三.
日の射さない座敷牢の中は夕暮れの今にあっても夜のように暗いが、人影が目を丸くしたというのは比喩ではなく実際に目で見て分かったことだ。
俺は目が良く視える上に夜目もきくのだ。
中にいたのは若い女だった。表情はこんな場所には似つかわしくないほど明るく、真昼の下にいても差し支えないような年齢特有の美を持っていた。夜闇を弾くような輝きが眩しく思えた。
「見事な赤髪だな」
よく響く声が興味深げにそう言う。
その声で俺は我に返る。
なるほど。
そこいらの人間とは別の匂いがした。
さっき感じた花のような木の実のような香りはこの女から香ってくるのだ。
女が笑ったのが気配で分かった。
「お前異形のものだな。名は何というんだ」
屈託のない話し方にここに来た目的も忘れそうになる。
これから喰う奴に答える義理などないはずだったが、俺はなぜか自然に口をついて言っていた。
「巷では赤鬼と呼ばれている。名は、ない」
そう言うと何が愉快だったのか女は急に笑い始めた。
「鬼か!あはははは、本当にいたんだな」
女はやけに上機嫌に俺に話しかけてくる。
「ここに来たということは導きを見たんだな。私の腕もまだまだ捨てたもんじゃないらしい」
「あの糸はやはりお前が紡いだものだったのか」
俺は納得する。
「察しの通り、俺はそれを辿ってここに来た。だが、よく俺が異形のものだと一目見ただけで分かったな」
「よそ者は田舎ではよく目立つ。……それに」
女はにやりと人が悪そうな笑みを浮かべた。
「お前は他のものとは違う匂いがする」
匂い、ね。
……参ったな。
考えてることも読まれているんじゃねーだろうな?
俺は冷や汗をかく。
そんな俺の様子にも構わず座敷の中の女は俺を興味深げに見つめ続けている。
俺が異形だと知っていて声をかけてくるとはその時点で変わった奴だが、近づき家の中に入れてもらうには警戒を解かなければならない (最初から警戒なんざされていない気もするが)。
「どこから来たんだ?ここまではどうやって来た?」
娘は俺に興味津々のようでやたらめったら声をかけてくるので俺は好感度を上げるためというのではないがまあ、問答に答えてやることにした。質問それぞれに都から、歩いてとなるべく端的に答えた。
それからなるべくさりげない風を装ってこちらの願望を伝えてみる。
「長旅で足が疲れているんだが。中に入れてくれねえか」
もちろん方便であり、嘘八百もいいところだ。鬼である俺はこの島国を端から端まで歩き回ったとしても疲れ知らずなほどの体力を誇っている。
いきなりはわざとらしすぎる、と失策だったかと感じたが女はあっけらかんと頷いた。
「そうだな、立ち話というのも何だし入れ赤鬼」
あっさりとそう言った。
俺はためしとばかりに一歩踏み出してみると、例の押し戻される感触がなかったので呪いが解除されたことがわかる。
簡単だな。俺はそう思う。
拍子抜けするほどに。
「ほら何をやっているんだ早く入れ」
急かされるままに俺は座敷の中に踏み入った。
間近で見ると、改めて美しい女だということがよくわかった。
長い黒の髪は手入れが行き届いて艶めき、目が大きく丸いことが幼い印象の整った顔立ちをしている。着ている白の装束は粗末だが清められていた。
装束の襟から無防備な白い首筋が見えた。
俺はそれを見て喉を鳴らす。
後は腕を掴み引き寄せて、首に牙を突き立てて喰らえばよいのだ。
だが、なぜか俺は躊躇していた。なんというか触れてはならない神域を感じさせるその神々しいまでの汚れなさ、白さにやられていたのかもしれない。
鬼が人に気後れするなんて馬鹿馬鹿しい限りの話だがな。
俺がそんなことを考えて押し黙っていると娘が何かを投げてよこした。
受け取ったそれは雑穀で作られたらしい団子だ。
「よかったら食え。今日の食事の残りだ」
いらん、と投げて返そうとして俺は言葉に詰まった。
じゃらじゃらと音がするので見ると、娘の手と足には鉄製の枷がついていて、それがいかにも重そうに娘を座敷に縛っていた。
俺の視線に気づいたのか娘は目を伏せる。
「ああ、これな。まあ気にしないでくれ」
その笑う顔はいかにも不自然で、俺はなんだか興が削がれた気がした。
「……いらん」
そう言って今度こそ団子を娘の手に押し返すとそうか、とだけ言って娘はそれを自分の口に押し込んだ。
「うまいぞ。あ、ひょっとして鬼は人の食うものは食わないのか」
微笑みながら娘はそう屈託なく言う。
「そういうわけじゃねえが」
俺もなぜか律儀に答えていた。
俺は何をやっているのだろう。間が悪い。
なぜこの娘にまだ襲いかからない。
心の内でもやもやと考えるが、答えはなんとなくわかっていた。
それはきっと。この娘の表情が頭上に広がる秋の空のようにころころ変わるからで。
この頃はそんなもの、見たこともなかった。
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