碁盤と碁石 作る間に 2
不意に「ふう」という強い息を伴う声が聞こえた。
「あ、テンシュ、ちょっといい?」
「んぁ? まぁいいか。なんだよ」
店主の様子を察するに、線引きのための溝を入れる作業が終了した様だった。
セレナの声をかけるタイミングは丁度いいということである。
「この店が始まって最初に来た常連さんの特徴といったら?」
「ぼっち」
店主からの即答にプッと吹き出すセレナ。
それが何かしたか? 自分の答えのどこがおかしいと文句をつける。
「いや、私の答えと一致したからつい。あははは」
シエラはぽかんとして、その視線はセレナと店主を行ったり来たりしている。
「ホントに……相手してくれる人いなかったんですか?」
「どこも相手にしてくれねぇっつって、開店前なのに駆け込んできやがった。その分素直だったからまぁ大目に見てやって、後そいつの作った道具の見てらねぇほどの出来だったからそれに手を加えて……」
「余計なこと言わないっ!」
「余計も何も、あいつらもお前の作った道具もそのままだったらポンコツ揃いもいいとこだ。欲しいヤツを選ばせて、それに手ぇ加えてあいつらに使わせたらこうなった。でもあれはもう使えねぇんじゃねぇのか?」
「どうして?」
「どうしても何も、あいつらのレベルにゃあの道具が追い付けない。飾り物にもなりゃしねぇ。買い替えろって話だよ。あいつらはそこまでレベルが上がった。それをいつまでもこの店にしがみついてよ。王都っつったっけ? そっちでも十分通用するだろうに何甘ったれてんだか」
やれやれと肩をすくめたのはセレナ。
「恩を感じてるんじゃないの? 恩返ししたくてたまらないのよ。だから拠点をここから動かさないの。義理堅いじゃない」
「あのジジィも言ってただろうが。受けた恩は石に刻むのはいいが、刻まれた相手は水に流してんだよ。心構えの一つにしとけって話だよ。さて、線引っ張って今日の依頼の仕事はこれで終わりにすっかな」
「あ、あの」
シエラがカウンターから身を乗り出して碁盤を見る。
「んだよ。物見遊山の身分で文句つけられてもな」
「え、えっと。『闘石』の盤ですよね? 線の一番外側と盤の縁がかなり広いと思うんですが……」
シエラからの指摘に、ほう、と感心する店主。
「あぁ、その通り。十センチばかり三方向大きくしてるからな。そ言えば弟子入りしたいとか言ってたな。道具作りしたことあんのか?」
「な、ないですけど」
崩れる店主とセレナ。
「ねぇのかよ。まぁいいや。だが自分から意見を言い出すってのは悪くねぇ。人任せに出来ねぇって思いがあるからな。責任感があるとでも言うべきか? まぁいいや。うん、すごくどうでもいい」
この世界では人を褒めることは滅多にない店主が褒める。
セレナはやや驚くが、最後の一言はやはり店主だった。
「さて、線引きを始める。声をかけても無視するが、近寄るなんてもってのほかだ」
「ちょ、ちょっと待って、テンシュ」
仕事を始める前に押しとどめるセレナも珍しい。
店主は不機嫌な顔に変わり、脅すような口調に変わる。
「仕事の邪魔すんじゃねぇよ。線引きは失敗できねぇっつってんだろ」
「え?! 出来ないの?!」
素っ頓狂な声を出したのはシエラ。
怒りで顔が次第に赤くなる店主はそのままシエラに向ける。
「だって三方向とも大きめに作ってあるって言ってたじゃないですか。失敗しても表面削れば、一階だけならチャンスあるんじゃないかなって」
「バカかお前は! 確かに一回は失敗が許される! だから失敗しなきゃなんねぇとでも言うつもりか?! 成功できなかった仕事は、次は必ず成功するとでも言うつもりか?! 成功させるつもりがなきゃ成功するわきゃねぇだろうが! 一回り大きくした理由を聞かねぇお前からんなこたぁ言われる覚えぁねぇんだよ!」
弟子入り志願を表明しただけの人物にも怒鳴る店主。
慌てて謝罪するシエラだが、なかなか店主の怒りは収まらない。
「……んなこと考える奴が開く道具屋って成功するわきゃねぇだろうが。他の道具屋の仕事奪って退散するのか関の山だ。人の店の生活費奪って逃げる。迷惑この上ない同業者ってことだ」
しばらく怒りが持続していたが、その言葉でようやく止まる。
セレナは自分の言い分には全く耳を貸そうとしない店主に呆れ、シエラを慰める。
「そこまで言わなくてもいいじゃない。まだ何にも分かってなさそうだし。それに今から線引きの仕事して、終わる時間とか明日の影響とか考える必要あるんじゃない? 私はそのこと心配してたんだけど。あ、シエラちゃん、泣かなくていいから。仕事のことになると、この人職人だからいろいろ厳しく考えちゃうんだ。でもそれが大事だったりするからね」
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