肚は生命の膨らみであり、肋骨は死をぶら下げるための梁である。腸は束の間与えられた安息である。

肚は生命の膨らみであり、肋骨は死をぶら下げるための梁である。腸は束の間与えられた安息である。

骨は私たちを癒し、肉はいつか必ず腐り私たちを悲しませる。

そうして、私たちはひと時でも美しくありたいと願う。それは傲岸である、無知である。

そして少しだけ、その「知らなさ」に私たちは救われている。



夜になるとたまらなくなって、誰かに電話をしたくなる。でもかけ方が、分からないままだった。そして、誰かの名前も知らないままだった……。



昼になるとたまらなくなって、家へと帰りたくなる。でも帰り方が、分からないままだった。そして、本当に私には帰る家があるのか知らないままだった……。

少しだけ泣いて、それから少しだけ笑った。

それができる余力に、余分に、私はこの次もまた「生きよう」と思えた。



肚は生命の膨らみであり、肋骨は死をぶら下げるための梁である。腸は束の間与えられた安息である。

骨は私たちを癒し、肉はいつか必ず腐り私たちを悲しませる。

そうして、私たちはひと時でも美しくありたいと願う。それは傲岸である、無知である。

そして少しだけ、その「知らなさ」に私たちは救われている。



時折知らない言葉で葉書が届く。

その時初めて私は、私の他の誰かが居ることを信じようとできる。

電話の向こうに誰かが居るかもしれない。

帰るべき家があるかもしれない。

葉書は読めない。

それに少しだけ泣いて、少しだけ笑った。

不安で泣けた。可笑しさで、笑えた。



それができる余力に、余分に、私はこの次もまた「生きよう」と思えた。

私の中に夜が来て、朝も来た。

少しだけ泣けて、少しだけ笑えた。

それを幸せだと思った。

それを不幸だと思った。

悲劇と喜劇について考えた。



肚は生命の膨らみであり、肋骨は死をぶら下げるための梁である。腸は束の間与えられた安息である。



少しだけ泣いて、笑った。

私は、それだけだ。



それができる余力に、余分に、生命に、私はこの次もまた「生きよう」と思えた。

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