3.5 幕間 喫茶店の無法者たち

 ウェイトレスが怯えた目をしながら前方を見ている。

 視線の先には男――、タンクトップに作務衣さむえの下履き、頭には何故かバンダナという奇妙な出で立ちの一人の青年がナイフを手にして立っていた。ナイフといっても飲食店ならどこにでもある食事用のもので、実際青年が手に握っているそれも、青年がハニートーストを注文した際に付いてきたものだった。ゆえにこの喫茶店でそれは違和感を醸し出してはいない。

 まあそれもウェイトレスの血で汚れていなければの話であるが。

 彼女の服はところどころ切り裂かれ、血が滲んでいた。息も絶え絶えにウェイトレスは壁ににじり寄り逃走を図ろうとするが、その先には一人の男性客がカップを手に取り、中身を優雅な仕草で口に運んでいる姿があった。

 一見して分からないが笑顔を浮かべながらもその人物は常にピリピリとした殺気を身にまとっている。

 青年と挟み込むようにしてこのウェイトレスの行く手を阻んだ男は、ウェイトレスをこの場から逃がそうはずもなかった。

 前門の虎、後門の狼。正に進退窮まるとはこのことである。

 そしてこのような異常事態の中にあっても店内には誰も警察に通報するものも、逃げ出すものもいない。制圧するでも、脅迫するまでもなく。

 青年・ウェイトレス・男、三人以外のこの場にいるものは全て絶命していた。それもナイフの青年がわずか一分ジャストの間に全てやってのけたことであるなど、店内の生存者三名と既に骸と化したその他の人間以外は知ろうはずもない。

 青年が不意に口を開く。


「おい、等式としき。いつまでそこでくつろいでいるんやちゃ。さっさとお前も仕事に協力しろま」


 その声を受けてカップを手にした男はそのままの姿勢で肩を竦めた。


「おやおや。見ての通り私はアフタヌーンティータイムなんだよ、ヒビキくん。悪いけど、終わるまで君には協力できないね」

「それコーヒーだろうが」


 ナイフの青年、ヒビキの突っ込みを男は聞こえないふりをすることで受け流す。オールバックにした長い黒髪を背中まで垂らし、髪と合わせたような黒いスーツに身を包んだその男は外見だけを見ると葬式帰りか死神のようだった。顔にはこれもまた雰囲気に似合った四角縁の黒眼鏡をかけている。カッチリと全てのボタンを閉めてスーツを着込んでいることと相まっていかにも真面目な銀行員のようだったが、その口調は軽かった。


「さっきも言ったけど、今日は君の番で私はただの監査役だ。見ててあげるから思う存分やりなさい」


 フン、とヒビキは鼻を鳴らす。


「ものは言いようだな。オレはこんだけ片付けたんやちゃ、少しは手伝ってもいいんじゃないがか」


 足元に転がる数十体の死体を指しながら、ぶっきらぼうな口調で青年は言ったが直後に付け加える。


「まあいいけどな」


 ヒビキは等式から視線を外してウェイトレスの方に向き直った。


「おいお前。最後に何か言い残すことはあるがか」


 ウェイトレスは目を瞬かせる。異国人の言葉を突然聞いたふうに。質問された意味が分からないというように。それから不可解そうに口を開こうとしたところでヒビキは重ねて言った。


「あーいい、いい。だいたい言いたいことは分かるちゃ。でもこれが俺の流儀っていうか興味でな。死ぬ前に人間が何を言うのか聞きたいがよ。それで人間の真価が決まるがやと」


 そう言ってもう間もなく死ぬ命を、床に這いつくばるウェイトレスを青年は冷たく見下ろす。


「ほら、言ってみろ」

「……あんた、たちは」


 女が言った。話すことで気を反らそうとしているように言葉があふれ出してくる。


「女は殺さないんでしょ。ここに転がっているのは全て男ですもんね。私は見逃してくれるんでしょ」


 その言葉を聞いて純粋に何を言っているのか分からない調子でヒビキは首を傾げた。


「なんで?……ああ、まあ命乞いにカウントか」


 頭をガシガシとかき乱し、ヒビキは告げる。


「先に言っとく。俺は相手が男でも女でも、子供だろうと年寄りだろうが、場合によっては人間じゃなくったって殺す。お前が生き残ったのはまあ選択の問題やちゃ。最後にやる仕事は体力ゲージが残り少ないんだから簡単な方がいい。そうだろ?」


 ヒビキはナイフを構える。

 対して女は懐から拳銃を取り出した。

 リーチはあちらの方が長いが、果たしてヒビキは臆する様子もない。


「誰に聞いたか知らんがな。女は殺さない?」


 ふう、とヒビキは息を吐いた。


「それは何とも、コウノトリが赤ん坊を運んでくるってのと同じくらい平和で愉快なお伽話を信じているもんやちゃ」


 ナイフの投擲とうてきと銃の発射が交錯する。

 一瞬で勝負は付いた。

 銃の弾丸はヒビキの数センチ脇のテーブルに置いてあったグラスを砕き。

 ヒビキの放ったナイフが正確に女の眉間を貫いていた。



「いやー、相変わらず見事だねヒビキくん!趣味のダーツはまだ続けているのかな」


 パチパチと拍手する等式にヒビキは冷たい視線を投げる。


「別に趣味じゃねーし、少し休んでもいいがか。さすがに疲れた」

「うーん、いやそれは難しいみたいだね」


 腕時計を見つめながら等式は言う。


「そろそろこの町の救急車両の最低到着時間、四分ってところだしね。うまくやった方じゃないかい。なかなかいいタイムだよ」

「そうかよ。じゃずらかるか」


 ヒビキはナイフを始末するため女の眉間から抜き取り、等式は残りのコーヒーを飲み干す。

 カランカランと鳴るドアベルの下をすり抜け、等式はドアに付いた看板を裏返すことを忘れない。

 看板には『本日臨時休業』と書かれていた。



 喫茶店を後にして、歩きながらヒビキは言った。


「こういう敵のアジトばっかり待ち合わせの場所にするのは止めま」

「いやー悪いね。だって近所まで来たらついでの買い物を済ませたくなるのが人情というものだろ」

「仕事を買い物と一緒にするんじゃねえ。それで?」


 わざとらしく等式は首を傾げた。


「それで、とは」

「惚けるな。お前が呼び出すからわざわざ出てきてやったがやろ。今日の用件は何かって聞いてるんやちゃ」

「分かっているよ、ちょっとからかっただけだろ」


 等式は肩を竦めた。


「本当は私一人で行きたかったのだけどね。少々荷が重いかと思って今日は君に来てもらったんだよ、ヒビキ。乙屋おとやの二番手である君にね」


 いつになく真面目な表情をしている等式にこれはマジかもな、とヒビキは思った。


「なんだよ水くせえな。早く言えま」


 そう言ったヒビキだったが今度は言われた内容に彼自身が首を傾げる番だった。

 改まった口調で等式は言う。


「ヒビキ、『人を呑むマンション』って聞いたことあるかい?」


 二拍ほど間を置いた後、ヒビキは言った。


「何やちゃ、それ」

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