第十幕「ブルーメロゥ」


 汗が顎を伝い滴り落ち、手首に当たって弾けても、睦はスズリから目を離さなかった。

 スズリが放つ殺気はまごうことなく本物で、隙を見せれば睦の首は簡単に落ちる。

 エディテッドの鋭敏な直感がそう告げていた。


「さあ、次で最後。居合道制定十二本が十二本目、抜き打ちであります。

 動きはもう、覚えましたな?」


 睦は頷きを返す。

 相手の踏み込みに対し一歩退き、空振った相手へと振り下ろす。

 スズリ指導のもと、制定十二本は既に一通り演じていた。

 ただしそれは一人で鏡に向かい合い、自分の動きを確かめながら、だ。


 武器を持った相手が目の前にいる状況が、ここまで違うとは。

 カスパール戦とは違い、剣と剣。

 互いの死線が等距離に置かれた状況のプレッシャーは、凄まじいものがある。


 ……真剣同士だったら、きっと、もっと、比べ物にならない。

 スズリはいつもこんな戦いの中に身を置いて――


 スズリの右足が動いた。

 睦はほとんど無意識で後方に退き、木刀を上段に構えていた。


「……お見事。気が逸れているようにお見受けしたが、

 存外、しかと見ていたようでありますな」


 スズリが木刀を納めると、睦は崩れ落ちるようにその場にへたり込んだ。


「うひぃ……なんだこれ……。

 さほど動いてないのにヘトヘトの汗だくだよぉ……」


「そういうものでありますからな」


 スズリはスポーツドリンクのボトルを睦に手渡す。


「スズリはいいよね、汗とかかかなくてさ。

 ……これでブルーメロゥに一撃は当てられるってこと?」


「そこまで甘くないであります。せめてこの十二のかたを、

 意識せずとも行えるようにならなければ」


「……最後の一本が、そんな感じだったかも」


「まったく、度肝を抜かれる上達速度ですな。

 されどまだたったの一本。

 残り十一はそうやすやすとはいきますまい。

 本来一朝一夕には、叶わぬこと。

 何千何万という反復がかたを無意識に刻みつけ、

 エディテッドとはいえ、最低限使いこなすにも年単位の修練が必要であります」


「えぇ……それじゃグランギニョールに間に合わないじゃん」


 ぼやく睦に、スズリはどこか底意地の悪い笑みを浮かべる。


「そう、そこでまたひとつ、ズルをしようかと」


 スズリはパチン、と指を鳴らした。


「ポーン、点滴・・とベッドの用意を」


『承知です』


 どこからともなくポーンの答えが返ってくる。


「睦殿、我々にはありましょう? 一日を一年にもする方法が」


 スズリは手袋の指先を噛むと、するりと外す。

 ほっそりとした色白の手が睦の頬に触れ、汗で張りついた髪を正した。


「汗に濡れ、上気し、熱い血潮をたぎらせる……。

 どれも自分にはなく、美しく、うらやましいものであります。

 才気にあふれた貴女あなたの輝きが、愛おしい」


 紫がかった宝石色の瞳が、睦の方へとかがみ込む。


「あ、あはは、ボクわかっちゃったかも。

 スズリが何をしようとしてるのか」


「ほー、左様でありますか。それは話が早い」


 スズリの指が睦の顎をくいと持ち上げる。


「ちょ、ちょっとタンマ、今汗臭いから!!

