第10話 先輩
「おはようございます」
「おはよう黒塚くん。すずちゃんもおはよう」
「おはよう、茜ちゃん」
今日は土曜日。学校は休みだけれど、僕はこれから仕事なのだ。野花さんと同じ職場なので今日は一緒に向かう。職場に向かう時の野花さんも、いつもの通りの丸眼鏡のボサボサ頭という格好だ。メイクさんやスタイリストさんがいるから、家でやる意味は学校に行く時より薄いんだろう。
「行ってらっしゃい」
「行ってきます」
すずに見送られて二人で仕事場へと向かう。場所は大学のすぐ近くにある大型ショッピングモールの裏手だ。これからもいつも通り使うことになる電車に乗って、学校方面へと向かう。
「大学生になってから初めてのお仕事ですね」
「はい。でも今日は土曜日なのであんまり実感はないですけど……」
学校帰りに仕事に行くわけではないので、どちらかと言えばいつも通りという感覚だ。野花さんと職場に向かうのも、今までなかったわけでもない。
「うふふ、そうかもしれませんね」
野花さんと他愛のない話をしながら職場へと向かう。
「そういえば学校はどうですか? もう友達ができたみたいですけど」
「ん~……、まだ始まったばっかりですけれど、それなりに楽しいですよ」
タクとヒロのことを思い出しながら、この週末の学校生活を振り返ってみる。厄介な相手に絡まれたこと以外は、それなりに楽しかったように思う。
「野花さんは二年になって何か変わりましたか?」
特に変わったことはないだろうなぁと思いつつも聞いてみると。
「それはもう……、後輩ができたことですね」
満面の笑みで僕を見つめながら野花さんが返してくれた。
「あー、確かにそうですね」
苦笑いをしながら相槌を打つ僕に、野花さんが言葉を続ける。
「だから、私の事も『先輩』って呼んでください」
「えっ?」
二度見しつつ野花さんの表情を窺うものの、にこにことしてとても嬉しそうにしているだけだ。確かに僕は後輩になるけれど、急に呼び方を変えるのはちょっと難しいかもしれない。
「野花……、先輩?」
若干の違和感を覚えつつも先輩をつけて呼んでみるけれど、なんだか野花さんは不満そうだ。
「うーん。茜先輩って呼んでもらっていいですか?」
「ええっ!?」
なんでいきなり名前呼びになるのかがよくわからない。先輩をつけるのはまぁよしとして……。
「ほらほら、とりあえず一回でいいので呼んでみてください」
「あ……、茜、先輩?」
僕の呼び方に不満があったのか、微妙な表情で眉を寄せる野花さん。
「もう一回お願いします」
「……茜先輩」
詰まらずに言葉にした瞬間、野花さんは花が咲くような笑顔になる。うんうんと頷きながら拳を握り締めているけれど、一体何がよかったんだろう。
「いいですね」
「そ、そうなんですか?」
「だって、すずちゃんはすず先輩って呼ばれてるんでしょう?」
「それはまぁ、同じ苗字ですから……」
ポリポリと頬を掻きながら前提になる理由を口にするけれど、野花さんは頬を膨らませるだけだ。まぁすずに先輩を付けて呼ぶのは、僕の親友や同級生になるんだろうけれど。
「それってずるいですよね」
「ええっ!?」
思わず野花さんの顔を二度見するも、至って真面目な表情で前を見つめている。一体何がずるいのかよくわからない。なんだろう、自然と名前呼びをしてくれるから?
「だから、黒塚くんは私のこと茜先輩って呼んでください」
「いや……、あの」
野花先輩じゃダメなんだろうか……。今更呼び方を変えるのは難しいと思うんだけれど。慣れるまでは間違いそうだよね。
「ほら、仕事じゃ私のこと名前で呼んでるでしょう。大丈夫ですよ」
確かにそうですけど。でもそれとこれはちょっと違うんだよね……。仕事の時の野花さんはしっかりメイクされて別人みたいだから、野花さんと使い分けができるのであって。野花さんを名前で呼ぶのとは違うと言うかなんというか。
「あ、そっちの名前は『先輩』つけなくていいですからね」
なんだかんだしゃべりながら向かっていると、職場――撮影スタジオに到着した。
スタジオと書かれた看板の倉庫入口をくぐると、四畳半くらいのスペースが玄関になっている。玄関からもうひとつ扉の向こうが撮影スタジオだ。高い天井に吊られた各種の照明が、中央のステージへ向かって照射されている。
僕と野花さん――茜先輩は、モデルの仕事をやっている。今日も倉庫のような大きい建物で撮影が行われるのだ。僕は去年、アルバイトで始めたんだけれど、しばらくして専属モデルとして契約することになった。
茜先輩は、『
「おはようございます」
「おはよう。大学生になった黒野くんの初仕事ね」
監督からモデルの時の名前で呼ばれるとちょっと気合が入る。近所にある大型ショッピングモール――通称『モール』に入っている、『サフラン』という衣料品店の店長さんが、ここの監督を兼任しているのだ。
「あ、はい。よろしくお願いします」
今日は僕と菜緒ちゃんだけで、他のモデルさんはいないみたい。
「じゃ、準備よろしくね」
こうして僕は準備のためにスタジオの奥へと向かった。
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