第十一幕「覚悟のこと」


「やぁあああっ!!」


 ブルーメロゥの二刀による連撃を、スズリは一刀で軽々といなしてゆく。

 まるで透明の壁がそこにあるようだった。


「く……っ!? 相変わらず、隙がない……」


「終わりでありますかな? ならばこちらから――」


 攻勢に移ろうとするスズリに対し、ブルーメロゥは捨て身で前へと踏み込んだ。


「笑止」


 壁際で見ていた睦が目を覆うほどの、容赦ない一撃。

 鈍い音とともに、ブルーメロゥは道場の床に膝を屈した。


「うぐ……っ」


「ブルーメロゥ、貴様、以前よりも弱くなったようでありますな。

 今しがたのはまさか、睦殿の真似事か。

 自分の剣に耐えてなお、次の一撃を放てると?

 剣は目的ではなく手段。どうやら『覚悟』の意味を履き違えているようだ。

 ……今日これ以上の稽古は無意味でありますな。次、ドロシーの番」


 そう言うとスズリはブルーメロゥに一瞥いちべつもくれず、

 ドロシーの方へと向き直った。

 ドロシーは緊張の面持ちで一礼すると、二振りの木刀を逆手に構えた。


 すぐさま、目では追えないような高速の乱打戦が始まる。

 唇を噛み、よろめきながら出てゆくブルーメロゥの後を追いかけて、睦もまた道場を抜け出した。


 ◆◆◆


 懐かしい旋律が聴こえる。


 それはまだ、睦が日常の世界にいた頃の記憶。

 グランギニョールは遠く、ブルーメロゥが画面の向こうのアイドルだった頃に聴いた歌。


 〽人魚の姫にさよならを

  憧れは遠く甘いもの

  幼さ嫌う私は

  もうこの海へかえらない

 

 モンストロの舳先へさきで、ブルーメロゥの白いつま先がリズムに合わせて揺れる。

 睦はしばらく、彼女の歌に聞き惚れていた。

 歌が途切れたところで、ブルーメロゥの横に腰を下ろす。


「隣、いいかな?」


「わっ!? 睦さん、聴いてたんですか? は、恥ずかしいです……」


「はいこれ、投げ銭の代わり」


 睦はよく冷えたスポーツドリンクの缶を手渡す。


「私が飲んでも意味ありませんけど」


「でも、冷たいのは気持ちいいでしょ?

 熱はオートマタの天敵だって、座学の時にロゼ先生が言ってたし」


「確かに。一理あります。……いただきます」


 ブルーメロゥは結露した缶を、海上の強い日差しで火照った頬に押し当てる。


「……気持ちいい」


 睦はプルタブを引くと、缶の中身を乾いた喉へ一気に流し込んだ。


「ぷはぁ……生き返るぅ。やっぱ稽古の後はこれだね〜」


 ブルーメロゥとの模擬戦から二週間あまり。

 睦は日夜剣術の稽古と座学を重ね、

 グランギニョールのマスターとしての基礎を身に着けつつあった。


 架橋クロスリンクによる加速訓練は睦の身体への負荷が大きく、

 四日に一度に留めることになっていたが、

 それでも睦の体感ではもう数年、モンストロの上で過ごしている気分だった。

 それだけにブルーメロゥの歌は、ことさらに懐かしく睦の胸を打ったのだった。


「歌聴かれるの、恥ずかしい?」


「そうですね。少し」


「ちぇー。せっかくマスター権限で毎日歌ってもらおうと思ってたのに」


「マスターにそんな権限ないです。

 それに私、歌うのはもうやめたんです。

 やめたはず……だったんですけど」


 ブルーメロゥは青い缶を凹むほど握りしめてうつむく。


「スズリにいじめられてつい出ちゃったんだ」


「面目ないです……」


「どうしてやめちゃったの?

 ボク、キミの歌好きなんだけどなー」


「……今の私はネットアイドルのブルーメロゥじゃなく、

 戦闘型オートマタのブルーメロゥですから。

 歌は会社の方針で、顔を売るために歌わされてただけです。

 だからグランギニョールデビューが決まった今、

 終わった業務に固執するのは望ましくないことです。

 アヴァロンが勝つことにも、くるみ割り人形を倒すことにも関係無いんですから」


 缶を握りしめたブルーメロゥの手に、ぽつ、と水滴が当たる。


「あれ……? 天気雨でしょうか。

 睦さん、中へ入った方がいいかも」


 睦はどう言っていいか分からず曖昧に微笑んだ。


「えっと、これってボクが泣かしたことになるのかな?」


「え……っ?」


 ブルーメロゥは缶を置き、手の甲で目元を拭う。


「あぁ……そういえば、そんな機能もあったんでした。

 この身体で泣くの、初めてです。

 こんなんだからスズリ先輩に『覚悟が足りない』って言われちゃうんですね」


「んー……確かにそうかも」


 睦の答えに、ブルーメロゥはがくりと肩を落した。


「やっぱり。睦さんはいいですよね。

 出会ったばかりなのにスズリ先輩に認められてて。

 だからって真似したのは安易でした。

 付け焼き刃なんてうまくいくはずないのに」


「ウッ」


 付け焼き刃でブルーメロゥと勝負した睦には耳の痛い話だった。


「昔の自分に未練たらたらで、捨てることもできない私に、

 新しい力を身につける資格なんて――」


「んー……。あのさ、

 キミって最初の頃はあんまり歌、うまくなかったじゃん」


「ふぁっ、なんでそれを!?」


「ファンだもん。一曲目から聴いてるよ」


「な、なんだか恥ずかしいですね……」

 

