第6話 タクとヒロ

 翌日の金曜日。今日から通常通り講義が始まる。僕にとっては初めての大学での講義になるけれど、残念ながらすずとは別々に家を出ることになってしまった。というのも、僕は一時間目からの講義で、すずは金曜日は二時間目からなのだ。

 朝ご飯は一緒に食べるけれど、家を出るのはバラバラだ。なんだかんだ言って結婚してからというもの、出かけるのはいつも一緒だった気がするのでちょっと寂しさを覚えなくもない。


「行ってきます」


 玄関まで見送りに来てくれたすずに声を掛ける。エプロン姿がすごく似合ってるすずに見送られると、結婚してよかったなぁって思う。世の中の旦那は、いつもこんな気持ちで仕事に出掛けているんだろうか。


「誠ちゃん」


 靴を履いていると呼び止められたので思わず振り返る。

 ――と、目の前にすずの顔があったと認識したところで、唇に柔らかい感触があった。

「行ってらっしゃい」


 ふわりと微笑むすずに、一人で出かける寂しさが綺麗さっぱり消えてなくなった。


「……今日は三時間目で終わりだから、僕の方が早く帰ってくるかな」


「うん。待っててくれるかな?」


「もちろん」


「あはは、何かあったら連絡してね。友達もできたんでしょ?」


 いたずらっぽく笑うすずに、僕も苦笑いが漏れる。確かに友人は二人ほどできたものの、まだできてから日が浅い。すずを置いて遊びに出かけるなんて気持ちはこれっぽっちもないけれど、そんなすずの気遣いが嬉しい。


「あー、うん……。わかった」


 せっかくの好意なので否定せずに受け取っておくことにする。改めて『行ってきます』と告げて、僕は学校へと向かった。




「あ、いっちー!」


 一時間目の講義が行われる教室へと入り、空いている席を探していると不意に声が掛かった。


「おはよう、タク」


「おはよう、昨日はちゃんと来てた? ちょっと探したけど見当たらなくてさ。いやーでも一年が全員揃ったら多いな。今日はそれほどでもなさそうだけど、昨日はすごかったわ。まぁ多すぎていっちー探すの諦めたんだけどな」


 乾いた笑いを漏らすタクに笑みを向ける。僕もタクを探そうと思って即断念したから、人のことは言えない。


「僕も昨日はタクを探したんだけどね。今日は会えてよかったよ」


 空いている三人席の長机の端と真ん中に二人で座る。今日から通常通りとはいえ、初の講義だ。全員ではないにしろ結構な数の学生が集まっている。

 タクとどんな講義を取ったのか話をしていると、続々と学生が増えてきた。


「あ、黒塚……、くん」


 次に声を掛けてきたのは、昨日も一緒だった時谷くんだ。僕を見つけて声を掛けてくれたんだろうけれど、隣のタクを見てか若干言葉に詰まった感じになっている。


「あ、おはよう」


「お、もしかしていっちーの友達?」


 気がついたタクが僕と時谷くんを交互に見て確認してくる。相変わらず眼鏡の中の視線が泳いでいる時谷くんに、僕は苦笑しながらも頷く。


「昨日説明会で隣だったんだ」


「へー、そうなんだ。いっちーの友達ってことは、もう俺の友達同然だな! あ、俺は桐野江きりのえ拓斗たくと。タクって呼んでくれ。よろしくな!」


 相変わらずのペースでしゃべり続けるタクは、挙動不審な様子を見せる時谷くんにも容赦なく飛び込んでいく。どう反応していいかわからないのか固まったままの時谷くんだったけれど、ようやく動き出した。


「あ……、時谷ときたに浩人ひろとです。よろしく……、タク……くん?」


「いやいや、『くん』もいらねーよ。タクでいい。まあ立ってるのもなんだし、いっちーの隣にでも座ってくれよ」


 真ん中に座る僕の、タクの反対側の空いている席に時谷くんが座る。……しかし、キョロキョロしながらしどろもどろに着席を待つタクでもない。


「しかし時谷……か。とっきー……だといっちーとかぶってるし、よし、ヒロって呼んでもいいかな!」


「え? あ……、えっと、うん。ヒロでいいよ」


 困惑しながらも了承する時谷くん。うーん、僕もヒロって呼ぼうかな。三人集まって話してるのに、僕だけ呼び方がくん付けなのはちょっと他人行儀かも。そんな僕の申し出は快く受け入れられる。もちろん僕も「いっちー」って呼んでもらうようにした。

 そして自己紹介が終わったあとは、タクのターンだ。大人しいヒロが相手だからと言ってそこに容赦はなかった。


「あ、マジカル☆ミカちゃんじゃね。俺も結構アニメ見るよ! やっぱり変身シーンが一番だよな。あれほんとすげーって思ったわ。最近のCGは侮れんってな」


「やっぱりタクもそう思う!? あのシーンのくるりって回転するところがかわいくてしょうがないんだよね。何回見ても飽きないよ」


「そうそう、ホントあれどうやって作ってんのか不思議だわー。あの瞬間にキラリって光るやつ?」


「あー、あれもいいよね!」


「いやマジで、痺れと憧れが同時にきちゃったよ」


 なんとなく会話ができているようでかみ合っていない話の応酬が続く。まぁ、僕を挟んで会話してくれる分には問題ないし、むしろヒロが馴染んでてびっくりしている間に時間が来たようだ。

 教室の扉からスーツを着た人が入ってきたかと思うと、壇上の席へと腰を掛ける。


「あれって先生かな?」


「かも?」


 周囲から漏れ聞こえてくる会話とともに、大学で初めての講義の開始を告げるチャイムの音が鳴った。

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