第15話 残念だったね

「はい?」


 久住さんの言葉に、タクが真っ先に疑問の声を上げる。知ってるかどうかはわからないけれど、ここで別の人物の名前が出てくれば当然の事かもしれない。『サフラン』は地方雑誌だし、僕自身そこまで自分が有名だとは露ほども思っていない。


「えーっと、……はい。黒野一秋は僕ですね」


「え? いっちー? なんなの……、その黒野一秋って名前は。もしかして別名義で何か活動してたりすんの? 聞いてないんだけど、俺たち親友だよな?」


 認めた途端にタクがまたしても僕の両肩を掴んで揺さぶってくる。知り合ってまだ一週間程度で親友って言ってくれるのは嬉しいけれど、ちょっとそんなに揺らすのはやめていただきたい。

 というか僕とタクが何か絡むたびに、久住さんの笑みが深くなるのはなんなんだろうか。


「やっぱり! ……だけど本人の雰囲気……、ネコかな……」


 ブツブツと呟く久住さんの声は、タクに首を揺さぶられているのも相まって聞こえづらいけれど、ネコってどういうことだろう。最近スタジオに侵入されたばっかりだけれど、もうそんな情報が広まってるんだろうか。


「あはは! 誠ちゃんは『サフラン』で専属モデルもやってるんだよ」


 しゃべりづらい僕に代わって、すずが若干のドヤ顔でタクに説明してくれた。


「な……、なんだって? 専属モデル……だと?」


 驚愕の表情を浮かべながらタクが後ずさり、僕と後ろにいるすずへ交互に視線を向けている。


「……マジで?」


 尚も懐疑的な視線を向けてくる友人に、僕はゆっくりと頷く。


「くっ……、嫁持ちのくせにモデルとは……。爆発してしまえ!」


「なんだよいきなり!?」


「あははは!」


「ぐふふふ」


 最後の言葉だけ力強く発するタクに反射的に突っ込みを入れると、二方向から笑い声が聞こえてきた。……もはや久住さんの笑い声には突っ込むまい。


「黒野くんがまさか同い年とは思いませんでしたけど、お姉さんがいたんですね」


 久住さんにはタクの声は届いていなかったのか、『嫁持ち』という言葉には特に反応がないようだ。


「あ、誠ちゃんはわたしの弟じゃないよ」


「えっ?」


 そこにすずの訂正が入ると、久住さんの笑みが困惑の物へと変わる。


「誠ちゃんは旦那さん。わたしたちは夫婦なんだよ」


「ええええっ!?」


 ほとんど学生がいなくなった教室に、叫び声が響き渡る。一瞬だけ注目を集めたみたいだけれど、それには気づかずに言葉が続く。


「いやだって……、同じ苗字だからてっきり。……指輪もしてないみたいだったから」


 尻すぼみになる久住さんの言葉に、思わず僕とすずは苦笑いで顔を見合わせる。そうなのだ、僕たちはまだ結婚指輪をしていない。それどころか婚約指輪もすずには贈っていなかったりする。

 モデルの仕事をしているとはいえ、学生の僕にそこまで余裕はないのだ。二人で住むようになって物入りだったし、父さんに借金をしてまで買おうとは思わなかった。


「そういえばそうだな……」


 タクがしみじみと呟いているけれど、この友人は普通に気がついてなかったらしい。


「まだ学生だからね。がんばってお金貯めるよ」


「うん。わたしもがんばる」


 家計はすずが握っているけれど、たまにスタジオでの手伝いもしてくれているのだ。と言っても僕が全額出すつもりではいるけれどね。


「へぇ、ステキですね」


「えへへ、ありがと」


「ぐぬぬぬ……」


 素直に感心する久住さんと、拳を握り締めて唸るタク。


「負けん……、俺は負けんぞ……!」


 何かの決意をするタクに気がついた久住さんが、少し思案顔をしたあとにまた笑みを浮かべた。


「なるほど……、そういう展開も……」


 一体久住さんの頭の中では何が行われているんだろうか。突っ込むまいと決めたばっかりだけれど、すごく気になる。


「ぐふふふ、桐野江きりのえくんもがんばってね」


 含みのある笑い声で激励しているけれど、言われた本人は何やら呆然とした表情になっている。だいたい久住さんにアプローチでもかけようとしたんだろうけれど、逆に先制された形になっている。


「あ……、うん」


「さて」


 会話もひと段落したところで、久住さんが鞄を持って立ち上がる。


「いいもの見れたし、そろそろあたしは帰りますね」


「うん。僕たちも帰ろうか」


 いいものが何かは気になるけれど、教室の中にもほとんど人がいなくなっている。五時間目の授業でこの教室は使われることはないけれど、そろそろ僕たちも帰った方がいいかもしれない。


「そうだね」


「お疲れ様でした」


 すずが同意すると、久住さんはぺこりとお辞儀をしてそのまま教室を出て行った。


「あー、またな……」


 タクが歯切れ悪く見送るのがちょっと面白いけれど、顔に出ないように我慢する。


「残念だったね」


「……うん? 何のことだ?」


 久住さんが見えなくなったところで声を掛けるけれど、タクはすっとぼけるだけだ。すずも首を傾げているけれど、タクがいないところで説明してあげよう。『なんでもない』と答えながら、僕たち三人も教室を出て家に帰った。

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