4.
楡原の部屋を訪れた翌日、夕刻。
俺は高層マンション『予定』の建築物、旧名『新開マンション』の前に立っていた。
とりあえず、蓉子と楡原それぞれから送られてきた資料を午前中のうちに読んで整理し、昼からは武器の手入れを行った。
俺は真っ赤なバイクを建物の外に横付けして止める。
一応『立入禁止』のテープが張ってあったようだが、それは千切られて用を為してなかった。侵入する奴がいるってのは本当のようだな。
俺は荷台に縛り付けてあった刀袋を取り、中身の大小二本、『彼岸』と『火鉈』を出すと腰に装着する。
軽くストレッチして、準備万端だ。
気力は充実している。
俺は建物を見据えた。
夕暮れの曇り空の下に立つそれは陰気な印象を与えてくる。毛が逆立つようなピリピリしたものを感じた。
『何か』はいるようだ。それが具体的に何かはさておくとして。
一歩ずつ俺は建物に近付いていく。
さあ、鬼が出るか蛇が出るか。
一丁行ってみようじゃないか。
だが、俺のやる気に反してしばらくは何も出てこなかった。
肩すかしかと思った。
建物の中を一階から順に散策するが一向に何も出てこない。
そのまま訳なく一周してそのまま俺は二階に階段で上がった。
エレベーターもあるにはあったが当然故障中で、動いたとしても閉じ込められる可能性の高い、逃げ場がない乗り物に探索の場合は容易に乗るべきではない。ホラー映画を観ていれば分かることだ。
二階まで上がった時、カツーンと音がした。
小さな音だったが普通の人間より優れた五感の持ち主である俺は聞き逃さなかった。
足音の方向に歩いていく。何か白いものが視界の隅に映って勢いよく振り返る。
俺は静止した。
正体不明のものを前にして臨戦態勢を崩すことがよくないのはこの世界では常識だ。しかし、別にこれは俺が悪いわけではない……、こんな状況にあえば誰もがおそらく固まるだろう。
何故かと言うと。その結論から言えば。
そこには、幼女がいた。
見た目小学校にやっと上がったってくらいの大きさで白いレースのワンピースを身にまとい、体の前で何かを抱えている。
色素の薄いふわふわの髪が額を丸出しにするような形で縛られ、利発そうな広い額の下には髪と同じく薄い茶色の大きな目があり、それがじっとこちらを見つめている。
数秒ほどお見合い状態になったところで、少女はいきなりダッと駆け出した。
「おい待て!って言っても待つわけないかチクショウ!」
俺は予想外の遭遇者に驚きを隠せないまま文字通りの鬼ごっこを始める。
「こないで!私喰べてもおいしくないです!ほんとうです!」
「いや喰べねえよ!」
俺が言っても説得力がないかもしれないが。
「じゃ小さい子がすきな変質者さんですね!学校のせんせいがしらないひとにはついていっちゃダメって言ってました!」
「それも違う!」
言いながら俺は追いかけるが何故かなかなか追いつけない。そりゃ俺も幼子相手に本気は出していないが、向こうも必死なんだろう。
「ひゃう!」
転んだ。
抱えているものがよほど大事なのか胸の前で腕を組んだまま前の方にステーンと音が聞こえそうな勢いで転ぶ。
「おい、大丈夫か……?」
俺が若干同情しながら声をかけると少女は小さな声で怨嗟の言葉を呟いている。
「うう……、いたいです……。ひどいです……」
転んだ時に打ったのだろう真っ赤にしたおでこをさすっているがそこ以外は何も怪我をしていないようだ。
ふう、と息をついて俺は取りあえず幼女に嘘をつくことにした。
「俺は赤江創。ここのマンションの修理の調査に来た業者だ。お前はここの住人か?」
そう言うと幼女はこっくりと頷いた。
『元』住人と言うべきだったかもしれない。
閉鎖前ここには何人かの住民が暮らしていたことも資料には書いてあったのだ。もちろん、廃墟と化した今、その住人たちも移って別の場所で住んでいるのだが、状態は当時のままらしいので忘れ物でも取りに来ていたのかもしれない。
そう、当時のまま。
何故かこのマンションは、『ある日突然』立ち退き取り壊しが決まったらしい。
まるで何か災害級の不都合が「突然」起こったかのように。
顔を
「そっか、業者さんなんだ。怖い顔のお兄さんだからてっきり不審者さんかと思っちゃった」
まあこちらも追いかけた手前何も言えないが思ったことをそのまま口に出すやつなのは分かった。
「お前の名前は?」
俺がとりあえず聞くと幼女は言った。
「春野うらら。春の野原にうららはひらがなです。よろしくね、おにいちゃん」
そう言って、花が咲くように笑った。
「春野か。よろしくな」
幼女改め春野が手に持ったものは何だったのか俺が見ると、その腕の中には大事そうに古ぼけたスケッチブックが握りしめられていた。
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