3.
保健室を出た後、俺は道すがら駅前の百貨店とコンビニに寄り、土産物を買った。
ビニール袋を下げながら細い路地に通じる歩道を歩き、携帯を取り出して時間を見る。丁度夕暮れから夜にまたがる時間を時計表示機能は示していた。
良い時間だ。
そろそろあいつは活動を始める頃合いだろう、と俺は思う。
今から訪ねようとしている相手は夜型人間なので今からが一日の本番であるのだ。
そう、今日訪ねるのは怪異ではなくてただの人間。
俺の友人の一人だ。
目的地の正面に立って相変わらずボロいアパートだよな、と俺は思う。
剥げた壁に、看板に書かれたアパート名は掠れている。『
カンカン、と音を立てながら俺は金属製の歩く度にやけに揺れる階段を上っていく。二階建ての築何十年のアパートの一室にそいつは一人暮らししている。
ドア横のチャイムを鳴らそうとして、それがもう機能していないことを俺は思い出した。『外界からの音』が苦手なそいつが越して早々壊してしまったそうだ。
仕方なく俺は近所迷惑にならない程度にドアをガンガン叩いてからノブを回す。
『ピーッ』とこのアパートにはとうてい似合わない電子音がしてドアが開いた。
「邪魔するぜ」
言って玄関で靴を脱ぐ。
背後で鍵が閉まる音がした。
それにしても、一人暮らしで靴が少ないくせに狭い玄関だ。何故かと言えば電子部品やケーブルがあちこちに無造作に置かれているためなんだが。本人はその場所を全て記憶しているようで下手に動かすと怒って貝のように口をきかなくなるのが難点だ。
俺は出来るだけそろそろと中に入る。
「おーい、生きてるか?」
奥に足を進めていく。廊下も同じような調子であるので純粋に歩きにくい。
歩きにくい原因は他にもある。この家の主は光や音……、いわゆる外界刺激に弱い質であるので中は薄暗いのだ。
当然視界は悪い。
壁を手探りしながらやっと奥まで付くと俺は部屋に繋がるドアの前で声をかけた。
「入るぜ」
返答なし。いつものことなので俺は気にせずドアを開く。
覗いた部屋の中は海の底のようだった。
薄暗い中に何台も並んだコンピュータのデスクトップが白い壁一面に反射して青白い光を放っている。時折立てる電子音以外には音もない。
幻想的で、それでいて感覚の狂いそうな空間がそこにある。
前に来た時もこんな調子だったが、よくこんな部屋で過ごしているもんだ。
「そこにいるんだろ」
声をかけるとベッドの上の薄い布団が動いた。その下からはもじゃもじゃの黒髪と不健康そうな青白い小顔が覗いている。顔は整っている部類には入るんだろうが痩せていて目ばかりが強調されている印象だ。伸びる手足も枯れ木並みに細い。
「
俺の声に対する反応も鈍く、しばらく焦点の合っていない瞳でじーっとこちらを見ていたがゆっくりと口を開いた。
「ひさ、しぶり」
こいつ自体が機械であるかのような低い金属の軋むような声だ。
何日も人と会話していない弊害だろう。こいつは極端な人間嫌いなのだ。
工学の専門家でありネット依存症で、極度の引きこもりである。
俺とは以前にとある依頼の時に知り合い、その時世話になったのでそれ以来たまにこうして土産物を持って訪ねて来てやっているというわけだ。
「どうせまた何も食ってないんだろ。色々買ってきてやったから食えよ」
俺はコンビニの袋から栄養補助食のバーやら瞬間飯のゼリーやらを取り出して空いたスペースで広げる。味気ない感じであるがこいつはこういうものしか食べないのだ。
「……」
目の前にちらつかせて見るが楡原は動く気配がないのでクッキーバーを一個開けると俺はそれを口に入れた。
うむ、空腹なら悪くないかもしれない。
まだ寝惚けているのか楡原はベッドの中でぼんやりしていたがのろのろと喋る。
「で、きょうは、何しにきたの」
