第8話 眼鏡
「野花さん。こんにちは」
野花さんはすずと同じ二年生だ。同じマンションの五階に住む者同士なので交流もある。休みの日などは野花さんを誘って三人でご飯を食べたりもすることもある。それに――僕の仕事上の先輩でもある。
「すずちゃん見なかったかしら? 一緒に食べようって約束していたんですけど」
「そうなんですか。学校ではまだ見てないですね」
相変わらずの丸眼鏡にボサボサ頭だ。話には聞いていたけれど、ホントに学校でも同じ格好だったんだ……。服装はいつものブランド『サフラン』で統一されている。淡いグリーンの膝下丈のフレアスカートに、グレーのブラウスにフリルの付いた白いカーディガンを羽織っている。
「すず先輩!?」
――とそこに、耳ざとく言葉を拾ったタクが割り込んできた。
「どうしたの?」
ヒロも追随するように横に並ぶと、野花さんが驚いた表情になった。
「すず……先輩?」
タクの言葉を繰り返しながら、いたずらを思いついたような表情に変わっていく野花さん。また何かこの人は考えついたんだろうか。
「あ、ううん、なんでもないのよ。ありがとう、ちょっと探してくるね」
お昼ご飯を乗せたトレイを持ったまま話し込むわけにもいかないからか、野花さんはそれだけ言うとすずを探しにテラスのほうへと歩いていった。
「さっきの人は誰?」
空いている席に三人座り、食べ始めた頃にヒロが野花さんについて尋ねてきた。
「あの人は野花茜さんって言って、僕と同じマンションに住んでる、ここの学校の二年生の先輩だよ」
大学に入る前までは仕事上の先輩だけだったけれど、入学してからは学校でも先輩になったんだよね。あんまり『先輩』っていう感じはしないけど。
「じゃあすず先輩っていうのは?」
タクの声は大きかったようで、やっぱりヒロにも聞こえていたようだ。
「すず先輩はいっちーのお姉さんだ! 確か二人で住んでるんだよな」
口に入れた唐揚げを咀嚼している間に、タクが代わりにニヤニヤしながらヒロに答えている。いやちょっと、すずは姉じゃなくて嫁なんですけど?
「あー、だから名前呼びなんだ」
「そうそう、いっちーと同じ苗字だからな」
「いやいや、すずは姉じゃなくて――」
「まぁまぁ細かいことは置いといて、あんな綺麗なお姉さんがいるなんていっちーが羨ましい限りだな」
ようやく口の中がなくなったので反論しようとしたけれど、タクのしゃべる勢いに止められてしまう。なんで止めるのか聞きたかったけれど、隠す何かがあるかもしれないと思うとヒロの前ではなんとなく聞きづらい。
「いやぁ……、別に姉ってそんなにいいものでもないと思うけど……」
だけれども、ニヤニヤしていたタクに冷や水を浴びせるような答えが返ってきた。
「えっ、何? どういうこと?」
「ぼくにも姉ちゃんがいるけど、ほんと腹立つことばっかりだよ」
憮然とした表情でカレーを食べるヒロに、僕もなんだか訂正する気が削がれてくる。一人っ子の僕にはわからない感情かもしれない。
「あー、そうなんだ。俺にも弟はいるけど……、ま、そんなに可愛いもんじゃないのは確かだな。だがしかし、他人の姉貴となればそれは別だ! あの可愛さは見てるだけで癒される!」
何か熱弁を始めたタクをジト目で見ながら、昼食を続けるべく次の唐揚げを口に放り込む。可愛いのは同意するけれど、あんまりジロジロ見ないで欲しいところではある。面と向かっては言わないけれど。
「にしても……野花先輩だっけ? すず先輩と比べるとすごく地味だったけど、ヒロはどっちが好みだったりする?」
「え? いや、急に何言ってるの……」
いきなり話を振られて目を泳がせるヒロ。しばらく動揺していたけれど、何かを思い出したのかまっすぐにタクに視線を向けると。
「そもそも、そのすず先輩って見たことないんだけど……。それに三次元はちょっと……」
「くぁー! そういえばそうだった! ちょっ、いっちー、すず先輩の写真とかないの!?」
「ないことはないけど……」
というかすずの可愛さを広めるためなら写真を見せることも
「好みかどうかはともかく、地味に見えて実は眼鏡取ったらすごい可愛いっていうのはよくあるパターンだよね」
「えっ?」
まさに核心を突いたヒロの言葉に、タクも真面目な表情に切り替わる。
「そういえばそうだな……。いっちー、野花先輩の眼鏡取った時ってどんな感じ? 同じマンションに住んでれば見ることあるんじゃね?」
そして即、僕へと矛先が向けられてしまった。見たことはあるけれど、それは仕事の時なんだよね……。でも仕事の内容は学校では秘密にしてるみたいだから、僕が勝手に言いふらすわけにはいかない。というか、ただ単に眼鏡をはずした状態の普段の野花さんって、よくよく考えれば僕も見たことないような……。仕事の時は髪型もメイクもばっちりだから……。
「いやいや、いくら同じマンションだからってそんな偶然起きないから。学校に眼鏡かけてくる人が、近所のスーパーに買い物に出る時はコンタクトするとか、そんな面倒なことしないでしょ」
そもそも普段からしてボサボサ頭なのだ。単に眼鏡をはずしただけで可愛く見えるんだろうか……。
「むぅ……、それもそうか。いやしかし、それでも可愛い可能性がある先輩が同じマンションに住んでるなんて……、リア充爆発案件だな。ヒロもそう思うだろ?」
「え? あ……うん。そうだね」
なんとなく言わされている感があるけれど、二人が敵に回ったことだけはわかった。それにヒロには嫁を紹介すると以前言ってあるし、どっちにしろそうなったら爆発しろとか言われるんだろうか。そんなことを思いながら唐揚げ定食を食べるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます