作るのは碁盤と碁石 7
線引きの作業は真剣そのもの。
セレナに用意させた、漆に似た樹液はヴェーダーンと呼ばれる樹木から採れるとのこと。
日本あるいは向こうの世界での該当する植物は不明。
それでも多少の粘りもあり、それを塗料として使われた物は確かに漆器に似ていた。
ルレットに似た刃物に定規もセレナが用意してくれた。
作業の相手は宝石だから汗が落ちても拭き取れば済むが、塗料に混じって品質が下がるようなことがあってはまずい。
碁盤の足のようにデザインのバランスなどを気にする必要はないし、足のモデルが植物なので形さえ整っていれば多少のミスは対処できる。
しかし線引きは、失敗したら消しゴムで消して書き直しという訳にはいかない。
短時間で終わる作業だが、取り返しがつかない作業。それが碁盤一つに三十六本。二つ分なので七十二回の一発勝負。
その作業も、途中で気を散らすことも許されない。
セレナはその塗料を使い、店の扉に掛ける札を作る。
『営業中・ただし本日のテンシュへの依頼・問い合わせは受け付けておりません』
「これでよしっと。いくらかはテンシュへの力になってくれるかな?」
外から見えるように札をかけ、この日の一日が始まる。
店主は昨日と同じようにねじり鉢巻きを付けているが、さらに一本増えている。
そしてマフラーを、顎を隠すように巻きつけている。
それほど落ちる汗の事が気になるようだが、仕事に取り掛かる目つきは、足作りをしていた時ほど真剣ではないようにセレナには見えた。
しかしいつまでも店主のことを見ているわけにもいかない。
カウンターの傍の棚で何やらごそごそしたあと、セレナも日常の業務にかかる。
直線を引く長さよりも長そうな円周のルレットで、盤の上を何度か往復させる。
溝が出来た所で、ヴェーダーンの樹液を葉の部分に均等に浸し、溝を埋めるように線を引く。
慎重過ぎず大胆過ぎず、淡々と作業を進める店主。
店内は今までと違い、かなり客で賑わっている。
とは言っても買い物をしに来た客はいつも通り。
『風刃隊』と『クロムハード』のメンバーが、酒場や宿で話のネタにしたのだろう。普段の毒舌や気まぐれは見られない真剣な店主の仕事を見物、いや、見学しに来た者達がほとんどである。
「随分繁盛しとるの?」
「あ、チェリムさん。何と言いますか……。まぁ、人はいますね、うん」
帽子屋チェリムも店主の仕事を見に来ていた。
ということは。
「ひょっとして、近所の人にも……」
「結構噂は広まっとるよ? 法王様から依頼を受けた、とな。隣の、オウラとリンヤ覚えとるじゃろ? ワシよりもあの二人が先にここに身に来たっちゅうんじゃから、近所の面目が立たんでな。ワハハ。まぁまずその姿を一目だけでも見んとなぁ。しっかし、こんなに混んどるんじゃあテンシュの体も見えんでな」
そういうチェリムもカウンターから一番近いところにいるが、人が二人くらい縦に並ぶくらいの距離を空けて、その人だかりの最前列にいる。
誰もがカウンターに近寄ろうとしない。その分人が集まっているところは混んでいる。
買い物客の迷惑になる事と、仕事中の店主の周囲が人だかりになると店主がどういう行動を起こすか分からないことを知っている者がほとんどだからだ。
店主から一番近いところにいる者は、一定の時間を過ぎると人だかりから離れ店を出る。人によっては商品を見て回る。
「見物料でもとれば儲かるだろうに」
そう言って笑いながら、チェリムも店主から一番近い場所に移って行った。
店主の作業は、盤面に十九本の縦の溝を付けた後、横方向にも同数の溝をつけるのだが高さと大きさがあるため床の上で作業する。
縦方向の作業の後、横方向の作業に移る時、ふと周りを見ると、カウンターの向こう側に大勢の人が目に入った。
カウンターにいるセレナに「なんだこれは?」と目で訴える。
流石にセレナも追い返すことは出来ないため、店主には目で謝るのが精いっぱい。
溜息をつき、見物客に見えやすい位置に碁盤を持ってきて横の線を入れる作業を始める。
仕事の最中は自分のペースを崩さない店主。
客達もそういう性格であることを知っていたためか、少しばかりどよめきが起こる。
が、そのざわめきに思いっきり不機嫌な顔を見せる店主。あっという間に静まり返る店内。
「それでもちょっとは人格、丸くなったのかな?」
セレナはそんなことをぽつんと思う。
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