えようもない。幾度となく睦に投げかけられた、あの流し目と同じ瞳。


 金属がきしる音がして椅子がまわり、

 男が睦を振り返った。


「君が睦くんかい? 

 一人でこんなところまでやってくるなんて、とても勇気があるんだね。

 “彼女” が言っていたよ。必ず君が助けに来てくれるって。

 本当にその通りになって嬉しいよ。“彼女” もきっと、喜んでる」


 長い白衣に身を包んだ童顔の男は、

 膝の上で大事そうに抱いたもうひとつの瓶を『彼女』と呼んだ。


「海凪はどこ……? 海凪を返して……」


 うわ言のように呟く睦をよそに、男は自分の話を続けた。


「ぼくのブランド、リーサリィライムは寡作かさくなんだ。

 ほとんどチーフデザイナーのぼくが、わがまますぎるせいなんだけど。

 ……やっぱりね、美しいオートマタを作るには、

 美しいひとを参考にするのが一番なんだよ。

 映像や3Dデータじゃ物足りない。

 触れるだけのモデルじゃ意味がない。

 人形をはりぼてでなくするために、大事なのは目には見えない内側なんだから。

 その点、 “彼女” は完璧だった」


 男は再び、瓶を『彼女』と呼んだ。

 瓶の中には、ひとかたまりの真っ赤な肉が沈んでいた。

 教科書やネットの画像でしか見たことのない、

 しかし特徴的な形をした赤い肉だ。


「君と同じようにここへ乗り込む勇気があり、

 囚えられても常に気高く笑い、最期まで希望を失わなかった。

 自分の強さと――そしてなにより君のことを、信じていたからだ。

 君のことを想う時、心臓が高鳴るのをぼくは確かに見た」


「あ……あ……あぁ……」


 睦が視線を彷徨わせると、周囲の棚には他にも幾つもの瓶が置かれていた。

 汚れ一つない肺、胃、肝臓、見ただけでは名前の分からない臓器――

 そして男の後ろにある作業台で、薄青いシートをかけられた何か。


「せっかく訪ねてきてくれたんだ、

 君も“彼女”の横に並べてあげたかったけど、

 どうやらぼくにはもう、あまり時間が残されていないらしい」


 男が立ち上がると、白衣の脇腹は真っ赤に染まっていた。

 ゆらゆらと歩くたびに、粘り気のある足音と赤い靴跡が残った。


「本望だよ。自分の作品に殺されて死ねるんだから。

 これからたくさんの人をあいすあのの、最初のひとになれたのだから。

 いつか死ぬなら、そうやって死ぬのがいいと前から思ってた。

 失敗作と思っていたのに……思わぬ成果だ」


 施設内には非常事態を知らせる警報音アラートが鳴り響いていた。

 睦の侵入を知らせるものではない。もっと別の、危険なだ。


「せっかく来てくれたんだ、君にも “彼女” をひとつ、分けてあげよう。

 まだ瓶詰めしてないところでもいい。……さあ、どれにする?」


 男の手が作業台のシートを掴み、引きずり落とした。

 

 横たわっていたのはくびのないからだ

 膨らみ始めた胸の真ん中をへその下までまっすぐに切り開かれ、

 正面から見える背骨がてらてらと光っていた。

 男の言う通り、霧島海凪は内側までもが美しかった。



~~~~~~~~~~~~~~~~~



「おぐ……っ、ぅ……おぇ……っ」


 胃から酸っぱいものがせり上がってくる。

 艦橋ブリッジの床にうずくまってえづく睦の背中を、ロゼはおろおろしながらさすっていた。


「んぐ……っ……でない……」


「え?」


「死んで、ないよ。海凪はあんなことで死なない。

 必ず今もどこかで、生きてるはずなんだ。

 あれは海凪じゃない。

 ボクの海凪が、あんなヤツに殺されるはずがない。

 絶対に。絶対に……」


「そう……睦ちゃんは、そう信じてるのね」


 しかしロゼの手元のデータでは、

 変死体の遺伝子情報は霧島海凪と間違いなく一致していた。


「……スズリたちには、内緒にしててね。

 不安にさせたくないんだ。

 これはボクの、個人的なことだから」


「うん……あたしにできることがあったら、なんでも言ってね。

 心細いとか、不安だとか、どんなことだっていいのよ?

 あたしは睦ちゃんの味方だから……」


「ありがと、ロゼ。頼りにしてるよ。

 なんだかんだ言って、仲間想いだよね」


 青ざめた顔で笑う睦を、ロゼは抱きしめた。


「今回は否定しないんだ?」


「ばか。強がるのも大概にしなさい。

 普通の女子高生だった睦ちゃんが、

 いきなりこんなことになって、平気なはず無いんだから」


「へへ、怒られちった……」


「お姉さんの胸で泣いたっていいのよ?」


「うぅ……ぐすっ」


 泣いたのはしかし、睦とロゼの間に割り込んだブルーメロゥだった。


「スズリ先輩がいじめます」


「よしよし、怖かったね」


 ロゼと睦は、揃ってブルーメロゥの頭を撫でた。


「いいなー、あれ」


 指をくわえるドロシーに、


「ならばいざ、自分の胸へ飛び込んでくるであります」


 と左腕を拡げるスズリだったが、


「スズリは……なんか、やだ。

 ふかふかしてないし」


 すげなく拒絶され、寒風が吹きすさぶ。

 アヴァロンのテンションは沈んで行く。

 モンストロと一緒に、深く深く海の底へ。


「まったく、しょうがないわねぇ。

 これだから海の中は嫌いなのよ」


 ため息混じりにロゼが指を鳴らすと、艦内のスピーカーから軽快なワルツが流れ出す。

 

「さあ、踊りましょう? 

 社交ダンスは得意なの。あたしが二人に手ほどきしてあげるわ」


 誰しもが本当の自分を偽り、望まれた姿を演じている。

 アヴァロンの少女たちもまた例外ではなく、

 しかし彼女らは演じたままに、互いの絆を深めていった。


 艦内で過ごす最後の十日間はまたたく間に過ぎ去り、

 太平洋を周遊していたモンストロは洋上のある一点を目指して航路をとる。


 ――グランギニョール開演まで、あと、一日。


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