第二幕「錫李」


「居場所がないんでしょ」


 睦がまだ、小さな子供だった頃。

 同じ年頃の少女が、いつの間にか隣のブランコを揺らしていた。


「あなたからは私と同じ匂いがする。

 家族も、クラスメイトも、先生も、みんなくだらなく思える。

 まるで自分とは違う生き物みたいに、親近感を覚えない。

 それでもなんとか仲良くしようと一生懸命になるほどに、相手の方から遠ざかる」


「どうして、分かったの……?」


 今まで誰にも告げたことのない胸のうちを見透かされ、睦は驚きに目を見開いた。

 色素の薄いその少女は、幼い姿に見合わぬ大人びた笑みを浮かべた。


「ふふ、それはね? 私があなたと同じ生き物だから。

 この街でただ一人私だけが、本当の意味であなたを理解してあげられる。

 友達になろうよ。私があなたに、人間以外の生き方を教えてあげる」

 

「キミは……」


霧島海凪きりしま かいな。この近くの施設に、住んでるんだ」


 差し伸べられた手はひんやりとして、なめらかで、その瞳は睦がこれまで目にしてきたどんな人間よりも美しかった。まるで生物としての種類が違うみたいに。

 この時から海凪はずっと、睦にとって初めての友人であり、人生の師であり、そして初恋の人だった。


 この街でただふたりきりの、「人間以外」。

 睦は少しでも海凪のに近づきたくて、自分を「ボク」と呼び始めた。


「あなたの名前は知ってるよ。緒丘睦おおか むつみ

 決めた。あなたを私の、女優さくひんにする」




~~~~~~~~~~~~~~~~~



 冷や汗が頬を伝い顎から滴り落ちる感触に、睦は我に返る。


 ……やば、今のもしかして、走馬灯?


 生まれて初めてぶつけられる本物の殺気に、全身を震えが走った。


『所属不明。型式カテゴリ不明。機体及び固有兵装名不明。

 未登録戦闘型オートマタ。不明不明。一切不明』


 QPが目の前のオートマタを知らないと言っている。

 

 なんとか探さなければ。この場を切り抜ける方法を。

 この隻腕軍服のオートマタの注意を逸らす一言を。


「脆いものでありますなぁ、人間は。

 少しの穴が開くだけで、致命的に中身がこぼれ出す。

 ブラーは幸運だ。痛みもなく、あっさり逝けたことでありましょう」


 押し当てられた刃に、睦の首筋にぷつりと血の雫が浮かぶ。

 

 ブラーの死を知っている。人を傷つけることに躊躇がない。

 銃を持ってる様子はないけれど、やはりこのオートマタがブラーを……。


 ……人間?


 睦の女優が不意に目を覚ました。

 汗は引き、表情は眼の前のオートマタの酷薄な笑みをコピーする。

 “殺し文句” は、こうだ。


「ボクは人間じゃない」


 刃がつけた浅い傷は、すぐさま塞がってゆく。

 軍服のオートマタは飄々ひょうひょうとした薄笑みを崩し、わずかにたじろいだ。


「何……?」


 だが睦は、その好機を活かせなかった。

 ちょうどその時、に、目を奪われていたのだ。


 屋上のコンクリートを、大粒の雨滴が黒く濡らす。

 だが、フェンスの外側のある一箇所だけが、不自然な灰色を保っていた。

 睦の脳裏を、瞬時にいくつものイメージが駆け巡る。


 狙撃手。

 帯刀の所属不明オートマタ。

 『飛び入り』。

 レーザー = 光を扱う固有兵装。

 濡れないコンクリート。


 首の後ろが、チリチリと熱い。


「……危ない!!」


 とっさに、目の前のオートマタを突き飛ばしていた。

 直後に放たれた光条が、背後から彼女の外套マントを貫き、脇腹をえぐる。


「ぐぅ……っ!?」


 二人はもつれ合うようにして、貯水設備の陰へと転がり込んだ。

 何発かのレーザーが続けざまにタンクを貫き、大量の水をほとばしらせる。

 水の高い比熱がレーザーのエネルギーを殺し、貫通を妨げているようだった。


「なるほど。光学迷彩というわけでありますか。味な真似を」


 オートマタは刀身を鏡にタンクの向こう側を覗く。