「分かるか、用件があるって事が。友人に久しぶりに会いに来たってだけじゃ駄目かよ」
「……」
黙って考え込むので逆にこっちが困ってしまう。
「悪かったな、こっちが質問返して」
「別に、悪くはない、けど」
そう言って楡原は布団の隙間からこちらを見つめてくる。相手を警戒する猫のようだ。俺を怪しんでいるというか久しぶりの訪問者に気が張っているのだろう。
「お前を困らせようって訳じゃない。逆にお前の得意分野の話を持ってきたんだよ。単刀直入に言う。『人を呑むマンション』って聞いたことあるか」
その言葉に楡原は目を開いて反応する。ビンゴか。
「……街の郊外に位置するマンション。新中心街の核となる予定だったが、新中心街そのものの計画が
早口で楡原がマンションで起こっている現状の概要をまくし立てる。
オカルト系サイトの管理人やネット関連の覗き屋をやっているこいつなら朝飯前なのかもしれないがやはり聞いていると凄みを感じる。
怪異関係のリサーチはこいつの特技の一つなのだ。
「それだけ聞くと物騒だよな。消えるだけ人が消えて見つかった奴が一人も居ないのか」
それこそまるで、呑まれたように。
「よく知っていたな」
「……街の周辺のこと、だから。耳に入ってくる」
さっきよりも心なしか口調が軽くなったように思える。俺は提案した。
「楡原、もう察しが付いていると思うが頼みがある。出来るだけこの『人を呑むマンション』の出来事をまとめて俺に送ってくれねえか。どんな些細なことでも良い。今度の仕事でおそらく必要になってくる」
俺とコンピュータ画面を交互に見ると楡原は言った。
「……対価は?」
もちろん情報を売って生きている奴に情報を提供して貰うのだ。
当然対価は払って然るべきだろう。
「払うさ。そうだな……」
俺は考え込む。
「……明日からでも仕事をしようと思っているんだが任務終了後の一週間、俺がお前の食事の面倒を見てやるのでどうだ」
こんな提案をしたのは、こいつは俺などが金をやらなくても当分暮らしているだけの金は持っているし、黙っていれば食事もしない奴だからだ。
「……」
不服らしい。
難しい顔をして少し考えた後楡原は首を振る。もう少し譲歩しろということだろう。
「じゃあ俺が海外で遭遇した怪異譚を聞かせてやろう。聞きたいだろ?」
「……」
頷いたが楡原は一本指を立てた。
もう一声。
ググッと俺は奥歯を噛む。
「分かったよ。……膝枕で耳かきしてやる。この前気に入ったとか言ってただろ」
楡原は親指を突き立てた。
何故だか以前やってやったらいたく好評だったのだ。気恥ずかしくてもう二度とやらんと思っていたのだが。俺は内心頭を抱える。
「本当にこれっきりだからな。……ああ、そうだ。それと」
俺はもう一つあった紙袋から漫画を取り出す。
「これ前読んでただろ。新刊出てたから買ってきてやった」
楡原は嬉しそうにそれを受け取った。本ぐらいネットでいくらでも帰るご時世であるが、こいつは宅配でさえ応対しないし何故か本は電子版より本屋で買ってきた紙の本派なのだ。
……最初からこっちを情報提供の条件にすればよかった気がしたがまあいい。
「それにしてもな、十数人も人がいなくなって騒がないって世間はどうなっているんだろうな」
俺がそう言うと、楡原はきょとんとしたような顔をする。
「君がそういう常識的な意見を言うなんてね、赤江。……僕に言わせるとすれば、日本には年間三万人が自殺しているんだよ。失踪者となるとそれ以上。一々気にするようなことじゃないんじゃないの」
そう言われて俺は暫し考え込む。
ふむ。
言われてみれば、その通りかもしれないな。
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