第5話 お願い
「おかえりー」
家に帰るとすずに出迎えられた。リビングまで来るとお昼ご飯のいい匂いがしてくる。今日は午前中の健康診断が終われば解散だったので、そのまま時谷くんとは別れて帰宅した。すずは健康診断だけだったので、説明会がない分僕より早く帰ったみたいだ。
学校の食堂は営業しているので一緒に食べて帰ってもよかったんだけれど、そういう話になるわけでもなく自然と解散となったのだ。
まぁ変な連中に絡まれたから、変に気まずかったのかもしれないけれど。
「ただいまー」
先に帰ったすずは、こうして家でお昼ご飯を作ってくれている。だから時谷くんにお昼ご飯に誘われたとしても、たぶん断ってたとは思うんだけどね……。
「学校はどうだった?」
「うーん、まだ説明会だけだったから、なんとも。……あ、でも友達はできたよ」
「そうなんだ。二人目ってことだね。……どんな人?」
キッチンから黄色いエプロンをつけたすずが、丼を二つ持って出てきた。僕も食器棚からお箸を二セット用意する。キッチンにはサラダも置いてあったので、一緒に持っていく。
「うーん、一言で言えば、アニメオタク……かな」
改めて思い返してみると、絡まれたこと以外だとアニメの話しかしていない気がする。もちろん何の講義を取ろうかという話は最初にしていたものの、結局わからないで結論がついたし。
「あはは、そうなんだ」
「最初はどんな講義取るか話してたんだけどね」
苦笑いをしながらお味噌汁をお椀によそってダイニングテーブルへ着くと、すずも冷蔵庫からお茶を出してきて準備が整った。二人で「いただきます」と言いながら丼を食べ始める。今日は親子丼だ。口に入れると柔らかい鶏肉のうまみが広がる。
「あ、美味しい」
「えへへ、それはもう愛情たっぷりですから」
ちょっとだけ頬を赤らめながらも、何気ない風を装ってご飯を口に運ぶすず。「うん、ちゃんと美味しい」と自画自賛すると、黙々と食べ進める。こうやってたまに素で嬉しいことを言ってくれるので、僕も思わず笑顔が浮かぶ。
二人組に絡まれたこと以外の今日の出来事をすずに話していく。
「身長はほとんど伸びてなかったよ……」
「そうなんだ。わたしは今のままの誠ちゃんでいいと思うけど」
「ええー、僕だってちょっとくらい身長が欲しいんだけど」
憮然とした表情ですずを見つめるけれど、すずはニコニコとしたままサラダをつついている。この年になってまだこの身長なのだ。もうほとんど伸びないとは思っているけれど、すずより高くなりたいとは思う。
「あ、そうだ」
「なあに?」
「お昼ご飯終わったら、学校で取る講義についてちょっと相談したいんだけど」
「うん、いいよ」
そうして僕たち二人での食事が進んでいった。
相談したいことと言うのは、もちろんどの講義を取るかということだ。でも本音を言えばすずと一緒に取れる講義がないかが知りたいのが一番だ。すずとはそもそも学科が違うので、参考になるかどうかがわからないのだ。
お昼ご飯の後片付けが終わったあと、お茶を入れてダイニングテーブルで一息つく。
「へぇ、メディア学科ってそんな講義もあるんだ……」
物珍しそうに申請用紙を眺めるすずから、小さく呟く声が聞こえてくる。確かに、デザイン学科で『メディア』と名前の付く講義はやらないかもしれない。
「あ、でも同じ講義もあるね」
すずが二年生用の申請用紙と見比べて声を上げた。
「やっぱりあるんだ」
「うん。でも取得済みの単位があるから、それは除かないとね」
ちらりとすずの用紙を見せて貰って、何個かあると喜んだのは一瞬だ。確かに、取得済みの講義はまた受けられないよね……。よく見ると取得済みのものには丸印が付いている。僕とすずの申請用紙を確認して、結局一緒に受けられる講義はひとつだけだということがわかった。
「『線形数学1』ね……」
火曜日の四時限目にある講義である。唯一この講義だけが、僕たち二人が一緒に受けられるやつだった。この時間だったら、講義が終わったあとに二人で一緒に帰れるかも。時間割としては五限目まであるけれど、なぜか五限目にはほとんど取れる講義がない。というか、教員免許を取るための専用の講義が割り当てられてあった。
「ねぇ誠ちゃん。……お願いがあるんだけど」
眉間に皺を寄せたすずが、真剣な声音で僕に告げる。ポニーテールにした長い髪がゆらゆらと揺れ、真面目な表情も可愛く見えるから不思議だ。
「うん?」
訝しげにすずの顔を見返すけれど、一体何を言われるんだろうか。一年生で受けた講義で落とした単位はないって聞いてるから、すず自身の成績は悪くないと思うんだけれど。だから『線形数学1』は元々取ってなかった講義のはずだ。
「わたしに数学、教えてくれる?」
薄々気がついてはいたけれど、もしかしてすずは数学が苦手なのかな。基礎教育科目に含まれる数学は、デザイン学科では必須の単位じゃないみたいだし。
「あはは、うん。いいよ」
僕はすずのお願いを、快く了承した。
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