 心とか身体とか、色んな準備が…………!!」


「同意なき架橋クロスリンクは、マスターの近侍たるルーク級の特権。

 遠慮なく、濫用させていただく」


「ん……っ!?」


 重なる唇。絡み合う舌。

 性急だった一度目よりも、深く、長く、呼吸を奪うような口づけ。

 スズリは明らかに、キスそのものをたのしんでいた。

 快楽と痛みの中間にある、脳の真ん中が痺れるような感覚。

 断頭台ギロチンの音とともに、睦の意識は300プラマイ3倍に加速された。



 ◆◆◆



「それでね、ブルーメロゥ。

 良かったらボクとね、試合してもらえないかなって……」


 ブルーメロゥは若干引いた。


「……どうしたんですか睦さん。

 率直に言って顔ヤバいですよ」


 あ、これは嫌がられてるんじゃなく、本気で心配されてる声色だ。


 それはもう、相当ヤバいのだろうと睦が鏡を見ると、

 蒼白の顔の中で眼光だけが爛々と鋭く、目の下にくっきりと濃いクマが刻まれていた。


「あは……あはは……だって、仕方ないよね。

 思考シミュレーションで体感一年弱、スズリと稽古してたんだから……。

 斬って斬ってその三倍斬られまくって……」


「ぶっは、まったく人斬りのような人相、傑作でありますな。ふふひっ」


「グランギニョールのお客さんにはちょっと見せられないお顔ねぇ……」


 爆笑するスズリと、渋面で腕組みするロゼ。


「畜生、好き勝手言いやがって。斬る、切る、Kill……」


「スズリ先輩、睦さん言葉遣いまで崩壊してますけど」


「……ふむ、本人が大丈夫と言うので連れてきたものでありますが、

 やはり一旦休んで仕切り直した方が得策やも?

 というわけで睦殿?」


「んぅ? ……かはっ!?」


 振り向こうとした矢先、延髄に振り下ろされた手刀で睦は昏倒する。


「失礼。説得して寝かしつけるより手っ取り早かったので。

 ちなみに延髄をチョップして気絶するのはフィクションであります。

 実際痛いだけなので、良い子も悪い子もマネしちゃいけないのでありますよ」


「でも睦ちゃん現に気絶しそうよ?」


「それは睦殿が単にすごく限界なだけであります。

 セッティングは自分に任せて、ゆっくりお休みを」


「外道。サイコパス。キス魔。鬼教官……っ」


 単にすごく限界な睦の抗議は、意識とともにかすれて消えていった。



 ◆◆◆



「えー、それではこれより、模擬戦、ナイト級ブルーメロゥ対マスター睦を始めます。

 審判はあたしことロゼが務めまーす。

 ふふっ、訓練は嫌いだけどこういう楽しいのは俄然がぜん好き〜」


 モンストロ船内、道場ことA-2訓練室。ロゼが紅白の旗を両手に持ってはしゃぐ。

 睦は剣道着に身を包み、得物は大太刀一刀流。

 いつものスイムスーツの二の腕に、白のタスキを結んだブルーメロゥは、

 二本の短刀を携えている。もちろん両者とも木刀だ。


「ブルーメロゥの本来の固有兵装は二丁拳銃型。

 近接格闘でも威力を発揮するものであります」


 睦のポニーテールに片手と口で器用に赤いタスキを結わえながら、スズリが囁いた。


ゆえに自分は彼女に、ドロシーの二刀流をアレンジした刀法を仕込んだものであります。

 女王クイーンのために磨かれた剣技、付け焼き刃ではとても崩せるはずもなし。

 しかし戦闘に関して睦殿にはあり、ブルーメロゥに無いものがひとつだけあるのです。

 ……それが何か、お分かりか?」


「ずばり、実戦経験」


「おや正解。クイズ番組からはお呼びがかかりませんな、睦殿は。

 だがしかし、そこが貴女あなたの、狡猾の使い所。

 具体的な方法はご自分で考えるとよろしい。

 外道サイコパス鬼教官からのアドバイスは以上であります」


「……キス魔が抜けた」


「まだたったの二度であります。

 しかも一度目は睦殿から誘ったのではありませんか。

 まだまだ、おあいこでありましょう」


 スズリはしれっとした顔で言うと、睦の背中を叩いた。


「それっ、完成」


 それを見たロゼが嬉しそうに目を輝かせる。


「あら可愛い。リボン結びにしたのね。

 スズリってば変なとこ乙女なんだから。

 審判さん赤コーナーを応援しちゃおうかしら。

 赤ってあたしの色だし〜」


「……ドロシー先輩、審判変わってもらえますか」


「ぴッ!?」


 戸口から心配そうに覗き込んでいたドロシーは、

 突然ブルーメロゥに話を振られておかしな声を上げる。


「わ、わたしはいいよ。見てるだけで。

 ロゼ、審判は公平にやろうね」


「はいは〜い。女王様の言う通り。

 それでは両者向かい合って〜。

 位置について……は、違うし、はっけよーい……じゃなくて、えっと……」


「防具はいらないんですか」


 ブルーメロゥは睦に問いかける。


「まだ筋力が追いついてないから、

 そんなの着たら振れる剣も触れなくなる――って鬼教官が」

 

「スズリ先輩から聞きました。

 私と戦うためにかなり無茶したって。

 そんなに私がお嫌いですか。

 嫌われるようなことしたつもり……あります、けど」


「うん。初対面からかなりモヤっとしたよね。

 でも、キミも今、すっごくわだかまってるでしょ?