「……助けられてしまいましたなぁ。あっはっは。

 失敬、あのようなタイミングで姿を現すもので、

 てっきり貴女あなたもソノラの手の者かと」


 先ほどまでの殺気はどこへやら、オートマタはいたって能天気だ。


「助けられた、って……おもくそ撃たれてんじゃん」


 脇腹を押さえる指の間からは、自動修復を示す蒸気が上がっていた。


「向こうは一撃で仕留める気でいたでありましょう。光の速度を躱せただけで上々。

 コアさえ射抜かれなければ、傷はいずれ癒えるものであります。

 とはいえ人と同じく、オートマタのこの身体も火傷はいささか治り難い。

 試合の初めに手痛いハンデといったところですな」


 タンクの水が空になれば、睦たちは一瞬で蜂の巣だ。

 タンクの陰からノコノコと頭を出しても結果は同じ。

 相手もきっと、それを待つだろう。


「でも、大丈夫だよ。この映像は今ネットに配信してるから、

 きっとすぐに助けが――」


「残念ですなぁ、お嬢さん。助けは来ない。そういう任務なので。

 そもそも自分、オンラインカメラには映らないのでありますよ。

 きっとお相手も同じでありましょう。

 一般人はご存知ないでしょうが、これは情報迷彩といって――」


「うん、だからそれ、キャンセルしたの。

 ボクにはから」


 軍服のオートマタは驚きに目を見開くと、

 手のひらでパチン、と額を打ち、

 跳ね上がった軍帽を再び目深にかぶり直す。


「あっはっは!! これはまた、一本取られたであります。

 あなたは自力でここにたどり着いたお方。

 どうやら妄言綺語もうげんきごの類いは、なさそうで。

 まさか、斯様かような形で暴かれようとは。

 ……ふむ、どうやら自分の存在意義はここで終わりであります。

 ならばいっとき救われたこの借りを、返して散るもまた一興――。

 ……さてと、お嬢さん?」


「えと……緒丘睦、です」


 お嬢さんと呼ばれるのが気恥ずかしくて、睦はつい、場違いな自己紹介をする。


「自分はミドルアース社アヴァロン所属、ルーク級 《錫李スズリ》であります。

 睦殿。自分はこれより囮となり、敵狙撃手の射程から貴女あなたを離脱させる。

 よろしいか?」


 つまり傷ついたスズリを犠牲にして、自分だけが逃げ去れと?


「よろしいことあるか。ざっけんな」


 まさかそこまで乱暴に一蹴されるとは思っていなかったのか、スズリは長いまつ毛をしばたかせる。


「ボクもキミと同じだよ。返せない借りを作るくらいなら、いっそ死んだほうがマシ」


「……いやはや、とんだ酔狂。案外似た者同士かもしれませんな。我々は。

 しかしどうするおつもりでありますかな?

 自分の作戦を却下しておきながら、まさか対案無しとは言われますまい」


「一つだけあるよ。二人で生き残る方法。

 キミ、第四世代ジェネレーション・フォースなら、あれ、できるんじゃない?

 ほら、ちゅ〜〜〜って、やつ」


 唇をすぼめる睦に、スズリは眉をひそめた。


「不可能でありますよ。つがえないからこそ自分は影。

 表舞台グランギニョールに立つことなく、ただ一人闇にうごめく。

 自分の心は、人と交わるにはけがれすぎているのであります。

 ましてエディテッドですらない、普通の人間相手では――」


 言いかけたスズリの表情が固まる。

 そう、睦は人間ではないのだ。


 睦は不敵な笑みを浮かべて、スズリの細い顎に手を添える。


「確率がゼロじゃないなら、試してみる価値は、あるんじゃない?

 賭けをしようよ。もしキミに適合できたら、

 キミはボクのモノになれ」


「……もしできなかったら?」


「その時はここで一緒に、死んであげるよ」


 くっ、くっ、く、と、スズリは喉の奥で低く笑う。

 それは睦に刃を向けた時と同じ、底冷えて死の匂いがする笑みだった。


「生意気な小娘であります。いっそ喰らってしまおうか。

 見せていただこう。本当に死ぬ覚悟がおありかどうか。

