12.

 廊下は奇妙な静けさに満ちていた。

 本当に今現在もこの建物内に俺たち以外の人間がいるのか?と思えてくるほどだ。

 春野が待っているはずの階に着いてもその静けさは変わらなかった。

 まさかあいつ先に一人で帰ったんじゃねーだろうな。


「おーい、春野」


 そう言って俺はトイレを見るが電気が落ちているそこには人気はない。

 周りを見渡してみるがそれらしい影は見当たらない。

 と、その時何かが目に入った。

 振り向くと廊下の端にスケッチブックが落ちている。


「……これは」


 言うまでもなく、先程春野が持っていたものだ。嫌な予感がする。

開いた状態で床に伏せられていたので、拾い上げた拍子に自然とそこに書いてあった文字が見えてしまう。

 ページに書いてあった文字の奇妙さに俺は目を眇める。


『二人の死にたい子供たち』


 ページを順繰りに捲ってみる。

 そこにはこのような物語が記されていた。


『あるところに二人の子供がいました』

『二人はとても仲が良く、気があったのでいつもいつも一緒にいました』

『二人は他にもいっしょのところがありました。二人はどちらも頭がよく、学校の一番と二番をいつもとり合っているほどだったのです』

『けれどもいっしょなのはいいところばかりではありません。二人は家族にめぐまれないこともいっしょでした』

『二人の家ともおとうさんとおかあさんははたらきもので、いつも夜おそくまで帰ってきませんでした』

『二人のお家はいっしょのたてものです。二人は家のかぎをあずけられ、日がくれてからはいつもお家にいたので夜までいっしょに遊ぶことも多かったのです』

『二人はいつもいっしょでしたが一人はいつもさびしがっていました』

『ある日、一人の子がもう一人の子に言います。いっしょにどこかへいっておとうさんとおかあさんをこまらせてみようと』

『もう一人の子はそんなことしてはいけないよといいました』

『けれども、はじめに言い出した子は一人でもやるつもりでした……』


 そこで紙に書いた言葉と絵は途切れ十数ページ空白が続く。

 次の紙も、その次の紙も白、白と空白が続く。

 残り数枚という所であるページを開いて俺は目を見開いた。

 ページが真っ黒に塗りつぶされているのだ。

 いや、潰されていると思ったそれはたくさんの文字の集合だとよく見て気付く。


『うそつきうそつきうそつきうそつきうそつきうそつきうそつきうそつきうそつきうそつきうそつきうそつきうそつきうそつき』


 その言葉でページは埋め尽くされており、最後に句読点のようにぽつりとこう書いてあった。


『しんじゃえ』

「……」


 俺は黙ってスケッチブックを閉じる。

 読んでいて一つ気付いたことがある。これは交換日記のようなものだったようだ。

『ある日』と始まるページから同じ字になっているがそれまでは一ページごとに違う字が文字を書いている。

 一度暁の交換日記を読んでひどくキレられたことがあったな、となぜかこんな時に俺はそんなことを思いだしていた。

 書いてあった内容で俺はその時、娘が恋をしていることを知ったのだが、その時はいろいろ悪し様に罵られて半年ほど口を利いてもらえなかった。

 曰く、「人の恋路を邪魔する者は馬に蹴られて死んでしまえ」と。

 ああ、あと。

「好奇心猫をも殺す」

 そうも言われた。

 何かが、ゆらりとうごめく気配。

 その時、後ろに何かがいるのを感じて俺は反射的に振り返った。

 そこには果たして。

 今まで探していた、春野が立っていた。

 奇妙な表情を浮かべている。

 口元は笑んでいるが、目は笑っておらずこちらを凝視して微動だにしない。


「おにいちゃん、私たちの物語を読んだんだね」


 私たちの。

 物語。

 当然、スケッチブックの中の童話じみた話のことを言っているんだろう。


「ああ」

「……そう」


 春野は恥ずかしがるように顔を下に向けた。 

 やはり見てはならないものだったか。(というかここだけ聞いていたら最低だな俺)

 俺は弁解しようとスケッチブックを手にしたまま春野に近付く。

 春野が口を開いて何か言った。


「じゃあ、しんで」


 一瞬、何を言っているのか聞き取れなかった。

 その瞬間ドンっと衝撃が身体を貫く。

 声を上げる間も。

 当然避ける間もなかった。


「な……」


 腹から逆流した血が喉を塞ぐ。

 身体中に刃物が突き立っていた。

 大太刀、小刀、脇差しといった日本刀から、包丁、カッター、彫刻刀、鎌、手裏剣、苦無、鋏、錐、斧、鉈などまるで出鱈目に。

 出鱈目で無造作。そう、相手に苦痛を与えるためだけのセレクション。

 しかも目を疑うことに。

 それらは俺が手にしたスケッチブックから飛び出していた。

 完全に油断していた。

 なぜ、と痛みで埋め尽くされる脳の裏側で思った。

 目を上げると、春野がまるで小動物を眺めるような慈愛に満ちた目でこちらを見て微笑んでいるのが見えて吐き気がした。

 ありったけの血を吐き出し、一面真っ赤に染まった床に膝を付いて俺は呻く。

 だめだ。

 黒く染まっていく視界の中で、俺は握りしめた手に爪を突き立て必死に意識を保とうとした。

 頭が落ちていく。

 ここで俺が堪えて、戦わなければ。

 またあの時と同じ事に。

 抗う意思に関係なく、意識がブラックアウトする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る