 だからさ、溜め込んでないで全部吐き出しちゃおうよ。

 そのために役作り、してきたんだからさ」


 睦の言葉に、ブルーメロゥは怪訝に首をかしげた。


「役作り? 特訓じゃなく?」


「そうだよ、役作り。ボクは女優だからね」


「……嫌いです。そういう斜に構えた感じ!」


「ええい、もういーや。はじめっ!!」


 ロゼが紅白の旗を振り下ろし、模擬戦の火蓋が切って落とされた。

 

 刹那、二人の間に存在していた3メートルほどの距離は一瞬でゼロになる。

 本来、女王クイーンドロシーのために作られた刀法。

 その最大の強みは、取り回しの軽い得物を最大限に活かした神速の踏み込みにある。

 相手が左右どちらへ逃げようと、円弧を描く左右一対の武器が必ず捉え、

 速度と体重の乗った突進力でし切る。

 間合いを制限されたフィールドにあって、踏み込みに優れた者の持つ刀剣はときに銃火器に勝るのだ。


 ブルーメロゥの必殺の剣に、睦の無意識に刻み込まれたかたが反応する。

 

 居合道制定十二本が十二本目、抜き打ち――

 後退によって突進をいなすその一連の動作をしかし、

 睦は自意識により強引に断ち切った。


 ……架橋もしていないのに、景色がスローモーションに見える。

 斜め上から飛来する木刀の切っ先が睦の頬を捉え、したたかに打ち下ろす。

 鋭い痛みとともに、赤い血の雫が板の間に飛び散った。


 明らかな一本。だが旗は上がらず、道場の空気が一瞬、凍りつく。

 動くものは唯一人、睦だけ。


「どうしたの? ボクはまだ、死んでないよ」


 唇の端を赤く濡らして、睦は微笑んだ。


 動ける。脳震盪だけは起こさないように、最低限威力を逃したから。

 

 スズリに教わった通りの、教科書通りの踏み込み。

 円弧を描く鋭い小手打ちがブルーメロゥの右手から短刀を弾き飛ばし、返す刀で切っ先を喉元に向ける。

 だが、


「はぁあああああっ!!」


 上体をねじったブルーメロゥは、残る一刀の旋風のような回転斬りで睦の木刀を跳ね上げると、反対に喉に刃を突きつけ返した。

 額を冷や汗が伝う。睦の剣には、ブルーメロゥのように強引に状況を返すだけの膂力りょりょくがない。

 少しでも動けば、喉を突かれて終わりだ。


「そこまで!!」


 試合の終了を告げる声はロゼではなく、スズリだった。


「もう、充分でありましょう。

 ……ブルーメロゥ、貴女あなたならばおわかりだろう」 


「はい、スズリ先輩。

 ……私の負けです」


「どうして? 最後に動けなかったのはボクの方で――」


「最初の一撃、当たりこそしたものの、威力を殺されていました。

 睦さんが躱そうと思えば、躱せたはずです。

 対してわたしの固有兵装は二丁一対。

 片方でも手を離れれば、攻撃力は半減以下です。

 戦闘型はおろか、オートマタですらない睦さんにおくれを取るなんて。

 睦さん。あなたには最初からわかってたんですか?

 初めて人を傷つけた私が、動揺して一瞬、動けなくなるって」


「……真面目で、正義感が強くて、だけど女の子っぽいところもあって、まっすぐで。

 ボクが『ブルーメロゥ』という役を演じるとしたら、

 こういう時はきっと、迷うだろうなって。

 最初に殴られたのが、ボクで良かった。

 取り返しのつかないことに、ならずに済んだから」


 睦が微笑みかけると、ブルーメロゥは気恥ずかしげに目をそらし、

 スズリに責めるような視線を投げかける。


「先輩は相変わらず人が悪いです。

 この試合、睦さんじゃなく私への教導ですね?

