第三幕「薔薇と誓い」


「ついでにあたいの帽子も拾っちゃあくれないかい。借りもんなんだ」


 スズリの左手にぶら下げられたまま、カスパールの生首が口を利いた。

 テンガロンハットは大穴の縁、剥き出しの鉄骨に引っかかっていた。


「うわ、しゃべった!?」


「しゃべりもするさぁ、この鬼畜ド腐れ外道がスリープさせてくんないからねぃ」


 スズリの指からパチパチと青い火花が爆ぜる。

 コアから切り離された頭部に無理やり通電して、電力不足によるスリープを妨げているのだ。


 驚く睦の頭に、スズリがつま先で跳ね上げたテンガロンハットがフワリと乗る。


「ドーモ、鬼畜ド腐れ外道であります」


「宣言通り、鼻でも削いでみるかい」


 カスパールの言葉に、スズリは睦に視線を送る。

 睦は首を強く横に振った。


「趣味じゃない」


「良かったでありますなぁ。我が主は拷問がお嫌いのようだ。

 だが貴様には吐いてもらわねばならない事が腐るほどある」


 スズリはカスパールの首を掲げ、その額を嘴のように軍帽のつばで小突く。


「護送対象を目の前で殺され、ドロシーはさぞや無念でしょうなぁ。悲しいでしょうなぁ。

 おのれに持ち合わせの無いぶん、他人の心ばかりがよく分かる。

 優しい彼女ができないこと、思いつきすらしないことを、代わりにするのが自分であります。

 カスパール貴様、楽に死ねると思うなよ。まず第一に……」


「このおっきな帽子、誰のなの?」


 割り込まれ、肩をすくめるスズリを、カスパールはくつくつと笑う。


「帽子かい? この帽子の持ち主は――」


 遠くで響く爆音と、立ち昇る黒煙。


「たった今、死んだねぃ。拾ってもらい損だよ。あの馬鹿……」


「サードキィ……もしかしてあのオートマタの?」


 睦の問いかけに、カスパールは悲しげに目を伏せた。


「まぁね」


「馬鹿な。甘ちゃんのドロシーが、トドメまで刺すはずが」


「自爆したのさ。そういう奴だ、あいつは。

 ……やれやれ、目立ってくれやがって。ドロシー死んだんじゃないか?

 これじゃあ、あたいの立つ瀬がないじゃないか。

 なあ、お嬢ちゃん、その目、まだ撮ってるんだろう?」


 睦がうなずくと、カスパールはニィ、と悪意ある笑みを浮かべる。


「そうか。なら、あたいを見ろ。そして目に焼き付けな。

 このカスパール様、最期にして最大の大花火だッ!!」


「え……」


 足元に伏す首なしの身体に、金色こんじきの光が凝集する。

 肌がひりつく、禍々まがまがしい熱量。


 まさか、こっちも自爆――


「はいはい。おーしまい。で、あります」


 生首が宙を舞い、腰から刀が抜き放たれる。


 とすっ。


 あっけないほど軽い音とともに、無銘の刃がカスパールの胸に突き立った。

 暴走しかけたエネルギーは、コアとともに光となって砕け散り、

 納刀したスズリの手元に再び頭が落ちてくる。


「酷いやつだ。あんまりだ。

 人の心が無いのかよ、お前」


「憐憫と感傷は、あいにくと在庫切れでありまして」


「なぁお前さん。

 レーザーを弾くあの外套マントリーサリィライムうちの技術だろう。

 お前さん、まさか――」


「……おっと、しまった、気が逸れた」


 通電が途切れた頭部から、ふっ、と瞳の生気が失われる。


 『カスパール、機能停止ロスト


 骨伝導デバイスを通して耳の中から聴こえるQPの声が、どこか遠く感じる。

 オートマタは生物ではない。

 だがスズリは一切の躊躇いなく、その魂の蝋燭ろうそくを吹き消した。


「残念。こうなると記憶の解読デコードが面倒だ。

 余計なことを言わねば、もう少し長生きできたものを」


 スズリは物言わぬ生首をぞんざいに足元へ転がす。

 同族を屠ることに何の呵責かしゃくもないその振る舞いに、睦の背中を寒気が伝った。


 『死神』――。

 カスパールが彼女に向けたそんな言葉が甦る。


 ……だけど彼女は、ボクをあるじと呼び、助けてくれたじゃないか。


「お疲れ様でありました、睦殿。

 全て終わったのであります。ご助勢、痛み入る」


 差し伸べられた左手に、睦は一瞬、びくりと身をすくませる。

 それを見たスズリは、痛切に微笑むと手を引き、きびすを返した。


 ……どうしてそんな悲しい顔するの。

 感傷は、在庫切れって言ったくせに。


「待って……っ。あっ――」


 歩み去ろうとする背中に追いすがろうとした途端、睦の膝から力が抜けた。

 転びそうになるその肩を、スズリは振り返りざま抱きとめる。


 この屋上に来てから死と隣り合わせの毎秒。

 緊張の糸はとうに途切れていた。


「やれやれ、世話の焼けるお嬢さんであります。

 ……睦殿も見たでありましょう。自分がいかに冷血で外道な人形か。

 この通りの畜生なれば、貴女あなたとの約束は反故ほごにさせていただく」


 スズリは片腕で睦を担ぎ上げると、そのまま塔屋の壁に寄りかからせる。


「助けは呼んでおきましょう。

 今日この日の不幸な事故のことなど忘れて、貴女あなた貴女あなたの日常に帰るべきだ」


 今度こそ去ろうとしたスズリの右袖が、びん、と張る。

 がらんどうの袖を、睦の手がしっかりと握りしめていた。

 睦は震える声で問いかける。


「……ボクは、キミにとって不適格だった?

