人間扱いされてこなかった俺と、”人ならざる”灯ちゃん

てこ/ひかり

第1話

「アンタねえ……!」


 ”足元”から声が聞こえて、俺は下を覗き込んだ。

 そこで俺を見つめていたのは、顔だった。見知らぬ女子生徒の顔。

 それも逆さまの。

 逆立ちしたように、俺とは上下逆になっている少女。彼女は呆れたように顔をしかめ、腰のあたりまで伸ばした亜麻色の長髪を掻き揚げながら呟いた。


「待ってって言ったじゃない! 何で勝手に自殺なんかするのよ!」


 突然現れた謎の少女の剣幕に、俺はただただポカンと口を開けたまま、しばらく吸い込まれるような彼女の瞳を見つめていた。


□□□


 その日は、いつものように登校したら教室には自分の机がなくなっていて、代わりに皿に入ったドッグフードが置かれてあった。『犬の餌』は、今月に入ってもう三回目だった。


 ドアを開けた途端、中にいたクラスメイト達が一斉にこっちを見た。その冷たい目。俺はまるでキンキンに冷やした氷を無理やり喉に突っ込まれたみたいに、頭の芯がかあっと”冷たい”熱を帯びていくのを感じた。ざわついていた教室がシン……と静まり返った。


 もし、同じように朝教室に行ったら机がドックフードの山に変わっていた……なんて経験がある人には、是非教えてもらいたい。一体俺は、どうすれば良かったのか。


 床に四つん這いになって犬みたいに尻尾を振る真似をしながら、舌を出して皿に齧り付く?

 気が強い人なら、辺り構わず怒り狂うとか?

 周りでニヤニヤしている同級生の胸ぐらに掴みかかる?


 うん……。まあそれくらいのことは、できたかもしれない。

 あるいは教室には入らずに、そのまま自宅まで逃げ帰るなんて選択肢もあったかもしれない。


 でもその時俺が取った行動はと言えば、ただオロオロと餌入れを手に教室をうろつき、顔を歪めて無くなった机を探すという、実に冴えないものだった。


 経験がある人なら分かると思うが、現実の”こう言う”場面にドラマや映画のような劇的な助けはやって来ない。むしろシーンを飛ばすなんて機能がない分残酷で、ひたすらに、周りの好奇の目とクスクス笑いに耐えながら、その場で耳まで真っ赤にして狼狽える……くらいのことしかできない。


 一体いつまでそうやっていただろうか。


 やがて無限にも近い時間の中で、俺は自然と唇を噛み締め、俯いていた。他の人の半笑いの顔を見るのが怖かった。耳に聞こえてくる衣服が擦れる微かな物音でさえ、脳みそを突き刺すトゲのように感じられた。


 その時だった。


 ガラララ……と音を立てて、前方のドアが開かれた。

 途端に教室の中が静まり返った。やってきたのは、このクラスの担任だった。

「どうした?」

 五十過ぎの、歳の割に老け込んだ白毛の現国教師が、教室の片隅に一人立ち尽くす俺を見て怪訝そうな顔をした。その時、担任を見上げる俺の顔は、きっととても情けないものだったに違いない。担任は、縋り付くような顔をした俺を教壇の上からジロリと睨め付けると、低い声でこう呟いた。

「何を立っとるんだ。席に着け」


 その瞬間。


 教室にドッと笑い声が湧き上がった。

 俺は。

 ぽっかりと空いた自分の席を見つめ……

 そこでようやく、教室から飛び出すように走り出した。 

「おい!!」

 背中に担任の声が飛んできたが、俺は振り返らなかった。


 死んでやる。


 誰もいない廊下にドッグフードを撒き散らしながら、とうとうそう決心した。

 だって、何かダメな理由があるだろうか?


 死ぬなんて考え過ぎだ?

 生きてりゃ楽しいことがある?

 死ぬくらいの度胸があるなら、何でもできる?

 

 だけどさ。それって、自分が人間扱いされてるのが前提の話だろ?

