倫理


こうして社会で生き続けることは、ある種の倫理規範に刺し貫かれること。


雨が降ると、人は傘を差す。風が強いと、その何本かは折れて薄情な人々は傘をそのまま捨ててしまう。そうやって捨てられた、忘れられた傘を束ねて歩いていく。

折れた骨組みのいくつかが、背中を刺し貫いていく。



それを、なんでもないように。なんにも、ないように……。



物干し竿には必ず洗濯物が翻る。それは必ず晴れの日に。それは必ず真っ昼間に。

白いシャツ、皺のない綺麗なシャツ。

そこに紐を引っ掛けて、ぶら下がる人が何人かいる。それは必ず雨の日に。それは必ず真夜中に。

遠くから、それを見ている。あるものを、あるがままに。なされるものを、なされるがままに。

物干し竿には、洗濯物か人かどちらかがぶら下がる時が、交互に必ずやって来るのが社会であるから。



たとえば泣きたい時に、ほとんどあるいは全ての人々は泣けないでいる。心臓に継ぎを当てて、ごまかしごまかし生きていく。

溜息にはそんな、素直になれなかった魂が宿っている。優しい人々の何人かは、路傍ですれ違う誰かが溜息を吐くと振り返る。そして、なにもしないまま、できないままに再び前を向く。

中途半端に振り回される正義感。躊躇ったまま、遂に差し出されなかった親切、優しさ。これ見よがしにそっくり返る傲慢。押し隠したつもりでありながら、初めから正面に居座る欺瞞。

そういうもののひしめきで、社会は廻る。

工場の歯車。発条。螺子。釘。釦。その一つ一つに顔があって、名前がある。誰だって、誰にでもなれる。誰にだって、ならなければならない。それを静かに、月夜の中で考えている。

なんでもないように。なんにも、ないように……。



雨の日には傘を差す。

物干し竿には洗濯物を必ず干す。

ビニール傘と、白いシャツ。

遠くから、見ている。あるものを、あるがままに。なされるものを、なされるがままに。

必ずあるもの、あるべきものを。

静かに縛られながらも、傘を束ねて洗濯物を仕舞う。時折物干し竿にぶら下がってしまった人達のために泣き、それを忘れたら笑ってみる。



潜在意識を、聖書が踊る。

こうして社会で生き続けることは、ある種の倫理規範に刺し貫かれること。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る