 できるものならやってみろ……できるものなら!!」


「ん……っ!?」


 スズリは睦の上に覆いかぶさると、乱暴に唇を奪った。

 舌が整った歯列を割り、口内で濃密に絡み合う。

 流れ込むスズリの “唾液” を、睦は喉を鳴らして飲みこんだ。


 ――断頭台の、落ちる音。


 激しいノイズとともに、痛みを伴い、脳内に火花が散る。

 タンクから流れ落ちる水が、空中で静止する。

 まるで時間そのものが、停止したかのように。


 《架橋クロスリンク》。人体に投与された生体素子バイオピクセルを通じて、

 人間の脳とオートマタの電子頭脳を電気的に接続、

 相互の機能を飛躍的に引き上げる第四世代ジェネレーション・フォースオートマタ特有の機構。


 架橋、機能その1。思考加速による体感時間の増大。

 思考速度は現在275プラマイ2倍で安定したと、スズリの内部回路サーキットが睦に伝える。

 脳への負荷を軽減するため、周囲の景色から色彩が消える。


 架橋、機能その2。感覚の一体化と変異。

 モノクロームの世界にスズリの姿はなく、二つの扉が立ちふさがっている。

 これはスズリの心が、イメージとなって睦の前に立ち現れたものだ。

 手のひらに握られた鍵はひとつ。おそらくこのどちらかの向こうに、スズリがいる。

 

 片方は黒い扉。何度も斧を振り下ろしたようにズタボロに傷つき、太いチェーンで強引にとざされている。

 いま一方は白い扉。あらゆる装飾を削ぎ落としたシンプルな扉にはノブすらなく、ただ白亜の平面に鍵穴だけがついている。

 

 ……どちらもすごく、嫌な感じがする。


 睦は迷った末、比較的安全に思える白い扉に鍵を差し込んだ。

 デッドボルトが動き、扉が開く。


 睦の脳に流れ込む、スズリの感情。

 痛み、憎しみ、孤独、そして死の衝動。

 か細い身体に押し込められた、無数のどす黒い情動。

 バラバラになりそうな心を、睦は必死で自分のうちに抑え込んだ。


 同調しろ。適合しろ。

 彼女と同じものを憎み、同じ毒を飲み下せ。

 ボクは女優だ……誰にでも、何にでもなれる!!

 そう、死神のにだって!!


 ◆◆◆


「……ぶはっ!?」


 唐突に世界が色を取り戻した衝撃に、睦はのけぞる。

 尻もちをつきかけたその背中を、スズリが支えた。


「え……これ、失敗……?」


「……外套マントを、預かってほしいのであります」


 スズリが外套と一緒に預けたものを、睦は瞬時に理解する。

 使い方、望ましい立ち回り。全て脳に直接、流れ込んでくる。


「さあ、参りましょう

 まだ狩る側でいるつもりのあの狙撃手を、ともにブチのめすであります」


 うなずく睦に、スズリはニィと嗜虐的な笑みを浮かべた。

 

「……行くよ」


 タンクの後ろで左右に分かれ、まず飛び出したのは、睦。

 

「信じるからね、スズリ……ッ!!」


 つま先が強くコンクリートを蹴る。

 脳のリミッターを外された、人間の限界すれすれの挙動。

 拡張された反射神経が、完全自動フルオートで身体を突き動かす。

 自らの視界を塞ぐように眼前に振るった外套は、睦の胸の真ん中を狙ったレーザーを斜めに弾きあげる。

 布地に浸透させた生体素子バイオピクセルが、即席のプログラムに従い鏡面化する付け焼き刃の盾だ。


 ワンテンポ遅れて躍り出たスズリは、この一射から狙撃手の正確な位置を把握。

 タンクを連射したときの狙撃間隔なら、第二射までに踏み込める。


「隠れ鬼つ〜かまえた、であります」


 振るわれた長刀が、一見何もない空中で火花を散らした。


「ぐぅうううっ!?」


「ちっ……。お互い一撃目は至らずでありますか」


 ずくん、と疼く脇腹にスズリは眉をしかめる。

 万全であれば、ガードごと両断できたはずの一太刀だった。


 何かが飛び退く気配。空間がぐにゃりと歪み、姿を現したのは――


「やれやれ、どうやら舐めプが過ぎたかねぃ」


 マスケット風の長銃を盾に、スズリの斬撃を受けたオートマタ。

