2.
俺はここしばらく事情があって日本を離れて海外で『始末屋』の依頼をこなしていた。そして、日本に帰ってきて日が浅い。新聞は一応読んでいたがそんなローカルな話題まで気を配ってはいない。
首を振った俺に蓉子は仕事用の顔になると、機械が文章を読み上げるような冷静さでザッと目の前の書類を読み始めた。
曰く、開発が中止され今は廃墟となっている高級マンション『予定』だった建築物付近で最近人の
「建物内に人影を見た」という証言はよく上がるが、入っていったものはそのまま誰も出て来ない。一般人だけでなく、調査で入った怪異の専門家さえも消えるという噂が広がっている。まるで入ることのみしか出来ない一方通行であるように。
だから、その建築物は「人を呑む建物」として噂になり、誰も近付かない……、というわけでもなく、肝試しや探検と称して入るものがどこからか湧いてきて、いたずらに失踪者を増やしている。
その結果、この現象の原因を解明し打ち止めしなければならないと専門家の上位組織が決定したということだった。
話は大体分かった。
「それで怪異絡みの可能性が高いその事件の原因解明、ならび解決を俺に依頼したいと」
「ええ。引き受けて下さるかしら」
ファイルを閉じ、冷静な表情を溶かすと蓉子はあけっぴろげな笑みを顔に浮かべた。
「どうせ、断るわけ無いと思っているんだろ」
鬼使いの荒いことだ。
俺は目を閉じてソファに身体を沈める。学校の備品にしてはなかなか良い品を使っているようでクッションがいい。
「いくつか質問したいんだがいいか」
「ええ、どうぞ」
蓉子は事務的な口調に戻る。
「今まで何人くらい消えているんだ?」
「正確な人数まではカウントしていませんが、十数人は消えていますね」
「そんなに消えているのに公になっていないのか」
「多くが自分から望んで入って行っている人みたいですからね。失踪届は出ているものの普段から家に帰らない家出少女だったり夜遊びが好きな不良少年だったり。いなくなっても比較的不審にも思わないし、困らない素性の人が多いみたいですよ」
ふん、と俺は鼻を鳴らす。引かれたか、と思った。居場所を持たない人間は怪異に呼ばれる……、引かれることが多い。
ある意味厄介な状況だ。それがもし本人の自由意志だとしたらそこから引き剥がすのは難しいかもしれない。
やってやれないことはないんだがな。
「前向きに検討してやるよ。今の宿泊先の住所を渡すから後でそっちに今起こっている現象の資料をまとめて送って寄越せ」
書く物を取り出そうとした俺に蓉子はさっと白衣のポケットからメモ帳とペンを取り出す。流石にそつが無い。
住所を書き写し、蓉子にそれを手渡す。
「確かに受け取りました。……ああ、そういえば」
眼鏡を取り外していかにもさりげなくといった感じで蓉子は言う。
「赤江さん、知っているかしら?来週我が高校の授業参観があるっていうことを」
唐突な話題変換に俺は首を傾げる。
いや、俺だって学校に通った経験はないが授業参観という学校のイベントくらいは知っている。知っているがそれ以上でもそれ以下でもない。
「それがどうかしたのか」
「んもう、鈍いんだから!」
蓉子は首を左右に振ってきっぱり言った。
「知らないわけじゃないでしょ。
暁。その名前を出されて俺は固まり、ふと思案して内心で年を指折り数える。
そうか。もうそんな年になるのか。
蓉子はなぜか遠い目をしながら俺に言った。
「暁ちゃんは『特殊な家系』に育っているから。高校の間だけの彼女しか私は知らないけど、面談も代理の者が来ているみたいだしご両親の姿を見たことがないわ。きっと寂しく思っているんじゃないかしら」
俺の娘とされているその少女と俺の微妙で、ある種奇妙な関係をこの女は知らぬ訳ではないだろう。むしろ、知っているからこそこんな話題を振ってくるのだ。それは蓉子なりの気遣いなのかもしれない。
だが、それは俺が関連するところではない問題のはずだ。俺が知っている気性から言っても年齢から言っても暁は寂しいなんて口にするはずのない少女であるし、おそらく嫌われているわけではないが俺を家族として数えてはいないはずだ。
まあ。色々複雑なのだ。
家庭にはその家庭の数だけ問題があるとどこかの作家が語っていたな、とふと思いながら俺は口を開く。
「だから、俺にどうしろと」
「いえ別に」
蓉子は微笑む。
「貴方たちの問題だもの。私が口を開くことではないわ。ただ前向きに考えてくれればいいと思って」
一瞬の沈黙。
言わんとすることを何となく理解して、俺は肩を
「これは一本取られたな。そうだな、考えておく」
「それがいいと思うわ」
俺はソファから立ち上がると窓の所まで行き、一度だけ振り返った。
「じゃあな」
「はい。また来て下さると嬉しいわ」
ひらひらと蓉子は手を振る。
俺は頷いて今度は完全に背を向けた。
「今度は近いうちに」
窓を乗り越えて、外に出る。
外は暮れ始めた紫の空が広がっていた。
背後で甲高いチャイムが鳴り響き、生徒たちに下校の時間を教えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます