十三.

「てめえら……」


 俺の視界が一瞬で真っ赤に染まる。

 飛びかかろうとしたところで、側に立つ村人が刀を振り上げたのが見えた。

 構わず突撃しようとした俺の耳にその時、凜とした声が響いた。


「やめろ」


 小さな声だが、それはやけに大きく響いて耳に残る声だった。


「やめてくれ……!」


 あかつきの、その嘆願する声は俺に対してだったのか村人に向けたものだったのか。

 それは分からないが、愚かな俺はそこで足を止めてしまった。

 足下がふらつき、あかつきが自らを引き連れている村人より少し前に出る。

 それを逃亡の意思と見て取ったのだろう、村人はあかつきの髪を乱暴に掴むと、引き寄せた。


「こいつ……!」


 広場で燃える炎の光に反射して、白刃が閃いた。

 それが、調理中の柔らかな獣の腹を裂くようにあかつきの腹に突き立てられるのを、俺は離れた場所から為す術もなく見ていた。

 夜が、制止した。

 同時に体中の血が頭に逆流し、沸騰したように熱くなる。

 訳の分からない絶叫が口の中からほとばしり、俺は駆け出していた。

 刀を振り回し、俺はあかつきから引き離したそのままの動作で、村人を袈裟懸けに斬り下ろす。

 何人かをそのようにほふる中で、俺自身の腹や腕にも刃が突き立ったがそんなことには何も感じず、無造作にそれを抜き取ると俺は力の限りに暴れ回った。

 気づくと無数の屍の中で俺はあかつきを抱きしめていた。


「おい。しっかりしろ」


 腹から流れる血が止まらず、赤く鮮やかな血に反してあかつきの顔はどんどん青白くなっていった。

 唇がわずかに動いていることに気づき、俺は口元に耳を寄せる。


「なんだ」

「つれ……て、って」


 細い指が震えながら沼の方向を指さす。

 血が止まらない。

 動かすわけにはいかない。

 それは分かっていたが、俺を真っ直ぐに見つめるあかつきの目には必死さがあった。

 早くしないと、間に合わなくなる。

 そう語る瞳から俺は視線をそらすことが出来なかった。

 手で膝の下と背のあたりを支えると、俺はあかつきを抱き上げる。

 相変わらず軽い体だ。

 俺から流れる血と、あかつきから流れる血が地面にまだら模様を作る。

 あかつきが纏う清められた純白の衣は目にまぶしいほどで、血を垂れ流す俺が触れると汚れてしまうな、とこんな時であるのに俺はそんなことをぼんやりと思っていた。

 沼の淵にたどり着き、俺はあかつきをなるべく静かに下ろす。

 嫌な感じがする。

 腕と、刃が貫いた腹が痺れていた。

 普段、こんな怪我はものともしない俺だが俺自身も血が止まらない。

 投げ捨てる際に刀の装飾が見えたが、あれは退魔の剣だったようだ。

 なぜこのような辺境の地にそんなものがと思ったが、考えるにあれも神に捧げる奉納品の一つだったのだろう。

 何にせよ、運がなかった。

 このくらいの怪我では死ぬまいが消耗はしているようで意識までかすみがかかったようにぼやけてきた。


「あり、がとう」


 不意にあかつきがそう言う声が聞こえて、おれははっと我に返った。

 覆い被さるように血に膝をついていた俺の下から這い進むとあかつきは自らの腹から垂れた血を手の平に付け、それを沼に垂らした。

 不意に沼の主の動きが止まる。

 何が起こったのか分からず、俺はそれを呆けたように見ていた。

 闇のように黒く凝った沼の底に赤い血が沈んでいく。


「……これでいい、が。長くは、持つまい」


 あかつきはそう呟くと、苦しげな息を漏らしながら続けて言った。


「赤鬼、あの日の賭けの約束。……最後の頼みだ」


 俺に、いっそ清々しいくらいの明るい笑みを見せて。

 あかつきは、俺にこう頼んだ。


「私を、この沼の中に投げ入れてくれ」

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