 着崩した羽織に錦の鯉、口にくわえた長煙管ながぎせる

 灰色の髪の上にはなぜか大きなテンガロンハットを載せていた。

 ちぐはぐな出で立ちをしかし、涼やかな流し目が瀟洒しょうしゃに見せる。


「透明人間とは思えない出で立ちでありますな」


「ハハッ、よく、言われる」


『ソノラ社リーサリィライム所属、ビショップ級 《カスパール》。

 固有兵装はレーザーライフル 《ザミエル》。

 登録後、ソノラが(中略)、公的活動記録無し』


「魔弾の射手……」


 睦の呟きに、カスパールはぴくりと眉を上げる。


「おや、知ってるのかい、あたいを。なぁ、知ってるんだろう?

 あんたらの話を聞いてたぜ。その子、撮ってるって?

 撮影して、録画して、アップロードして、晒してるんだって? この、あたいを!!」


 姿を隠すからには、ネットに晒されていると知れば逃げ出すはずだった。

 だが妙に興奮したカスパールの有様は想像と真逆で、睦はたじろいだ。


「その目かぁ? コンタクトレンズ型のカメラで撮影してんのかい?

 そうだよなぁ、なぁ、そうだろ!! あたいは詳しいんだ。

 見ろよ、見ろ見ろ。ここだ。もっとあたいを見ろォ!!」


「何、こいつ……狂ってる」


 カスパールが引き金に指をかけると、銃口の前に無数の光球が出現し、大量のレーザーが乱射される。

 花火のように苛烈な、黄金の奔流。


「睦殿……っ!!」


 スズリがとっさに思考加速を起動。

 色と時間を失った世界の中で、睦はわずかな安全地帯を見つけ出す。


 再び時間が動き出すと、金光は睦の脚や腕の間をすり抜け、

 避けきれなかった数発を外套の盾が弾き飛ばした。


「はぁ……はぁ……はぁ……っ」


 紙一重でくぐり抜ける死線に、睦の心臓は早鐘のように打つ。

 

 迷彩に力を割かなくなった分、連射性能が増してる……!?

 完全にアテが外れた。正体を見破られて退くどころか、全てのリソースを攻撃に振り向けてくるなんて。

 今のを何度も撃たれたら、背を向けて逃げ出すことなんて不可能だ。


 外套は熱を持ち、既に焦げ臭ささを漂わせている。

 即席の盾も、そう長持ちしそうにない。防げるのはせいぜい、あと数発。

 あのまま隠れていることはできなかったけれど、この状況は、まずい。


「へぇ、これも避けるのかい。まぐれじゃなかったみたいだね、最初のは。

 ……おーっと、動くなよ死神」


 スズリが刀を構え直すのを見て、カスパールは睦に銃を向ける。


「狙うならこちらを狙うであります。卑怯者め。

 この距離ならば一太刀で貴様をこわせる」


「だがお前がそのために力を割けば、そっちのお嬢ちゃんはボロ雑巾になる。

 せっかく見つけた可愛いお相手がね。

 分かってるんだろう? アヴァロンの影。

 “正義の味方” にできないあらゆることを、肩代わりしてきた醜い死神さんよぅ」


 問いかけるように向けられた睦の視線から、スズリは目を背ける。


「このままお前を討てば、グランギニョールを知らないこのあたいにも箔がつくってもんさ。

 聞いたぜぃ、お前さん、不敗なんだろ?」


「そんなものはただのーー」


うわさだなんて、言わせやしないよ。

 だってお前さん、現にいるじゃあ、ないかい。

 グランギニョールのルールの外で、無数の人とオートマタを屠りながら、

 それでも自分だけはこわされずに今ものうのうとさぁ」


「なんのことはない、これまで自分より強い相手と戦わなかった、それだけのことでありますよ」


「じゃあ、あたいが最初で最後ってわけだ。たぎるねぇ、たかぶるねぇ」


 架橋の繋がりを通じて、睦の中に焼けつくような何かが流れ込んでくる。

 スズリの胸の中央に、宿る光は冷たい群青。


 これは……怒り? スズリの?


「貴様、ずいぶんとおねむのようでありますな?

 寝かしつけてしんぜよう。寝言がとくとのたまえるよう」


 スズリは刀を振るった。

 ただしカスパールにではなく、その足元に。