 訓練ばかりで実戦経験のない私に、相手を傷つける覚悟が足りないことを見抜いて――」


「なんのことやらさっぱりでありますな。

 自分は睦殿をいぢめて遊んでいただけであります。

 それに覚悟が足りない者なら、ほら、あそこにも」


 ロゼの手から、からん、と旗が落ちた。


「睦ちゃん……」


 その目は睦の口元の “赤” に吸い寄せられている。

 睦に駆け寄ったロゼは、取り出したハンカチでその血を拭った。


「どうしてこんな……ぐすっ、自分を投げ出すようなこと……っ。

 あーんして? ほら、お口の中も見せてみて?」


 今にも泣き出しそうなロゼを前に、睦はされるがままになっていた。


「あー……」


「うん……良かった、出血が多かっただけで傷は深く無いみたい。

 お顔も腫れてない。エディテッドなら一晩寝れば治るわね。

 ねぇ、どうして? 誰でも自分の身が一番可愛いものでしょう?

 なのにあなたは……」


「ごめんね、ロゼ、心配かけて。せっかく楽しんでくれてたのに」


「睦ちゃん、本気で戦うって、こういうことなの? 

 こんなのが毎日で、あなたや皆が何度もこんな風に傷つくくらいなら、

 いっそのことあたしが傍でま――」


 すっぱぁん!!


 突然ロゼが勢いよく自分の頬を両手で打ったので、

 睦はびくんちょ、と身をすくませる。


「待って。ちょっと待って。あたし今何を口走ろうとした?

 ……キャラぶれにもほどがあるわ。

 ごめん。ごめんなさい、少し、自室で休んできます」


 そう言うとロゼはおぼつかない足取りで道場を出ていき、

 ドロシーが慌ててその背中を追いかけた。


「……睦さん、その」


 ブルーメロゥは言いづらそうに話しかける。


「私、あなたの “本気” を、勘違いしてました。

 スズリ先輩のアドバイスがあったとはいえ、

 自ら刃の前に身を晒すことなんて、普通できることじゃありません」


「あはは、キミなら死なない程度に打ち込んでくれるって思ってたしね〜。

 ボクは別段、死にたがりってワケじゃないから」


「うぐぅ……。ズルいです。

 弱みを見抜かれて、そのうえ信じられてしまったんじゃ、

 私の立つ瀬がないじゃないですか」

 

「……思い返せばカスパールとの一戦も、

 最初に飛び出して行ったのは睦殿でありましたな。

 作戦とはいえ、自分が後に続くとは限らなかったのに。

 囮にされてそのまま逃げられるとは思わなかったので?」


「あー……そういやそういう可能性もあったか。

 無我夢中で気づかなかったや」


 スズリは肩をすくめる。


「……とまぁ、こんな具合に、さといやら阿呆あほうやら分からぬお人であります。

 ブルーメロゥ、いかがでありましょう。

 睦殿はマスターとして合格でありますかな?」


 ブルーメロゥはスズリの問いかけには答えず、

 睦の頬に優しく手を伸ばした。


「ごめんなさい、睦さん。痛くなかったですか?」


「ぶっちゃけ痛いけど、大丈夫。

 キミに嫌われたままなのと比べたら、こんなの屁でもないよ」


「うぅう、ほんとにすみません。

 ええと、その……」


 ブルーメロゥはわたわたと手足をさまよわせ、

 ひとしきり迷った後、最終的にかかとを合わせて海軍式の敬礼を作った。


「アヴァロン所属、ナイト級 《ブルーメロゥ》。

 改めて正式に、あなたの麾下きかに入ります。

 以後よろしくお願いします。マスター!!」


「あはは、真面目だなぁ。

 ……うん。改めてよろしくね、ブルーメロゥ」


 微笑みかける睦に、ブルーメロゥは動画の中のアイドルと同じ、華やいだ笑みを浮かべた。


「はい!!」



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