  

「はぁ……はぁ……!」


 息を切らしながら、俺は屋上の扉を勢いよく開いた。


 外に出た途端、眩むような明るさが目を奪い、そこで渦巻いていた熱風が一気に扉の方に吹き寄せてくる。圧に押し負けないように、右腕で目元を覆いながら、俺は一気に鉄格子のところまで走った。此処で躊躇なんかしてはいけない。この世には夢も希望もないんだ。生きてたって、人間扱いされやしない。俺は鉄格子に手をかけ

「待って!!」

 そのまま三階建ての校舎の上から、地面に向けて突っ込んだ。


□□□


「アンタねえ……!」


 ”足元”から声がして、俺は恐る恐る目を開いた。

 おかしい。今頃俺は、コンクリートの地面に頭から突っ込んで死んでなくちゃおかしいのだが……一向にその気配がない。薄目を開くと、視界に飛び込んできたのは、足だった。細長い二本の足と、ウチの中学の制服の紺のスカート。それも、普段とは逆向きの。


「待ってって言ったじゃない! 何勝手に飛び降りてんのよ!? バカなの!?」


 するとその足の下の方から、罵声が飛んできた。よく見ると、その逆立ちをしたような二本の足は、コンクリートのような石色の天井にくっついている。俺はその下に目を凝らした。


「全く……何で、自殺なんかするのよ……!」


 下にあったのは、顔だった。透き通るような白い素肌の、見たこともない女子生徒の顔。女子生徒は何故か天井に張り付くような形で俺とは逆向きに立ち、呆れた顔で俺を”見上げていた”。俺は辺りを見渡した。


 俺が飛び降りたのは、ちょうど東校舎の裏、野球部のバックネットがある辺りだった。

「!」

 俺は目を見開いた。景色が、いつもと逆だ。バックネットや周りに生えている木が”逆さま”になっている。少し顔を上げると、俺の頭上にコンクリートの地面が広がっていた。


 そこで俺はようやく気がついた。

 逆さまになっているのは、俺の方だ。


 さっき屋上から飛び降りて、地面に頭から突っ込んで……ぶつかる直前、地面から数センチの付近に、俺は逆立ちをするような格好で宙に固定されていた。


「何だこりゃ……!?」


 俺は驚いて足をバタつかせようとして……そこで、体が全く動かないことに気がついた。手も足も、どれだけ力を込めてもびくともしなかった。動く箇所といえば、首から上くらい。俺は混乱する頭で、地面に真っ直ぐ立つ目の前の少女に視線を戻した。

「君は……!?」

「私は”走馬灯”よ」

「そうまとう……!?」

 

 俺は眉を八の字にした。

 走馬灯……と言ったら、死の直前に見る、今までの人生の”オールプレイバック”、とかいうあれだろうか。俺の目の前に立っている、今までの人生で一度も会ったことがない謎の少女。


 この少女が、俺の走馬灯……?


「一体どういうことだよ……!?」


 少女が腰に手をやり、やれやれと言った表情でため息を吐き出した。

 だが申し訳ないが走馬灯と言われたところで、さっぱり分からなかった。


「走馬灯って、こんな姿してるのか……!?」

「そんな訳ないじゃない。私を”人間扱い”しないで」


 少女は腰当たりまで伸びたロングヘアーを掻き揚げ、キツく尖らせた大きな瞳で俺を睨みつけた。

「私はね、元々”人智を越えた存在”、言わば”人ならざるもの”なのよ。なのにこんな格好……!」

「……!?」


 彼女がスレンダーな体を捻らせ、自分の制服を忌まわしげに見回した。俺は目の前の現状を把握すべく、無い頭をフル回転させた。


「よ、要するに……俺は今、走馬灯を見てるってことでいいんだな?」

「ええ。そんなとこよ」

「それで、その走馬灯が人の姿になって、俺にしゃべりかけてる?」

「ええ」

「何なんだよ……!?」


 頷く美少女に、俺はますます混乱した。


 どうやら俺は屋上から飛び降りたはいいが、地面に激突する数秒の間に逆さまのまま宙ぶらりんな状態になって、走馬灯を見ているらしい。そしてなぜか、俺の走馬灯はウチの学校の制服を着て、女子の姿で俺に話しかけてきている。俺は動く範囲で首をかしげた。