「うぉおおお!?」


 架橋、機能その3。架橋解放クロスドライブ

 底上げされた処理能力が可能にする、超高速斬撃。 


 鉄筋コンクリートはさいの目に斬り裂かれ、

 傾く足場に、発射されたレーザーは上方へと逸れる。

 カスパールともろともに落ちていこうとする睦を、スズリは空中で抱きとめ穴の向こうに着地した。


 もうもうと立ちこめる粉塵。

 階下へと落ちたカスパールの姿は見えない。


「やった……!?」


「あ、こら睦殿。そういうこと言ってはダメであります」


 屋上の穴から、ふよふよと何かが浮かび上がる。

 丸くて、透明で、表面がわずかに虹色に輝く――


「シャボン玉、で、ありましょうか」

 

 怖気おぞけとともに睦の脳裏によみがえるのは、ブラー狙撃の瞬間。

 ビルの隙間を縫ってブラーの額まで、レーザーを屈折させたレンズは。


「スズリ、今すぐそれ割って!!」


 振るわれた長刀、放たれた剣圧は、現れたいくつものシャボン玉を一刀のもとに弾けさせる。

 しかしその直後――


 無数のシャボン玉が、階下から一気に浮上する。

 睦は再び、死を覚悟した。


 スズリの手が外套を奪い、睦を覆い隠すように翻す。


ろくの型、裁蜂さいばち


 同時に降り注ぐ、激しい光の雨。


「はぁああああああああっ!!」


 華奢な身体に似合わぬ、獣のような咆哮。

 高速斬撃が片端からレーザーを弾き落とす。

 光の速度に追いついたのではない。致命的な箇所への攻撃を予測し、予め刃を “置いて” いるのだ。

 その証拠にかばいきれない無防備な手足を、容赦なく大小のレーザーが貫いてゆく。

 だがその背に隠す睦の身体には、ただの一射も通そうとはしなかった。


 ライフルがクールタイムに入り、レーザーが止んだとき、

 スズリは全身から自動修復の蒸気を立ち上らせがくりと膝をついた。


「スズリ……っ!!」


「心配ないであります。睦殿、お怪我は……」


「平気だよ」


 しかしスズリは、睦が頬についた血を拭うのを見逃さなかった。


「一射、こぼしたか……」


 大穴を挟んだ対岸に、カスパールが跳び上がって着地する。


「辛そうだねぃ、死神。

 ルークのくせに、誰かを護りながらの戦いは不慣れかい?

 あ〜あ〜、あたいの綺麗な一張羅汚してくれちゃって。

 せーっかくハレの舞台だってのにさぁ」


「……華美な姿がご自慢か」


 いかれば、いかるほど、スズリは笑った。

 焼け付くようなその感情は、我がものと勘違いするほど強く、繋がる睦の心を侵食する。


「ではまず鼻を削ぎ、目をえぐり、

 衣をはいで最後に何者でもない貴様の首をねよう」


 カスパールが銃口を向けると、

 スズリは一度横薙ぎに刀を振るい、

 ひょう、という風切りの後で正眼せいがんに構え直す。


「やってみな。

 見せてみなよ、お前さんの固有兵装のうりょくを」


 カスパールの煙管からシャボンが浮かび、スズリの周囲を逃げ場なく取り囲む。


かぶけ、アヴァロンの影。

 出し惜しみしてっと、見せ場が無いままおっぬぜぃ」


「……ああ、それならつい、先ごろ。

 銃口が睦殿を向いていなかったゆえ


 スズリの顔に広がる、悪意ある笑み。


「ひょっとして、見逃したでありますか?」


「……何?」


 傾げた首が、身体の中心から、ずれた。


「――いちの型、傀儡堕とし。

 失敬、どうやら順序をたがえたようであります」


 斬り落とされた頭部は、大穴の中へと吸い込まれ、

 錦の羽織が、その場にどしゃりと崩れ落ちた。

 まるで糸を切られた操り人形のように。


「固有兵装、は《無銘むめい》、その第二十五番No.25

 なんのことはない、すこーしばかりよく伸びて、すこーしばかりよく斬れる。

 ただそれだけの、しがない能力ちからでありますよ」


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