 架橋クロスリンクできたくらいじゃ、キミの相棒パートナーには相応しくない?」

 

「逆で、ありますよ。

 おぞましい自分と繋がり、混じり合うには、睦殿は純粋で綺麗すぎる。

 自分は心から、貴女あなたけがしたくないと思ったのであります」


「綺麗なんかじゃないよ。純粋なんかじゃない。

 ボクは自分の目的のために、キミを利用しようとした。

 だけど運命とか、一目惚れなんて言われるより、よほど信用できるんじゃない?

 ボクにはキミが必要だ。キミの存在意義は今、ボクの中にある」


 睦はスズリの肩を抱き、耳元に唇を寄せた。


「こうみえて女優なんだ。血塗られたキミの鞘くらい演じてみせる。

 大丈夫。もうひとりになんて、ならなくてもいいんだよ」


 魔弾の射手を斬り伏せた絶技の剣士が、ただ一人の少女の言葉に揺らぐ。

 スズリの目尻に浮かぶ熱い雫は、きっと雨滴ではなかった。 

 

「ねぇ、スズリ?」


「……なんでありますか、睦殿」


「今気絶しても、いなくならない?」


 スズリが苦笑交じりに「誓いましょう」と応えると同時に、睦の視界に暗幕が落ちた。



 ◆◆◆



「お尻にプラグをして、電気を流すのはどうかしら?」


「よすであります」


「そのへんにある元気な頭と、交換してしまうのはどうかしら?」


「やめるであります」


「ああ、もう。人間の修理の仕方って、よく分からないわ。めんどくさい。

 ドロシーちゃんとあなた治してあたしもうヘトヘトなの。

 いっそこのまま剥製にしてスズリちゃんのお部屋に飾ったらいいんじゃないかしら」


「飾らないのであります!!」


 不穏なやりとりに薄目を開けると、目の覚めるような赤毛の女性が、人懐っこい笑みを浮かべて睦の顔を覗き込んでいた。


「おはよう。よかった、目が覚めたのね?」


 優しく気遣わしげなその声色は、睦のお尻にプラグを挿して電流を流し、あまつさえ剥製にしようとしていたとはとても思えない。


「あはっ♪ 思った通りぱっちりして可愛いお目々〜。

 ね、ね、スズリちゃんやめてあたしに乗り換えない?」


「えと……。あなたは……ここは」


 白壁の明るい部屋は、学校の保健室とどこか似通っている。

 しかし天井を縦横に走る鋼のレールとそこからぶら下がったマシンアームは、精密機器を扱う工房のそれだった。

 部屋の隅っこの薄暗いところに、所在なさげに外套マントを身体に巻き付けるスズリがいた。


 ……よかった。ボクのこと、信じてくれたんだ。


「ほら、スズリちゃんも怖がってないでこっちおいでなさい。

 触ったって壊れないわよ?」


 赤毛美人に促されて、スズリはおずおずと睦に近寄る。


「睦殿……その、お加減、いかがでありますか」


 俯き目深に被った帽子のつばで、表情が窺えない。

 赤毛美人はニヤニヤしながらスズリの脇腹を肘でつついた。


「自分と繋がったせいであなたが目を覚まさないんじゃないかって、

 この子すっごく気に病んでたのよ。自分の方がボロボロで帰ってきたくせに。

 よっぽどあなたのこと、好きになっちゃったのね。

 鉄面皮のスズリちゃんにそんな可愛いトコがあるなんて、お姉さんびっくりしちゃった」


「ロゼ殿……っ!!」


「心配してくれたんだ。ありがと、スズリ」


「そ、それは……睦殿は自分のあるじでありますから。

 主従とは本来、そういうものでありましょう?

 好き、とか、そういう感情とは似て非なるのでは。

 ……よく、存じませぬが」


 スズリは帽子のつばをいっそう下げて、ぷいとそっぽを向く。


「カワイイ」


 睦は思わずつぶやいた。


「だよね? あたしたちお友達になれそう。

 剥製にしようとしてゴメンね」


 名前も知らないうちに、赤毛美人と睦は通じ合った。


「改めて、おはようむつみちゃん。

 あたしはビショップ級試験機プロトタイプ 《ロゼ》。

 ようこそミドルアース社アヴァロン、篠月支部へ。

 目を覚ましたばかりで悪いけど、あなたに会わせたい人がいるの」



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