「いやいやいや……おかしいだろ。走馬灯って、もっとこう……。俺の人生の重要な”場面”全て、みたいな感じだろ? 何で”人”なんだよ。何で話しかけてきてるんだよ?」

 すると、亜麻色の髪を空の光に透けさせて、少女が屈んで俺にずいっと顔を近づけてきた。


「あのね……私はアンタの走馬灯じゃない?」

「う、ううん……」

 俺は曖昧に返事をした。

「だからね、アンタが死んじゃったら、私もそこで終わりってワケ」

 逆さまになった俺の目と鼻の先で、走馬灯が鼻息を荒くした。

「アンタ、夢は?」

「は?」


 突然彼女にそう尋ねられ、俺は面食らった。


「ゆめ?」

「夢。何かあるでしょ」

「夢……夢なんてないよ」


 俺は険しい表情を浮かべる走馬灯から目をそらした。この世には夢も希望もない。生きてたって、人間扱いされてこなかった。そもそもそんなこと、今まで考えたことすらない。早く終わればいいと、ずっとそう願って生きてきたのだ。そもそも走馬灯自体が、夢みたいなもんじゃないか。俺がそう言うと、走馬灯が目を細めた。


「そう。私の夢はね、将来フランスに行って、洋菓子職人になることなの」

「はい?」

 

 突然、自分の走馬灯に何とも可愛らしい夢を熱く語られ、俺は目を白黒させた。


「だからね、アンタがこんなとこで死んじゃ、私が困るの。アンタにはね、時間が許す限り、最後の最後まで生きててもらわなきゃ」

「はあ……?」

 夢見る走馬灯が立ち上がった。

「さあ、私が人外の力を持って、アンタを助けてあげるわ! 感謝しなさい!」

「ちょ……待ってよ!?」


 無理やり俺を起こそうとする走馬灯に、俺は慌てた。


「やだよ! 絶対やだ。終わらせてくれよ! せっかく死ねるとこだったのに。あんな世界、何のために生きるんだよ?」

「私の夢のためよ」

「何で自分のじゃなくて、自分の走馬灯の夢のために長生きしなきゃならないんだ!」

「つべこべうるさ……あっ」 


 その時だった。


 ゴツン、と音がして、俺の頭に鈍い感覚が伝わった。

 走馬灯が勢い余って、残り数センチで浮いていた俺をコンクリートまで落とした。


「…………」

「ご……ごめ……」


 俺は走馬灯と目が合った。

 俺が最後に見た景色は、逆さまに映る彼女の申し訳なさそうな顔だった。

 次の瞬間、俺の意識は全部真っ黒に持って行かれた。


□□□


 そして目が覚めると、俺は真っ白な天井を見上げていた。


「母ちゃ〜ん!! 走馬兄ちゃんが目ェ覚ました!!」


 俺が首を動かすと、耳元で、何処かで聞いたことのあるような弟の声が劈いた。それからドタバタと激しい音が聞こえて、次々に俺の近くに家族がやってきた。視界の端に、点滴のチューブのようなものが揺れていた。どうやらここは、病院の一室らしい。

 俺は……有り得ないとは分かっているが、何だかものすごくおしゃべりな走馬灯を見ていたような気がして……疲れが溜まっていたのか、そのままもう一度気絶するように眠りについた。


□□□ 


 あれから数ヶ月後。

 屋上から飛び降りて、奇跡的に一命を取り止めた俺は、家族や担任、学校と話し合い転校することになった。俺としても、もう二度とあの教室に戻るつもりはなかったので、それで良かった。

 医者の話では、どうやら地面にぶつかる直前に”何か”人体のような柔らかいものがクッションになり、それで致命傷を負わずに済んだ、とのことだった。一体それが何だったのか、未だに分かっていないらしい。


 新しい土地で、俺は必死に勉強を続けている。


 何故かって?


 そもそも俺は今までの人生で、一度もフランスに行ったことがないからだ。

 俺にはまだ叶えたい夢がない。洋菓子職人になりたいと願ったこともないし、多分これからもきっとない。だけど夢かもしれないがあの時確かに、俺の人生の重要場面であるはずの走馬灯が、自我を持って己の夢を語っていた。このままでは俺は人生を終える最後の瞬間、自分では実際に見たこともないパリの景色や、大量のホイップクリームを見ながら死を迎えることになるかもしれない。自分の人生なのに。これは非常に由々しき事態だ。


「…………」


 ふと外国語の教材から目を外し、俺は図書室の窓から外を見上げた。


 走馬灯の夢……あの子の夢は、叶うのだろうか?

 ……どうせもう一度最後に会うことになるのだから、その時分かるだろう。

 その時までに、俺もできるだけたくさん彼女に話せるような記憶を作っておかなくては。


 俺はもう一度教材に目を戻して、ノートにペンを走らせた。

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