 ブルーメロゥは顔を背けて前髪をいじる。


「でも、だからこそ逆に思えるんだよね。

 今の素敵な歌声が、ホンモノだって。

 最初からそういう風に造られたんじゃなく、

 キミが上手に歌いたいと思って、ホントの気持ちで手に入れた歌なんだって」


「……ターニャさんたち、くるみ割り人形に殺されたアヴァロンの先輩たちが、

 私の歌を好きだって褒めてくれたんです。

 だから私は、あんまり上手じゃなくてもネットで歌う勇気が出たし、

 その頃の幸せは、私にとってかけがえのないものになりました。

 もちろん、ファンの人たちも大事ですけど、私の一番はやっぱり、あの人たちだったんです。

 先輩たちを奪ったくるみ割り人形を、私は絶対に許せない。

 いつまでもこんなことで、うじうじ悩んでる場合じゃないです。

 何を捨てても、私は強くならないと」


「捨て身戦法を使ったボクが言っても説得力無いから、

 幼馴染の言葉を借りるんだけどね、

 『覚悟』っていうのは、成し遂げようとする強い意志。

 勘違いしがちだけど、何かを捨てることは、含まれてない。

 ポケットの中のありものを差し出して、対価を支払ったつもりになって、

 それだけで欲しいものが手に入るだなんて、そんなのおこがましいって。

 人はロケットと一緒でね、捨てるべき時に捨てるべきタンクを捨てないと、

 ちゃんと宇宙まで飛べないんだよ。

 ブルーメロゥの歌いたい気持ち、まだ空っぽになってないんでしょ?

 だったらそれはまだ、キミにとって必要なタンクなんじゃないかな」


「私の、歌いたい気持ち……」


 ブルーメロゥは自分の胸に手を当てる。


「くるみ割り人形をやっつけて、その後キミは、何がしたいの?

 ブルーメロゥの物語は、そこでおしまい?

 陸上競技だって、ゴールのちょっと向こう側めがけて走らないといい記録が出ないんだよ。

 スズリの言う『剣は目的ではなく手段』って、多分そういうことだと思うなー。

 剣を振るった先にあるものが大事っていうかさ」


「睦さんには、あるんですか? 

 グランギニョールの先に、やりたいことが」


「うん。ボクはね、さっきの話を教えてくれた幼馴染を見つけて、

 一発ぶん殴ってやりたいんだ。そしてもう一回、友達になる。

 キミと友達になったみたいにね」


「私たち、友達だったんですか?」


 きょとん、と首をかしげられ、睦はショックを受ける。


「違うの!?」


「あ、いや、そうじゃなくて、そう思っても、いいのかなって……」


「喧嘩したし、悩みや夢を語りあったし、一つ屋根の下で暮らしてるし!

 友達ってことで、いいんじゃない?」


「そう、ですか……。嬉しい、と、思います」


「そうだ!!」


 睦がいきなり大声を出したので、驚いたブルーメロゥが数センチ宙に浮く。


「ひゃっ!? ななな、なんですか」


「オープニングアクト、社交ダンスなんだって。

 キミならリズム感もばっちりだし、適任だよね。

 バッチリ中継もされるから、アイドル・ブルーメロゥの健在をたっぷりアピールできると思うんだ。

 そっちも二刀流、挑戦してみようよ」


「睦さん……!! いいんですか?」


「もちろん。ボクと一緒に、踊ってくれますか?」


「えーーーっ!! そこはあたしを誘ってよ!!

 バトルで輝けないんだから、式典くらいしか目立てるとこないのに!!」


 悲鳴じみた声に振り返ると、ロゼがしまったというように口元を覆っていた。


「なんだ、ロゼ、聞いてたんだ」


「だって睦ちゃんとブルーメロゥがいちゃついてるのよ?

 娯楽もろくにない海の上で、

 こんな面白い話立ち聞きしないで他の何を立ち聞くというの?」


「悪びれないなぁ」


「ま、ホントのこと言うとそろそろ潜行するから呼びに来ただけなんだけどね」


「だってさ。戻ろ、ブルーメロゥ」


 しかしブルーメロゥの視線はハッチの陰に吸い寄せられ、顔には恐怖が浮かんでいた。


「あの、ロゼ、私、ちょっとひと泳ぎしてから……」


「え、でも潜行――」


「ごめんなさいっ!!」


 海へ飛び込もうとするブルーメロゥの足首に鞭のようなものが絡みつき、

 顎からびたん、と甲板に叩きつける。


「ふぎゅっ」


「どーこへ行こうというのでありますかなー?」


 スズリの手にはしなやかに形を変えた《無銘》が握られていた。


「へぇ……その剣そんな使い方もできるんだ……。

 じゃ、なくて!! 固有兵装!! 無駄遣い!!」


「あの……スズリ先輩? もしかして今の、先輩も聞いてました?」


「良かったでありますなぁ、相談に乗ってもらえて。

 貴様がどう変わったか、この手で確かめてやるであります」


「あらあら、スズリったら、自分が誘われなかったからってねちゃって。

 か〜わいいんだから」


「かわいい? いつになく笑顔が怖いですけど!?」


 ずるずると甲板を引きずられながら、ブルーメロゥはロゼに抗議する。


「それがスズリのチャームポイントでしょ?」


「あ……あ……睦さん……たすけて……」


「えーと、なんていうかその、頑張れ!!」


 親指を立てる睦。

 絶望のブルーメロゥは、船内の闇に消えた。

 


 


▼スズリの泣かされリストにブルーメロゥが追加された!


 



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