第12話 猫
「何かすんごいくつろいでるね……」
撮影が終わったあと、気がつけばあの猫がスタジオの隅っこで丸まっているのを見つけた。撮影中は邪魔だからと外に出していたと思ったんだけれど、いつの間にかまた侵入していたみたいだ。
「ノラ猫……だよね?」
菜緒ちゃんが監督に尋ねるけれど、たぶんノラ猫で間違いないんじゃないかな。
「だと思うわよ。首輪は付いてないみたいだし」
菜緒ちゃんと監督の三人で猫に近づいていくと、『なんだよ』とばかりにこっちに顔を向けてくる。片目しかないけれど、そのふてぶてしい態度はなんだか逆に好感が持てる。乱入してきた時にはどうなることかと思ったけれど、その後は何事もなくてよかった。
「逃げないですね」
少し離れたところでしゃがみこんで猫を観察する。全身が真っ黒の隻眼の猫である。しばらく眺めていると、なんだかカッコよく見えてきた。
「明るいステージに突っ込んでいくくらいだし、肝は据わってそうね」
「あはは、一緒に撮影とかできないかな?」
菜緒ちゃんの気軽な言葉に、監督は手のひらを顎に当てて考え込んでいる。
「……さすがに無理じゃないかしらね。猫ってじっとしてないでしょう?」
「うーん。確かに……?」
じっとして動かない目の前の猫を見つめながら、何か納得のいかない返事になっている菜緒ちゃん。今はじっとしてるけれど、いざ撮影でスポットライトを浴びればどうなるかは猫次第だ。僕としては大人しくしてくれるとは思えないんだけどね。……でも今は大人しいなぁ。
「あ……、一秋くんずるい」
じりじりと猫に近づいていく僕に、菜緒ちゃんが追随してくる。目の前の距離まで近づいても逃げるそぶりは見せない。これはもしかして触れるんじゃないかな……?
下からそっと手を伸ばして顎へと触れると、猫の瞳が細められる。そのまま首をわしゃわしゃと撫でていると、菜緒ちゃんの手も伸びてきた。
「ふわふわ……」
背中を撫でながらうっとりする菜緒ちゃん。野良猫の割に毛並みはいいかもしれない。というかホントに野良猫なのかな。
スマホを取り出して撮影すると、菜緒ちゃんも一緒になって写真を撮りだした。
「逃げないわね、この猫ちゃん……」
「かわいい」
「触り心地はいいね」
監督が感心している横ですずに撮った写真を送ると、また猫をもふる作業に戻る。されるがままではあるけれど、ふてぶてしい態度は崩れる気配がない。
「さてと……、それじゃ私は仕事に戻るわね」
「あ、はい」
「私たちもそろそろ帰りましょうか」
撮影したデータの確認に戻る監督を見送ると、菜緒ちゃんが告げてきた。撮った写真に対して、僕たちができることは少ない。なので基本的に僕たちは撮影が終われば解散となることがほとんどだ。
「そうですね。帰りましょうか」
家に帰ればすずが待っている。今日は僕たちの家で、菜緒ちゃんも一緒に晩ご飯を食べるのだ。いつの間にか居座っている猫に名残惜しみつつ、僕たちはスタジオを後にした。
「あ……、もしかして……、仲羽菜緒さん……ですか?」
スタジオを出て駅に向かっている途中、高校生くらいの女の子に声を掛けられた。僕じゃなくて菜緒ちゃんだけれど。
スタジオから帰るときはメイクをわざわざ戻したりはしないらしい。野花さんがモデルだとばれないための変装でもあるので、菜緒ちゃんにしか見えない姿だったらそのままでいいみたい。
「はい、そうですよ」
にっこりと笑って受け応えをする菜緒ちゃんに、女の子は満面の笑みで両手を胸の前で握りこむ。
「すごい! あ、じゃあ……」
本人だと分かったからか、今度は僕に視線を向けてくる。えーっと僕ですか?
「デート中とかじゃないからね」
いたずらっぽく笑いながら菜緒ちゃんが言うけれど、さすがにここで冗談は言わない。うん、僕にはすずがいるからね。
「か、一秋くん……! お、お疲れ様です! がんばってください!」
「ありがとう」
応援してくれた女の子にお礼を言うと、手を振ってそのまま駅へと向かう。大型ショッピングモールへのアクセス経路でもあるこの道は、そこそこ人通りが多い。なのでこうして声を掛けられることがたまにあるのだ。僕だけならともかく、菜緒ちゃんと一緒に歩いていればなおさらである。
そこからは何事もなく自宅へと帰ってくることができた。玄関のカギを開けて家へと足を踏み入れる。
「ただいま」
「お邪魔します」
今日は菜緒ちゃんも一緒だ。たまに僕たち夫婦と三人でご飯を食べることもあるのだ。
「おかえりー」
リビングに入ると夕飯のいい匂いが僕を迎えてくれる。やっぱり家に帰って晩ご飯があるってすごくいいよね。すずがキッチンからパタパタとスリッパの音を立ててこちらに来ると、勢いよく僕たちに詰め寄ってきた。
「ねぇねぇ、猫ちゃんの写真見せて!」
何かと思ったら写真ね。確かにすずにメールで送ったけど。苦笑してダイニングテーブルに着きながら、スマホを取り出してすずに見せる。
「あのときはビックリしたね」
菜緒ちゃんも一緒になってスマホを覗き込んでいるけれど、確かにあれはびっくりした。
「まさか乱入されるとは思わなかったし」
「うんうん」
「そうなんだ。……あれ、片目が。……
僕たちの話を聞きながら写真を見ていたすずが、真正面から写る猫の写真を見てそう呟く。僕たち三人の中で、この猫が『マサムネ』と呼ばれることが決まった瞬間だった。
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