第14話 もしかして

「うー」


 長い九十分の講義がようやく終わりを告げると、隣から可愛らしい唸り声が聞こえてきた。声の発信源は頭を抱えているすずだ。絶望感あふれる雰囲気を漂わせているけれど、そこまで厳しいものだっただろうか。


「誠ちゃん……」


 微妙に涙目になりながら振り返ると、僕の名前を呼びつつ裾を握ってくる。


「えーっと……」


 破壊力の高い仕草に返事ができないでいると、不意に後頭部を誰かに鷲掴みされた。


「ちょっ、痛いって!」


 首を横方向に無理やり捩じ曲げられて思わず声が出る。視線を何とか後ろに向けると、視界の端に犯人であるタクの顔が入ってきた。


「すず先輩! 数学なら俺の方が得意なんで、いっちーだけと言わず俺にも聞いてください。絶対に後悔させませんから!」


 猛アピールをするけれど、タクってそんなに数学得意だったんだ? っていうかタクの数学の成績はよく知らないな……。タクは僕の成績とか知ってるの? いや待てよ。タクのことだから適当に言ってる可能性も捨てきれないぞ。


「ありがとね。誠ちゃんに聞いてもわからなかったらお願いしようかな」


「あ……、さいですか……」


 だけれどもあっさりと撃沈するタクである。すずには教えてあげると約束したばっかりだし、もしタクの方が数学が得意だとしてもそこは譲れない。とはいえ今日の講義の内容は、高校の時の復習と言っても差し支えのないものだった。


「まぁ家に帰ったら今日の復習でもしようか」


「あー、うん、そうだね。……数学なんて一年ぶりだから復習しないとだね」


「くっ……!」


 渋々ながらも納得するすずと悔しそうなタクを眺めながら、机の上を片付けて帰る準備をする。でもそうか。僕らと違ってすずは一年ぶりなのか……。二年生なんだから当たり前だけれど、まったく気がついてなかった。苦手な上に一年もブランクがあれば、わからなくてもしょうがないかもしれない。


「ずるいぞいっちー!」


「いやだからやめろって!」


 後ろから僕の両肩を掴んで揺さぶってくるタクに文句を言うけれど、まったくもって手を緩める気配がない。


「あははは! 二人とも仲がいいわねぇ」


「ぐふふふ……」


 肩に置かれた両手を振りほどいていると、不意に背後から変な声が聞こえてきた。思わず振り返ってみると、鼻息を荒くして僕たちを見つめる眼鏡をかけた女の子がいた。

 何やらブツブツと呟いているようだけれど、二列後ろの席と離れているせいか声はよく聞こえない。なんとなくだけれど、以前からちょくちょく感じていた視線の主が彼女のような気がする。真正面から見たことはなかったけれど、鼻息が荒いせいか、色々と台無しな表情になっている。


 タクとすずも女の子に気がついたようで視線を向けると、ハッと我に返って顔を赤くしている。

 えーっと、さっきまでの残念な表情は置いておくとして、なかなかの小顔でくりっとした目が印象的な子だ。ポニーテールにまとめた髪は、肩くらいまでだろうか。可愛らしく見えるんだけれど、最初に見た表情のせいでそれも半減している気がする。


「あ……、ごご、ごめんなさい……」


「もしかして俺たちと同じ一年生かな?」


 確認の言葉と共に、タクはそのまま僕と肩を組みながら女の子に自己紹介を始めた。すずは二年生だから、『俺たち』を強調するために僕と肩を組んだんだろうけれど。なんとも調子のいいタクは、僕に言葉を発する隙も与えずに僕の紹介まで一気にしてしまった。


「ど……、どうも。久住くずみ樹里じゅり……です」


「わたしは二年の黒塚すず。よろしくね」


 すずの自己紹介で一瞬だけ訝しげな表情になる久住さん。もしかすると僕とすずの苗字が同じところに引っかかってるのかもしれない。


「こ、こちらこそよろしくお願いします……」


 すずへの挨拶はしっかりとするけれど、すぐに肩を組む僕たちへと向き直る。そしてその視線が、何か期待するようなものへと変わっていく。


「ところで、俺たちを見てたみたいだけど……、何かあったりする? ……あ、いや、何もないならそれでいいんだけど、ちょっと気になったし用でもあるのかなと」


 そういえばタクは、『彼女作るんだ』とか息巻いてた気がする。ここぞとばかりに話しかけているけれど、まだ僕と肩を組んでいる必要はあるんだろうか。


「ぐふふ……、いえちょっと……、二人の関係が気になっただけなので……」


 変な笑い声で言葉を濁しているけれど、やっぱりこの変な笑い声は気のせいじゃなかったみたいだ。


「二人?」


 タクが僕とすずを交互に見るけれど、ちょっとこっち向かないで欲しい。肩組んでる状態だと顔が近いよ。タクも僕を振り返ってようやく気がついたのか、慌てて僕から距離を取る。


「……ぐふふふ。あー、そちらの二人じゃなくて――、いえなんでもないです。……気にしないでください」


 一層笑みを深くして変な笑い声をあげる久住さんだったけれど、不意に真面目な表情になって自分の言葉を否定する。


「うん……?」


 僕とすずじゃなくて、他の組み合わせ……? 僕とタクはただの友人だけれど、何かあるのかな。


「そうじゃなくて……、黒塚くんってどこかで見たことある気がしたので」


「……えっ? いっちーが?」


 その言葉にジト目を向けてくるタク。てっきり自分に興味があると思って『彼女を作る』と息巻いていたところに僕の名前が出たからなんだろうか、その視線には棘が含まれているような気がする。


「もしかして黒野一秋さん……ですか?」


 そうして久住さんから出てきた言葉は、モデルの時の僕の名前だった。

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